8時、起床。
トースト、サラダ(炒り卵、トマト、レタス)、紅茶の朝食。
9時半に家を出て、大学へ。
2限は院生の研究指導。
Sさんからいただいた中国のお菓子を摘まみながら。
昼食は昨日と同じくコンビニおにぎりとカップヌードル。2日連続だと新鮮さは落ちる。「赤いきつね」や「緑のたぬき」とかも買っておこう。
論系ゼミ選考の一次申請の中間集計結果が発表される。私のゼミの希望者は24名(定員は15名程度)。例年、中間集計の数字より最終集計の数字は少し小さくなるので(倍率の小さい他のゼミへ動く)、ほどよい数字だと思う。
3限は大学院の演習。
4限は空き時間。講義の準備(先週の講義のレビューシートに目を通す)。
5限は講義「ライフストーリー」の社会学。36号館382教室のAV機器の操作にもだいぶ慣れた。
6時半に大学を出る。夜の工事現場は休眠中のエイリアンたちの巣のようである。
地下鉄に乗り込む前に「あゆみブックス」に寄って新刊コーナーを眺めていると、長谷川宏が『日本精神史』上下(講談社)という本を出したことに気づく。加藤周一の『日本文学史序説』を彷彿とさせるタイトルとボリューム(上下巻併せて1000頁)である。
加藤の『日本文学史序説』は「文学」の概念を広くとって、いわゆる文学作品だけでなく思想書もそこに含めた。長谷川の『日本精神史』はそこにさらに非言語的な造形物や美術作品(三内丸山遺跡から浮世絵まで)を加えた。加藤は非言語的な造形物や美術作品については『日本その心とかたち』で取り上げたから、長谷川の『日本精神史』は加藤の『日本文学史序説』と『日本その心とかたち』を合本したようなものであるといえるかもしれない。実にスケールの大きな試みである。この専門分化の進んだ時代にそんなことを試みる人間が加藤の死後に新たに登場するとは思わなかった。しかし、よく考えてみれば、ヘーゲルの『精神の現象学』の画期的な翻訳で知られる長谷川にこそふさわしいプロジェクトであるといえよう。
「精神とは何か」と長谷川は自問自答する。「あえて定義すれば、人間が自然とともに生き、社会の中で生きていく、その生きる力と生きるすがたが精神だ。精神は一人の人間のうちにも、少人数の集団のうちにも、もっと大きな集団や共同体のうちにも見てとれるが、さまざまな精神の連続と変化のさまを一つの大きな流れとして縄文時代から江戸時代の終わりまでたどること、それが、わたしの設定した課題だった。政治の歴史や社会の歴史にぴったり重なるのではなく、その基底にあって政治や社会の動きとは異なるリズム、異なるテンポをもって持続し変化していく人びとの意志と心情と観念の歴史をとらえたかった。」(上巻、3頁)
なるほど。意図はわかった。論より証拠、さっそく電車の中で「第1章 三内丸山遺跡―巨大さに向かう共同意識」を読んだ。臨場感のある文章である。長谷川は現場(青森駅からバスで20分ほど)に立って思索する。基本的な疑問は「なぜ人びとはこんな巨大な建造物を作ろうとしたのだろうか」というものである。小学生だって抱く疑問である。根源的な問いと言い換えてもよい。
「巨大建造物の作られた時期の集落は、数百人の人びとが居住する規模に達していたろうが、その人びとの共同の思いと共同の行動が形となってあらわれたのが六本柱の建物にほかならなかった。共同の力と精神は個々人の力と精神の集合でありながら、個々人の力と精神を越えた、異次元の力として、また精神として存立し、個々人に働きかけてくる。働きかけに応じるなかで個々人は共同の力と精神を大なり小なり担うものとなる。六本のクリの大木を見つけ出し、切り倒して柱に仕立て、幾何学的な形を保って地上高く聳え立たせ、横木でつないで安定した巨大な建造物を作り上げるという構想と、構想を実行に移そうとする意志と、意志を実現する行動は、いずれも個人の次元にとどまるものではなく、共同の構想であり、共同の意志であり、共同の行動だった。そして、構想と意志と行動が共同のものとなるためには、共有された建物のイメージが人びとによって実現可能なものと考えられていなければならなかったし、人びとの意欲をかき立てる魅力的なものでなければならなかった。」(上巻、14頁)
わかりやすい文章であるが、それは私に社会学(デュルケイム的な)の下地があるせいかもしれない。社会はメンバー(個人)のたんなる総和ではなく、個人には還元できな集合的な意志や表象を本質とするものであるという考え方である。三内丸山遺跡(の巨大な建築物)を社会=共同体の精神の表現として理解し、その精神の在り方を考察するところから『日本精神史』は出発する。
『日本精神史』の時間的射程は縄文時代から江戸時代までである。加藤の『日本文学史序説』は記紀万葉の時代から戦後の高度成長期までであったから、それよりも早く始まり早く終わる。近代のことは扱わないのか・・・と思っていたら、「あとがき」でその点に触れていた。
「日本精神史を江戸の終わりまでたどったとなれば、当然、そのあとの日本近代の精神史はどうなるかが問われよう。すでに老境にある身だが、気力と体力が許せば、近い過去の精神の流れをも跡づけてみたい。」(下巻、521頁)
長谷川は1940年の生まれだから、今年で75歳になる。
これから『日本精神史』を毎日1章ずつ読むことを日課としようと思う。そういう読み方がふさわし本であるように思う。35日で読み終わる。
7時半、帰宅。
夕食は鮭と野菜のレンジ蒸しとうどん。