King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

ドービニの庭

2005年09月25日 23時13分36秒 | 日々のこと
ゴッホの作品は日本にも数多くあります。
日本人はゴッホなら何でもいい様に感じるのか、
アルルで修行時代の暗い絵のものでも何でもありがたがります。
制作期間が短いわりに数多くの作品を残し、それがまた
散逸を免れ多くが一人の手元にあったから、あれほどの人気
と影響があったのでしょう。死んでからもすぐに人気が出たわけでも
なく、多くの画家の中でも彼の芸術は仲間内でも認められ
ただ一般的な人気というものにつながるのに時間がかかったのです。
作品だけじゃなく、彼と彼の弟のテオとの間の手紙も絵と同様に
有名で、多くの人に読まれています。

私も大好きな画家のひとりです。
そして、最近広島にドービニの庭があると知りました。これは観に
行かなくてはなりません。ドービニの庭は、世に二枚あり、それは
彼がしぬ直前までにかかれたものだといわれています。この絵には
その死の意味が描かれていて、まさに死をイメージさせたあの鳥のいる
麦畑以上に重要な絵です。できればふたつの絵を間近で較べてみて
みたいものです。もうひとつは、テキサスにあります。面白いことに
そのふたつは同じ絵のはずなのにまったく感じが違うのです。
ひまわりなど同じモチーフをいくつも描く画家ではありますが、
それはある着想を得て、少し変化を求めるにしてもこの二枚は
まさしく物語のようなものです。そして、その後ゴッホが死を選んだ
事を考えれば、この画境にこそ死の意味があるといえます。

皮肉なことに、ゴッホの麦畑というとあの鳥のいる暗い方の絵を
さすのですが、死ぬ間際に描かれた麦畑は、なんとも明るい麦畑
です。広島のドービニの庭もそのように明るい庭なのです。彼は
その明るい自然を描きそこにもはや自分のいるべきものやるべきものがない
事を表現したのか。例えばあの鳥のいる麦畑は、実際に暗い空の時に
鳥があんなに群れ飛ぶ様と黄金に輝く麦畑が同時に存在する方が
おかしく、その異様な様はまさに死の予感をありえない怒りを
ひしひしと描いたものの感情の爆発を感じさせます。それが、ドービニ
の庭には、暗い風景の中、落ち着いた風景があり、静謐があふれる
人の生活を感じさせる庭とその奥に建物があり生きる意味がその建物から
にじんでいます。広島の庭は花が咲き庭には明るさであふれ、奥の建物
は丸でお墓のようにひっそりとしています。この見事なコントラストは
やはり彼の死の意味を語りかけているに違いありません。最後の麦畑は
まだ観た事がありません。オランダのゴッホ美術館にあります。
ゴッホの絵は、簡単に真似できることから贋作が多くあるそうです。
しかし、それを見分けるのも簡単なのだそうです。今では300年経って
いますので余計偽物は出にくいようです。絵のタッチは、太い筆でゴキゴキ
描いていけば似た感じになりそうです。ただ彼の作品は、見ればそのタッチといい
構図といい、彼独特の物があり、彼の宇宙を知り尽くしていないとすぐ
ぼろが出ます。300年経っても観られるのですからすばらしいですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする