King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

麦畑

2005年09月26日 23時07分27秒 | 日々のこと
今日は久しぶりに走りました。34分台で走れました。
まだ風邪で、のども痛いし風邪声ですが、どうにか
気持ちよく走れました。

色々仕事が忙しくなりましたが、それとは別にプライベートも
色々ありてんてこ舞いです。昨年の年末の旅行は、ちょっと無謀な
ところがあったかもしれません。今年は、是非広島にドービニの庭を
見に行きたいのです。しかし、それをみたらテキサスのドービニの庭も
観たくなり、オランダの野原と青い空もきっと見たくなるでしょう。
テキサスとオランダに行くというまた無謀な計画も立てるでしょう。
その前にまずは、すぐ手の届く広島に行かなくてはいけません。

黒澤明監督が『8月のラプソディ』を撮った時、ゴッホのような麦畑を
撮るんだといいました。このときの麦畑は私は長年どの絵のことだろうと
思っていました。つまりゴッホの麦畑と言えば、あの鳥のいる麦畑を指します。
黒澤明が言ったゴッホの絵のような黄金の麦畑とは、どんな風景なん
だろうとずっと引っかかっていました。死の間際の絵で鳥のいる麦畑は
自分の死を予感して黄金に輝く麦畑と不吉な鳥と暗い空を書いたと良く
作品の解説には書いてあります。私もこの絵の実物を見ましたが、目を
背けたくなるような、怖気を奮う暗い光があふれています。しかし、実際に
彼が自殺する原因になったものはこの絵のような自分の病気に対する恐怖や
絶望ではありません。彼は確かに狂っていて、今日気があの独特の絵を描かせた
という認識の人が多いと思います。しかし、一連の作品を見る時に狂人の
描き殴りなどとは違う魂の咆哮をどの絵からも聞く事ができます。

多くのテレビの番組や特集で日本人の好きな画家のゴッホは取り上げられ
その代表作はなじみの深いものです。しかし、彼の狂気というイメージと
病気による自殺という誤った見方は誰もが常識と信じて持っているものでは
ないでしょうか。私もあの暗い麦畑と耳きり事件とサンレミの精神病院に入院
という事実を見る限り、狂人ゆえになしえた行為なのかと一時は信じかけた
ものでした。しかし、絵を観れば観るほどそんなイメージとかけ離れた
彼の世界に浸れました。彼が精神に異常をきたしたのは事実としても自殺や
生きているときにはまったく誰にも理解されなかったということはないという
見方に落ち着きました。よくエピソードに絵が一枚しか売れなかったとか
鶏小屋の穴ふさぎにされていたとかいうものばかりが有名になってしまい、
歴史的事実として、画家仲間では一目置かれる存在だったことや展覧会で
評判を呼んだことは知られていません。やはりドービニの庭を見て彼の
死の間際をそこから感じ取りたいと思います。黒澤明が言った麦畑もきっと
この死の地で描かれた『野原と青い空』のことなのでしょう。最後に描かれた
この絵たちは、どれも病人や狂人が描くような暗い絵ではないのです。生きる
事にあふれた明るい絵であり、何かの幸福を描いたものなのです。
コメント
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