フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

9月19日(木) 晴れ (観劇篇)

2019-09-22 11:40:53 | Weblog

妻と午後5時過ぎに蒲田駅で待ち合わせ、西武池袋線の江古田へ行く。このところここに来る頻度が増えている。劇団獣の仕業の番外公演(The Out of Beast 2019)が7月、8月、そして9月と連続してここであったからだ。いずれも一人ないし二人の芝居で、通しタイトルは「よくない噂」(とくに噂話がテーマというわけではない)。いずれも一回限り、一夜限りの公演である。今回が最終回で、劇団salty rockが2016年に初演した伊織夏生脚本の作品を、立夏が脚色・演出し、手塚優希望と松本真菜美(salty rock)が出演する「楽屋~或いはとどまり続けることしかできな者達への詩~」である。

6時15分頃、江古田駅に着く。開園は8時、会場は7時半なので、まだだいぶ時間がある。駅前の唐揚げ屋で差し入れの唐揚げなどを購入。 

 「太陽」という名前の、『なつぞら』の天陽をちょっと連想させるラーメン屋に入る。

ラーメンと半チャーハンのセットに玉子をトッピングで追加。(妻は玉子付ラーメンのみ)。スープは煮干しベースのあっさりとした昔ながらのラーメンである。

コンビニで差し入れのビールを購入。普段、缶ビールなんて買わないので、いろいろな種類があることに驚く。

会場までまだ時間があるので、「タリーズ・コーヒー」で食後のコーヒーを飲む。 

 カフェオレを注文。唐揚げの、とくにニンニク風味の唐揚げの香りが拡散してゆく気がする。

開演の時間になったので「兎亭」へ。 

ここに芝居を観るのは7回目だろうか。芝居小屋としては一番多いのではないかしら。次は吉祥寺の櫂スタジオだろうか。 

「兎亭」という名前と図柄がかわいい。 

芝居が始まった。楽屋で二人の役者が鏡に向かって(という設定で実際に鏡台があるわけではない)化粧をしながらおしゃべりをしている。他愛もないおしゃべりだが、打ち解けているようで、心の扉を全開にしているわけではない、つまりよくみかける日常的な女子トークである。

開演前の楽屋風景と思っていると、どうも違うようである。舞台はすでに始まっている。途中から舞台に出るのだろうか。しかし、それも違うようである。「私たちはこの先も舞台に立つことはない」というような会話を交わしている。裏方ということか、あるいは控えの役者(万年二軍みたいな)ということか。しかし、裏方なら上演中は何か仕事があるはずだ。受付とか、照明とか、音響とか、フロアー係とか、少なくとも舞台のそでで、あるいは客席の後ろの方で、上演中の舞台を観ているはずだが、二人はそういうこともせず、相変わらず化粧をしながら、おしゃべりをしている。大きな劇団ならいざしらず、ここは小さな劇団らしいから、控えの役者なんて余裕はないだろう。では、一体、この二人は何なんだ。

(写真は立夏のブログより拝借)

しだいに二人がたわいもないおしゃべりではなく、演劇への思いを大きな声で熱く語る場面が増えてくる。そうか、そういうことか、と私は思った。二人は生身の人間ではなく、ゴーストなのだ。何かしらの理由で、劇団を去って行った者たち、しかし、演劇への思いは彼らの中に残っていて、それが一種の「残留思念」となって、楽屋に漂っているのだ。そう解釈すれば、すべてはつじつまがあう。もちろん「つじつまがあう」というのは、私の中でということで、「腑に落ちる」と言い換えてもよい。ああ、この芝居、「楽屋~或いはとどまり続けることしかできな者達への詩~」は、昨年の年末に観た獣の仕業の第13回公演「THE BEAST」と同じ「演劇賛歌」なのである。「THE BEAST」では最後の一人となったエンゲキジンが死んだ(辞めて行った)仲間たちの泥人形を作って稽古を繰り返しているところに、カンキャクの最後の生き残りがやってきて、もう一度芝居が観たいといい、芝居が始まるのだった。初演の順序からいえば、「THE BEAST」は立夏版「楽屋~或いはとどまり続けることしかできな者達への詩~」なのだという見方も出来よう。伊織夏生も立夏も、そして小劇団の主宰であれば誰でも、こういう芝居を書きたいと一度は思うものではなかろうか。それは「楽屋話」であるが、それを芝居として成立させてみたいという思いは、エンゲキジンにはあるのではなかろうか。

終演後、二人の役者に聞いてみた。「二人は生身の人間ではないよね?」「はい、そうです」。やっぱりそうか。

もう一つ聞いてみた。「演出の立夏からの注文は何かあった?」「二人で10になるように(15とか20ではなく)と言われました」。なるほどね。二人の役者は一つの「残留思念」の片割れなのであって、別々の二つの人格ではない。だから二人のおしゃべりは、実は、内的な会話なのだ。相補的なものであって、相乗的なものではない。二人の役者が張り合って、火花を散らすように演じるものでなく、一方が突けば、他方が引く、そういう芝居が求められたということだろう。「残留思念」の複雑性(いろいろな思い)はそういうふうにして表現されるということだろう。 

一つの一人芝居と2つの二人芝居で構成された「よくない噂」シリーズは今回で終わり。役者が少ないと言うことは、一人の役者にかかる負荷が大きいということだが、同時に、演じ甲斐も大きかっただろう。演出も、シンプルな構成で、芝居のというものの本質と向き合うことになったはずである。お疲れ様でした。次回は、ワイワイ行きますか。

「よくない噂」シリーズに登場した役者たち(写真は立夏のツイッターから拝借)

「兎亭」を出たのは9時過ぎ。家には10時半過ぎに着いた。

2時、就寝。


9月19日(木) 晴れ (社交篇)

2019-09-21 12:56:13 | Weblog

8時半、起床。

ロールパン、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

12時半に家を出る。すっきりと晴れている。鎌倉日和だが、今日は約束がある。 

12時45分に蒲田駅で卒業生のミサキさん(論系ゼミ6期生)と待ち合わせ、「まやんち」へ。 

予約はしていなかったが(というかうっかり忘れていて二日前にあわてて予約の電話を入れたのだが、遅かった)、しかし、運よくすんなり座れた。木曜の午後1時というのは最初の予約の人たちがぼちぼち席を立つタイミングで、ねらい目である。これが週末感の強い金曜日だと、待っている人も多いから、すんなりとはいくまい。 

彼女の左手の薬指にあるのは結婚指輪である。7月7日に入籍されたのだ。おめでとう。つい最近、妊娠されていることもわかった(3ヵ月目に入ったところとのこと)。それは重ねておめでとう。挙式は来年1月11日とのこと。式の開始は11時で11111の1並びだ。祝辞+乾杯の発声を依頼される。はい、わかりました。慶んでお引き受けいたします。

慶事の報告を伺うのに「まやんち」のアフタヌーンティーほど相応しいものはあるまい。(ただし木金限定) 

紅茶は私は静岡産の紅茶「紅」をチョイス。 

ミサキさんは私のおススメのネパール産の紅茶「ヒマラヤン」の春摘みをチョイス。淡い色合いのお茶で、白無垢の花嫁にお似合いだ。

この数か月は、いろいろと大変だったようだ。6月に引っ越しをしたのだが、その直前に彼が転んで怪我(左腕骨折)をした。引っ越しは彼女のご両親、彼のお母様に応援をお願いすることになった。骨折の方は、当初、ボルトを入れず自然にくっつくのを待ったのだが、なかなかそうならないため、再入院をして再手術となった(現在も入院中)。彼の怪我、引越、入籍、彼の再入院、妊娠と大きな出来事が立て続けに起こった。結婚式も来年5月を予定していたのだが、そういうわけで1月に変更した。慌ただしい数か月だった。すべての出来事は、よいこともよくないことも、それに対処するためにはエネルギーがいるし、ストレスフルでもある。短期間にたくさんの出来後を立て続けに経験することは、精神衛生上、好ましいことではない。彼女の場合、家族のサポートがあって、なんとか乗り切ることが出来たが、まだまだこれからという面もあるだろう。くれぐれも無理はしないようにね。

よい天気なので、散歩しながら、「HITOMAMI」まで行くことにしたが、途中、「ティースプーン」に立ち寄る。ここは彼女は初めてだ。 リンゴジュースを注文。

「ティースプーン」は10月から営業時間が、午後2時から7時までに変更になる(ワークショップをやる場合はこれまで通りお昼前からやるそうだ)。夕方、買い物帰りや仕事帰りに立ち寄る人が多いからだそう。これから日の暮れるのが早くなるが、夕闇の中に「ティースプーン」の灯りが見える風景はいいかもしれない。メニューも新しいものを考えているようである(教えてもらったが、ここで先行発表は控えます)。

 シマダさん(妹)お手製のコースター(200円)を4枚購入。「ノザワBAKE」で使われているのを見て、いいなと思ったものである。ミサキさんも2枚購入した。

 彼女は塩バターパンも3個購入した。彼の入院中は実家に戻って生活しているのだが、購入したパンは明日の朝食用(彼女と両親)である。。

ところで、シマダさん(姉)によると、今日、私のゼミの卒業生が、5カ月くらいのお子さんを抱っこして来店されたそうである。私のブログでこの店のことを知り、近所なのでやってきたそうである。「近所?」歩いて来られる範囲ということかしら。電車で数駅という範囲のことをいう場合もあるだろう。髪はショートで落ち着いた雰囲気の方だったという。う~ん、誰だろう。 

「ティースプーン」には30分ほど滞在し、「HITONAMI」へ。彼女はここは2回目。前回来て、とても気に入ったよでうである。お茶と、お茶受けにはスイーツではなく、惣菜を数品注文した。 

野菜の煮浸し。 

切り干し大根のアラビアータ。 

 彼女が「かぼちゃのコロッケもいいですか?」と言ったので、追加で注文。 

嬉しそうである。 

 「HITONMI」には1時間ほど滞在した。店を出るとき、オガサワラさんに写真を撮ったいただく。来週は「開店一周年記念ウィーク」ですね。

帰りは、池上通りでタクシーを拾い、大森駅まで行き、駅のホームで彼女を見送った。挙式まであと3ヶ月半。余裕ができたら、それまでにもう一度会えるかもしれませんね。

 (「観劇篇」につづく)


9月18日(水) 晴れのち曇り、一時雨

2019-09-20 22:14:48 | Weblog

6時、起床。

朝は秋晴れだったが、すぐに曇ってきた。

ロールパン、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

本日の『なつぞら』の名場面。離婚を決意した千遥がなつに言う。

「また家族になってくれる?」

「あたりまえじゃない」 

10時に予約した近所の整骨院へ。 母がよく通っていた。妻もよく通っている。私は初めて。体のあちこにボロが出ているので、調整をしてもらおうと。問診で治療方針を決め、マッサージを受ける。確かに楽になる感じ。明後日の予約をする。

昼食はカップヌードル(カレー)。もう原稿は終わったのだが、句会のブログがまだアップできていないので、食べながら書く。 

途中まで書いてアップして、1時に自宅を出て、大学へ。  

 今日は「ペアレンツデー」(父母会)か。

2時からKさんのゼミ論指導。和菓子を差し入れていただく。緑茶を煎れる。

1時間で終わる予定が、時計を見るのを忘れていて、20分―バー。この遅れは最後まで残った。 

3時(20分)からT君のゼミ論指導。アイスコーヒーを差し入れていただく。白湯をさしあげる。 

4時(20分)からKさんのゼミ論指導。 洋菓子を差し入れていただく。紅茶を煎れる。

5時(20分)からYさんのゼミ論指導。煎餅を差し入れていただく。緑茶を煎れる・

 大学を出たのは7時近くになった。

8時、帰宅。そのまま夕食の食卓に座る。 

原稿の完成を祝って(?)ステーキだ。 

デザートは葡萄。 

句会のブログを書き上げる。

深夜、風呂を浴びる前にウォーキング&ジョギングを約2キロ。

2時、就寝。


9月17日(火) 晴れ

2019-09-19 12:31:49 | Weblog

8時半、起床。

トースト、(昨夜の残りの)クリームシチュー、サラダ、紅茶の朝食。

今日の『なつぞら』。神楽坂の小料理屋「杉の子」のカウンター。NGワードを使わないようにように気をつかいながら、ギクシャクしつつも(聞かれてもいないのに過剰な自己紹介)、懸命に思いを伝えようとし合うきょうだいの会話は『なつぞら』名場面集に登録させていただきました。

 

私も天丼が食べたくなった。

しかし昼食はカップヌードル(白ごま担担麺)。時間の節約である。昼食までに終わると思っていた原稿は思いのほか手間取っている。文字数を制限内(2万字以内)に収めるのが大変なのだ。草稿の段階ならわけないのだが、ほぼ完成稿を削るのは、積木崩しの終盤に似て、ここを削ったら論文の骨子にダメージを与えるだろうというところばかりだ。必然的に削れるのは本筋からちょっと外れてはいるが興味深いディテールのような箇所になる。中央図書館の明治期出版図書コーナーに保管されている建部遯吾『社会学序説』(1904)を、コピーを申請する時間を過ぎていたため、閲覧室で手書きで書き写した引用部分も削らざるを得なかった。

結局、完成稿(字数は1万9千931字)をネットから提出したのは、締め切りの10分前、午後4時50分だった。

ふぅ・・・、闘いは終わった。 

アイスクリーム(爽)を食べる。 一種のアイシングである。

きれいな夕空だ。 

夕食は初秋刀魚。今年の秋刀魚はやせ気味である。 

デザートは葡萄。 

昨日のブログ(句会のこと)をまだ書いていないので、書こうと思ったが、それはマラソンを完走した後に中距離走に出るようなもので、体がいうことを聞かなかった。今日はブログの更新は休むことにした。

1時、就寝。


9月16日(月) 晴れ

2019-09-18 22:40:06 | Weblog

9時、起床。

トースト、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。

松本旅行の土産の「シェ・モモ」のキウイ&パイナップルのコンフィチュールを使う。 

お昼に自宅を出て、早稲田へ。今日は1時から「カフェゴト―」で句会(第35回)がある。 

早稲田の駅を出たところのファミマ&吉野家の前で卒業生のトモミさん(論系ゼミ6期生)とバッタリ会う。お互い、びっくりする。

「これからカフェ・ゴトーで句会があるんだ」

「早稲田に住んでいる友達のところへ行くところです」

彼女と会うのは(後からブログで調べたら)2016年の10月末以来だから、およそ3年ぶりである。少しの間の立ち話だったが、彼女の近況を聴いた。へぇ、そうなの(笑)。そろそろ秋学期の授業も始まるので、どうぞ仕事終わりにでも研究室に顔を出して下さい。ゆっくり話をしましょう。

立ち話をしているわれわれの前を「カフェ・ゴト―」へ向かう紀本さんが歩いて行く。

今日の句会(第35回)の出席者は7名。主宰の紀本さん、関西(芦屋)から法事で東京に来られた渺(びょう)さん月白さんご夫妻、出産後10カ月で久しぶりの参加の萬笑(ばんしょう)さん、出産2ヶ月の恵美子さん、私、そして今回が初参加の娘の立夏(敬称略)である。初参加の人がいる場合は全員が自己紹介をする。娘は私より一足先に「カフェゴト―」に到着したが、何もいわなくても私の娘であるとわかったようである。

各自がドリンクとケーキを注文。

                                                       

 私はタルトタタンとアイスアップルティーの林檎コンビ。「リンダ・リンダ」ならぬ「リンゴ・リンゴ」だ。

さて、本日の作品は集まった7名に、投句参加の蚕豆さんとまゆこさんの作品を加えて、27句。まゆこさんは選句にも遠隔参加。 選句は各自が天(5点)1句、地(3点)2句、人(1点)2句の計5句を選ぶ。

私が選んだのは以下の5句。

 天 図書館は夕立の底我は魚

 地 書初めの大志消えても床の染み

 地 台風がさらう憂いや月曜日

 人 本日は図書館休館秋刀魚食う

 人 青稲穂風の形を示しおり 

全員が選句の結果を発表し、点数を集計した結果は以下の通り(作者は講評の後に明かされた)。

15点 現世には用のない蝉だっている 立夏

 立夏の句。渺さんと恵美子さんが天、紀本さんが地、月白さんとまゆこさんが人を付けた。ビギナーズラックで今回の特選句となった。蝉が一生の最後の7日間を地中から出て地上で過ごすのは生殖のためだが、そういうつもりはさらさらない蝉だっている、というシニカルな句である。選者の感想を聞いていたら、中には、この句を蝉の側からではなく現世(世間)の側から見て、社会にとって無用な蝉(人間)もいると解釈したものもあった。

11点 図書館は夕立の底我は魚 渺

 私とまゆこさんが天、恵美子さんが人を付けた。図書館というのは独特の空間である。知識と静寂。それが夕立ちの中で、まるで海の底に沈んでいるような感じ。恵美子さんはこの魚は動き回っていると見たが、私は深海魚のようにじっとしていると見た。この「我」は傘がないのかもしれない。あるいは調べものが終らないのかもしれない。だから図書館を出られずにいるのだ。

10点 栗ごはんただのひまつぶしからの愛 紀本

 立夏が天、萬笑さんが地、渺さんと月白さんが人を付けた。私は「栗ごはん」でいったん切れると見た。ひまつぶしで栗ごはんを作っているわけではない。栗ごはんを作りながら(あるいは食べながら)、この人とはほんの暇つぶしのつもりでつきあいはじめたのだったなぁ、それが・・・という気持ちを詠んだ句である。もしも食べているのが栗ごはんではなく鰻飯であったら、「ひつまぶしひまつぶしからの愛」となるところだった。

 9点 書留をどこで出すのか月に聞く 紀本

 萬笑さんが天、渺さんが地、立夏が人を付けた。私はこの句を読んで、夜に書留を出すなら本局に行くしかあるまいという感想しかなかった。しかし、いまの若い人は書留というものがどんなものかそもそも知らない人がいるらしいと知って驚く。ノートに書き留めておこう。

 8点 靴裏に紅葉ひとひら深夜二時 まゆこ

 月白さんが天、萬笑さんが地を付けた。月白さんは「深夜二時」に惹かれたようである。「昼下がり」とかではダメなのだ。ここは「深夜二時」でなくてはならないと。ここには犯罪の匂いがする。たとえば山中に死体を埋めて、深夜に家に帰ったら、靴裏に紅葉の葉が張り付いていて、あとからそれで足が付くのだろう。

 7点 秋虹や淡しスマホを下ろしけり まゆこ

 月白さんと立夏が地、萬笑さんが人を付けた。「淡し」が秋虹そのものをさすのか、スマホの画面(写真)に写る秋虹をさすのかで解釈が分かれたが、私は前者。理由は「淡し」が終止形だからである。もしスマホ(の画面)の方にかかるなら「淡き」となっていなくてはならないだろう。「秋虹や淡し」だからスマホのカメラではよく撮れないので、撮るのをあきらめたという句である。

 6点 書初めの大志消えても床の染み 立夏

 月白さんと私が地を付けた(もちろん私はこれが娘の作品であるとは知らなかった。インサイダーではありません)。句の意味はよくわかる。ただし、この句の問題は、「書初め」(「書初」と表記するのが俳句では一般的)が形式上の季語にはなっているものの、そこから時間が経過しているわけでから、この句を読んでいるときの季節が不明で、実質的には無季の句になっている点である。

 5点 墓洗う縺(もつ)れる足もご満足 蚕豆 

 紀本さんが天を付けた。紀本さんの実家は広島の呉で、坂が多く、お墓も坂の上にあって、そこまでいくのが一苦労らしい。そういう実体験がないとなかなか選べない句であろう。ところで「ご満足」しているのは誰なのだろう。墓参りをしている人なのか、墓を洗ってもらっている人(仏)なのか。 

 4点 思い出し笑いエダマメ一つ剥く 月白

 立夏が地、まゆこさんが人を付けた。この感覚は女性独特のものではないかと思う。「エダマメ」は「枝豆」、「一つ」は「ひとつ」と書いた方がよいのではないかという指摘があった。声に出して読めば同じだが、見た目、字面的にはその方がよいと思う。「思い出し笑い枝豆ひとつ剥く」。

 4点 本日は図書館休館秋刀魚食う 萬笑

 紀本さんが地、私が人を付けた。何と言っても「図書館休館」のリズムがいい。昔、「虫刺されにはキンカン」のCMソングに、「ミカンキンカン酒の燗嫁御(よめご)持たせにゃ働かん」という歌詞があった。語呂がいいので、子ども心にも記憶に残っている。それに倣えば「秋刀魚食う」は「秋刀魚缶」となるだろうか(意味は分かりにくいですが。

 4点 日付のみ書きのこされて鰯雲 まゆこ

 渺さんが地、立夏が人を付けた。二人とも「意味はよくわからないけど、なんとなく惹かれるものがある」という感想を述べた。私もこの作品には何となく惹かれた。でも、私の場合は、意味のよくわからない作品は採らない。多くの場合、それは推敲不足が原因だと思うからである。 

 4点 台風がさらう憂いや月曜日 立夏

 私が地、萬笑さんが人を付けた。先日の月曜日に関東地方を襲った台風(私は松本にいて体験しなかった)。非日常的な状況がいつもの月曜日の憂鬱(ブルーマンデー)を払拭したということである。ちなみに立夏はその日、出勤途上に池袋で立ち往生して、駅の近くのカフェで2時間を過ごした。これはそのときに作った句である。

 4点 夏草のプラットホーム国老いぬ 渺

 恵美子さんが地、紀本さんが人を付けた。地方の無人駅の風景である。恵美子さんはこの句から芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」を連想した。私は杜甫の「国破れて山河在り 城春にして草木深し」を連想した。 

 4点 青稲穂風の形を示しおり 萬笑

 まゆこさんが地、私が人を付けた。風は目には見えない。だから風を詠むときは風になびく事物を詠むことになる。この作品では青い稲穂がそれである。端正で美しい句だと思う。 

 3点 遠雷や名付けられない気持ち在り 月白

 まゆこさんが地を付けた。若い頃、立松和平の小説が原作の『遠雷』(1981)という映画を見たことがある。その中で殺人事件が起こるのであるが、そこからの連想で、この句の「名付けられない気持ち」は「殺意」ではないかと思った。「あり」ではなく「在り」としたところにその思いの重みがある。

 3点 定年後書痙の夏を友とする 蚕豆

 恵美子さんが地を付けた。作者がわかった後で、「彼はフリーランスの編集者だから定年は経験したことがないよね」と渺さんが言った。実体験ではなくてイマジネーションで作った句であるということ。ちなみに私は定年退職まであと5年半ありますが、この夏は書痙を経験しました。字を書き続けて(キーボードで打ち続けて)いると指が震えたり、痛みが走ったりするのです。

 2点 過ぎゆくは書きたきことのありし夏 たかじ

 私の句。渺さんと恵美子さんから人をいただいた。個人的な意味は原稿に明け暮れた夏であったということだが、一般に読まれる場合は、書き残しておきたい出来事のあった夏だったというふに解釈されるだろう。それでよい。

 1点 雲の峰包囲されたる城下町 たかじ 

 最後も私の句。紀本さんから人をいただいた。松本旅行のときの句である。こんな感じだった。「写真と俳句」は相性がいい。どちらも「世界を切り取る」ものだから。

次回の句会は11月17日(日)午後1時から「カフェゴト―」で。兼題は「白」(特選句の作者立夏が出題した)。

句会の後、紀本さん、渺さん、月白さん、立夏、私は「タビビトの木」へ。

私と立夏は昼食がまだだったのでカオマンガイを注文。

 カオマンガイは海南鶏飯あるいは海南風チキンライスともいう。茹でた鶏とその茹で汁で炊いたご飯である。それだけだとあっさりしているが、お好みでナンプラーやニンニクをかけて食べる。海南とあるとおり、東南アジアの沿岸地域に広まっている料理である。

セットのドリンクはアイスカフェオレをチョイス。 

「タビビトの木」には1時間ほど滞在。店を出て紀本さんと話す立夏。今日は楽しかったようである。立夏は短歌の心得はあるが、俳句は初めて作ったそうだ。なので最初は短歌をもっと短くしたものが俳句だと考えたようだが、しかし、それでは表現したいことが表現できない。俳句は短歌(57577)の上の句(575)とは違うもので、短歌を作るときとは心構え(基本原理)が違うのだということに思い至ったようである。

月白さんとのツーショット。

後ろ姿もダンディーな渺さん。 

二人はこれから5時の新幹線で芦屋のご自宅に戻る。次にお会いできるのはいつかしら。 

蒲田に戻ってきたのは5時半。 

夕食は7時半。 

妻がどこぞやのパン屋でバケットを買ってきたのでこれを夕食に食べようということになった。 

パンには何が合うだろうと考えて、クリームシチューになった。下の句が先に決まって後から上の句ができたようなものである。 

クリームシチューだけだと単調かもしれないので、タラコのペーストとツナマヨネーズを添えた。 

 それとサラダ。

デザートは梨。 

さて、原稿書きだ。

4時、就寝。