フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

4月19日(水) 晴れ

2017-04-20 11:19:54 | Weblog

8時、起床。

トースト、サラダ、紅茶の朝食。

9時半に自宅を出て、大学へ。水曜日は会議の日。午前中から会議がある。

スロープから見上げる空に躍動感がある。

銀杏の若葉もボリュームを増している。

大学院の社会学コースの会議を終えて、昼食を「ぷらんたん」に食べに行く。

本日のパスタランチ(700円)。パスタは日替わりで(今日はトマトとバジル)、コーヒーが付く。

コーヒーはポットに入っているものを自分で注ぐ形式。ちょうどポットが空になって、運ばれてきた淹れたてのものを飲むことができた。これ、お替りOKなのだろうか?

2時から教授会。今日はサクサク議事が進んで、4時半には終わった。

教員ロビーのメールボックスに、永田夏来・松本洋人編『入門 家族社会学』(新泉社)という本が入っていた。著者の一人である本多真隆さん(早稲田大学人間科学部助手)がお送りたいだいたものである。

若い研究者たちが編んだ家族社会学の入門書である。帰りの電車の中で、本多さんの論稿「ポスト工業化社会の移行から考える家族と政治」を読む。私が日頃、ゼミの学生たちと話をしていて思うのは、現代の若い世代は自分が育った家族とこれから自分が作って行こうとしている家族のモデルが違う、つまり前者は父親が主たる稼ぎ手で後者は夫婦共働き、ということが頭では分かっていても、自分が育った家族の再現を心のどこかで求めてしまっている人が多いということである。同じ人間の人生のおいて定位家族と結婚家族のモデルの違いが大きいという過渡的な世代で起こる現象である。子どもの頃の経験が現実への適応をかえって難しくているのである。この若い研究者たちが編んだテキストがこれから家族を作って行こうとしている人たちの道しるべになるといいと思う。

6時半、帰宅。

1月に行った人間ドックのデータを元にした特定健康審査(メタボの検査)結果が届いていた。「非該当」であることはわかっていたが、堂々と胸を張れるほどの数値ではないこともわかっていた。

こんな冊子が同封されていた。

要点は「ストレス一日決算主義」である。一週間単位でストレスの解消を図る、つまり平日にためこんだストレスを週末に解消するよりも、その日のストレスをその日のうちに解消しましょうということである。そのための方法論は「運動」「仕事」「休養」「睡眠」「食事」を一日の中にバランスよく組み込むことである。

「おそらく多くの人が、忙しい毎日の中、5つもうまくやるなんて無理だと思われるでしょう。とくに運動、休養、そして食事は、週末で取り戻そうとしている人が圧倒的です。でも、週末とウィークデーのギャップの大きさが、現代のストレス社会をさらに深刻にしている現状をご存知ですか? 一週間という単位を基本にしているため、一日というリズムがないがしろにされ、たまったストレスが癒されないまま、翌週に持ちこされて。それが続いているのです。」(8-9頁)

たしかにそのとおりである。「一日」や「一月」というのは自然のリズムである。これに対して「一週間」というのは社会のリズムである。われわれの社会では5日連続で働き、2日連続で休む(遊ぶ)というリズムが普及している。5日間でためこんだストレスを2日間でまとめて解消する(しようとする)というのが会社勤めをしている人のライフスタイルになっている。いわゆる「サザエさん症候群」(日曜日の夕方の憂鬱)もこうしたライフスタイルに付随するものである。

しかし社会のリズムに身体のリズムを順応させることには限界がある。とくに労働時間の延長(残業)が日常化している生活では、5日間の疲労やストレスを週末の2日間で解消することはできず、慢性的な疲労・ストレス状態に置かれることになる。それを避けるためには、5日間の平日の中でできるだけ疲れやストレスを翌日に持ち越さない工夫が必要になる。小さな子供のいる専業主婦の場合は、5日間の労働+2日間の休養(余暇)というはっきりした区分けはなく、5日間の労働A+2日間の労働Bという内容を異にする労働の組み合わせとして一週間のリズムが出来ているように思う。そうなると、週休2日制のサラリーマン以上に、一日一日の中で疲れやストレスを翌日に持ち越さない工夫が一層必要とされるだろう。

「運動」「仕事(労働)」「休養」「睡眠」「食事」という健康の5つの要素を一日の中にバランスよく組み込むという本書の主張(およびそのための具体的な方法)はたいへんにうなづけるものだが、私見を加えるならば、「社交」という6番目の要素も組み入れることが肝心なのではないかと思う。週末に「社交」をギューギューに詰め込むのではなく、週末の2日間のうち「社交」は一日だけにして(それもできれば「一日一人(組)」にして)、その代わり、平日のランチタイムや仕事終わりの時間に「社交」を分散して組み入れるようにしたらよいのではないだろうか。

夕食はポースソテー、サラダ、茄子の味噌汁、ごはん(明太子のせ)。

ポークソテーの付け合せはズッキーニとエリンギのソテー。

ご飯に明太子をのせたのは食器の節約のため・・・というよりも、ご飯と明太子は仲良しだから。


4月18日(火) 晴れ

2017-04-19 22:48:42 | Weblog

8時、起床。

トースト、サラダ(炒り卵)、紅茶の朝食。

昼から大学へ。

昼食は研究室でコンビニおにぎり。3限(1時から2時半まで)がある場合、授業の前に研究室でそそくさと食べるパターンと、授業が終わってからどこかに食べに出るパターンがある。どちらになるかはその日の腹具合による。今日はそこそこ空腹を感じていたので、空腹のまま院生の研究指導を始めるとよろしくないだろうとう考えたのである。

3限はその研究指導。新人のCさんに学部時代に書いた卒業論文の内容を話してもらう。空腹が解消されて気持ちがゆったりしたせいではあるまいが、第一章の最初のところ、「研究の背景」についての説明のところの質疑応答だけで1時間半をかけてしまった。いくらなんでもゆったりし過ぎである。来週はもう少しスピードアップしていきましょう。

4限は空き時間。

5限は演習「現代人と社交」。受講生40人の自己紹介の後半。たんなる自己紹介ではなく、テキストである山崎正和『社交する人間』(中公文庫)の序章「社交への飢餓」のところを事前に読んできてその感想を織り交ぜた自己紹介をしてもらった。

授業を終えて研究室に戻る途中の廊下から見たキャンパスの中庭。

そのとき突然、上空に光る物体、円盤のようなものが飛来した!(初歩的なトリックです)

研究室に戻ってテーブルの上に自宅から持ってきた最近購入の陶器を並べていると・・・

卒業生のミサキさん(論系ゼミ6期生)が仕事終わりにやってきた。

 最近、鎌倉に行ったそうで、そのとき文具店で購入した便箋と封筒のセット、そして鉛筆型のシャープペンシルをお土産(誕生日のプレゼント)にいただく。どうもありがとうございます。

・・・と、ここまではよかったのであるが、彼女が、「先生、私、髪を短くしてんです」と言った。「あっ」と私はそのとき口の中で小さく声を出した。前回、彼女は長かった髪を短くしてきたので、当然、「短くしたんだね」と言ったが、今回はそれをさらに短くしてきたので言いそびれたのである。決して気づかなかったわけではない。しかし小さな変化であれ、言わないと、その変化に気づいていないと思われてしまうのである。

彼女が機嫌が悪くなった。(注:写真には初歩的なトリック、いや、演出が施されています)

「五郎八」に食事に行く。

途中、キャンパスの向かいの穴八幡神社の境内の枝垂れ桜の下で写真を撮る。春の夜らしいちょっと幻想的な写真が撮れた。

名残の桜を見て彼女の機嫌も直ったようである。

「五郎八」では、私はウーロン茶、彼女はレモンサワーを注文し、酒の肴を前菜として数品食べtてから、メインのお蕎麦に移行した。

まずは田楽。 

五郎八サラダ。

出汁巻玉子。

私は揚げ餅蕎麦(冷製)。

ミサキさんはニシン蕎麦(冷製)。

 「五郎八」で料理の皿数を抑えめにしたのは「カフェゴト―」でケーキを美味しく食べるためである。

パウンドケーキ(ドライフルーツとクルミ)とあんずのタルトをハーフ&ハーフで。

彼女はいま、区役所での仕事のかたわら、この夏に予定している一人暮らしの開始というプロジェクトに取り組んでいる。候補地は彼女の大好きな谷根千(谷中・根津・千駄木地区)である。「自宅から通って、お金を貯めた方がいいよ」という意見が周囲には多いようだが、彼女の意志は固い。私自身は、一人暮らしへの憧れをもちながら、29歳で結婚するまで親元にいた人間なので、彼女の気持ちはよくわかる。いろいろ考えて、あるいは迷うことなく、一人暮らしをしたいなら、そうするのがベストである。結局のところ彼女の人生は彼女自身のものだからである。 その際、周囲の理解や了解は得られるに越したことはないし、そのための努力はすべきだが(一人暮らしは保証人がいないとできない)、あくまでも優先されるべきは本人の気持ちである。

自立は近代人の人生の目標のひとつとされている。一人暮らしはその指標の1つ(空間的自立)といえるものである。プロジェクトの成功を祈っています。

仕事終わりの卒業生と来たときは「カフェゴト―」には閉店時間(9時50分)まで滞在することが多いのだが、少しばかり帰宅に時間のかかる彼女のことを考えて、9時半に店を出た。

10時半、帰宅。


4月17日(月) 曇りのち雨

2017-04-18 11:47:33 | Weblog

8時、起床。

トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。朝の食卓に牛乳の並ぶ季節となりました。

午後、遅めの昼食を下丸子の「喜楽亭」に食べに行く。

この駅舎の中にはツバメの巣がある。駅員さんも見守っているのだ。まだツバメの姿は見えないが、そろそろだろう。

「喜楽亭」は改札を出てすぐ右手にある。

おや、暖簾は出ているが、入口の前に灯油缶が置いてある。

それに張り紙も。

普通の玄関の方から入る。

ご主人に「どうしたんですか?」と聞いたら、入口の引き戸はもう寿命で、修理を依頼しているのだがなかなか来てもらえないのだそうである。

「チキンカツですね?」と聞かれ、「はい」と答える。それ以外のものを注文したのがいつの頃だか記憶にない。

「喜楽亭」の定食はあれこれ小鉢がつく。堂々たる定食だ。

厚揚げと大根の煮物。

サラダ。

お新香。

プラス一品は毎回違う。今日はカボチャの煮物。

揚げとほうれん草の味噌汁。

ご飯。

いただきます。

いつものようにご主人とおしゃべりをしながら食べる。他に客はいなかった。

羊羹を一本いただいたのだが、鞄に入れるのを忘れて店を出てしまった。

下丸子の商店街を散歩する。

商店街の中心は西友ストアーである。

西友ストアーの前のお弁当屋(?)。甘団子やみたらし団子も作っている。

「下丸子ひろば」ね。貸出の空間のようである。

居酒屋「太郎」。共産党と公明党が共存している。

「青木商店」。串焼きとホルモンですか。井之頭五郎的気分になる。「いいじゃないか」

自宅の近所にもある「イルカ整骨院」。水族館で飼育されているイルカがジャンプのときに痛めた腰の治療に来るのだ。

とんかつを食べ、食後のコーヒーを飲むには理想的な配置だ。

インド・ネパール料理の店。近くに寄ってメニューを眺めたが、なかなか美味しそうだった。

子どもの頃に音楽教室に通っていたら私の人生も別のものになっていたかもしれない。

道端のミュージアム。

駅に戻る。

ちょうど蒲田行きの電車が来た。

帰宅する前に「phono kafe」に寄って行く。「行きつけのカフェ」というのはそういうものである。

コーヒーを注文。「おめずらしいですね」と大原さんが言った。

前にいた女性客二人連れが店を出た後、大原さんと「生き方」という真面目なテーマでおしゃべりをした。大原さんは一見おっとりしていて、天然系・癒し系のような人に見えるが、なかなか厳しい20代を生きてきた方である。『極道の妻たち』の岩下志麻の役だって、外見の問題があるので難しいかもしれないが、立派に演じられる人である。

新しいお客さんが入ってきたのを潮時に席を立った。

夕食はサーモンのムニエル野菜あんかけ、大根の葉と油揚げの炒め物、サラダ、卵の味噌汁、ご飯。

 食事をしながら『小さな巨人』の初回を録画で観た。『半沢直樹』+『シン・ゴジラ』の世界だ。これで町工場の身長190センチの社長の役が阿部寛であったら『下町ロケット』の世界でもあったろう。

ようやくブログが現在(前日)に追いついた。


4月16日(日) 晴れ

2017-04-18 02:27:53 | Weblog

9時、起床。

パン2枚(バタートーストとマーマレード)、サラダ、紅茶の朝食。

庭のハナミズキの新緑。

昼食は妻と「phono kafe」に食べに行く。「家族の時間」の日曜日だ。

ご飯セットを注文。 

大根とレンズ豆のスパイスマリネ(左) ベジミーとの唐揚げ(右)

ポテトもちコロッケ(2皿)

丘ひじきとキノコのゆず酢(左) さつま芋のきなこサラダ(右)

今日は今年最初の夏日になった。

日中の最高気温が25度を越えると夏日、30度を越えると真夏日、35度を越えると猛暑日と呼ぶことになっているが、4月で夏日というのはピンと来ない。春の夏日のことは春爛漫日と呼ぶのはどうだろう。ちなみに俳句には「春暑し」という季語がある。これを生かして春暑日と呼ぶ手もありそうだ。

 春暑し赤子抜き取る乳母車  二本松輝久

晴れていると日の暮れるのが遅い。「遅日」というのは好きな季語である。

 遅き日のつもりて遠きむかしかな  蕪村

階段の灯りを点けし遅日かな  たかじ

夕食は鶏の唐揚げ葱ソース掛け、刺身豆腐、サラダ、茄子の味噌汁、ごはん。

 

食後、しばらくして、妻とウォーキングに出かけた。 


4月15日(土) 晴れ

2017-04-17 13:00:14 | Weblog

8時、起床。

サラダと紅茶の朝食。禁断の深夜スイーツを食べてしまったので、お腹があまり空いていないのである。

11時に自宅を出て、大学へ。

戸山キャンパスの向かいの穴八幡の枝垂れ桜はまだ散っていない。

卒業生のミサさん(論系ゼミ3期生)が研究室にやってきた。年末に会ったときに短くなっていた髪がさらに短くなっていた。

研究室で少し話をしてから食事に出る。

八重椿はまだ咲き続けている。一輪一輪の寿命は短いのだが、なにしろ蕾がたくさん付いていて、それが次から次に開いているのである。

土曜日ということもあり、昼休みということもあり、空っぽの教室が多い。 

その1つに入ってみる。ここは基礎演習や語学の授業などで使われることの多い教室だ。

大学を卒業して丸4年が経った。在学中と同じだけの時間が流れたわけだが、そこに座ると、学生時代の気分に戻るものだろうか?

ホワイトボードの前に立つと、ゼミでの発表のときのことを思い出すだろうか?

昼食は「たかはし」で食べた。お店のポスターが店内の壁に張ってあった。お刺身定食だ。

髪が短くなってから、大きなイヤリングをするようになったそうである。

ポスターのせいではないと思うが、二人ともお刺身定食を注文。ご飯は、お店の方が私に「軽めですか」と聞いて来たので(最近はいつもそうしてもらっているので)、その気のなかった(?)ミサさんも「私も軽めで」と同調した。

お刺身だけでは不足な気がしたので、追加で肉豆腐を単品で一皿注文し、シェアする。これでおかずの心配はない。

食後の散歩は学生会館緒の隣の戸山公園へ。

すでに桜の見頃は過ぎたが、この時期の公園には2つの楽しみがある。

1つは新緑だ。これはこれからしばらく楽しめる。

もう1つは散った桜の花びらだ。こちらは本当にいまのこの時期しかない。

池の畔の枝垂れ桜の花びらが池の面を覆っている。いわゆる花筏(はないかだ)である。

まだ枝に残る花びらと、散って池の面に漂う花びら、その間にミサさんに立ってもらう。素敵な構図だ。

「頑張ります!」のポーズだが、お仕事がんばりますという話ではなく、恋に頑張るのである。今日は彼女の恋バナにとことん付き合いますよ。

公園の奥には「箱根山」と呼ばれる大きな築山がある。山手線内で一番標高の高い場所で、桜の名所でもある。名残の桜でお花見をする人たちがいる。 

見上げれば新緑、足元には初雪のような散った桜の花びら、その中を登って行く。

気持ちがいい。 

でも、最近やってしまった「失敗」のことを思い出すと、頭を抱えたくなる。

後悔には二種類ある。してしまったことの後悔としなかったことの後悔だ。彼女の後悔はその折衷型で、しようとしたのに、途中でやめてしまったことの後悔である。それは中途半端でしたね。ダブルでの後悔だ。

五合目あたりで回廊的な道に出る。二周して心を落ち着ける。

散った桜の花びらが山の斜面を覆っている場所で。

さて、一息に頂上をめざしましょう。

登頂成功(失敗する人はめったにいないだろう)。

山頂は見晴らし台になっている。一週間ほど前であれば、周囲はぐるりと満開の桜だったろう。

山頂には気持ちのいい風が吹いている。彼女は中学生の頃、広いおでこが気になって、将来、自分は禿げるのではないかと心配したそうであるが、取り越し苦労であったようである。広いおでこからは聡明な大人の女性の印象を受ける。

下山しましょう。

下山の途中でみかけたステージのような場所。

本日の浮遊。

ここから神楽坂にワープ!(注:実際は早稲田から神楽坂まで歩きました)

本当は「トンボロ」でスーパーグランドスラム(SGS)を達成する予定であったのだが、満席だったので、お隣の「SKIPA」に入った。

彼女はシフォンケーキとブレンドコーヒー(コーヒーは「トンボロ」からの出前)。

私は喉がカラカラだったので、冷たいシークワーサー(その後でさらにアイスチャイを注文)。

ここに来る途中の「かもめブックス」で彼女は『オズマガジン』(鎌倉特集号)を購入した。

 鎌倉を「決戦」の地と定めたようである。

雑誌ではいくつかのスポットが紹介されていたが、その中から、私は「材木座海岸」を勧めておいた。彼女もその気になったようである。 

材木座海岸・・・材木であれば、どこに流れ着くかは別にして、沈むことはあるまい。

命短し 恋せよ乙女

5時に店を出る。彼女はこの後、池袋のダンス教室の予約をしている。神楽坂を飯田橋まで下って、そこで彼女とは別れた。SGSは次回(夏カフェ)に持ち越しですね。その前に、ゼミ同期のサキさんの結婚式でお会いすることになりますが、鎌倉の物語はそのとき聞かせて下さい。

6時半、帰宅。

夕食はピーマンの肉詰め、冷奴と納豆、サラダ、豆腐の味噌汁、ご飯。

たくさん歩いてお腹が張ったのだろう、ピーマンの肉詰めを追加で2つ(計7つ)食べてしまった。