King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

今日は虎屋の羊羹だった

2007年09月04日 23時48分36秒 | 日々のこと
実は、昨日のバトルにより自分の走りに何か変化を
感じでいました。というのも、いつもはへこたれながら、
自分に言い訳して遅く走っていたわで、ちょっと挑まれたら
それにのって競ってしまうということは、普段からもっと走れる
のに走っていないので、意識のもっていきようでどのようにも
走れるということを強く自覚したのです。

そんな事を考えながら午前中の用事を済まし、久しぶりに
暑くなった30度越えのぶり返しを楽しみました。
もはや夏ではないとはいえ、まだすずしくなってはもったいなと
いったところですが、少し引っかかることもあります。

自分に言い訳しない人もいるのだろうか。
自分にどう納得させるかで人は苦労するものです。最近
鬱病で仕事をやめる人や、若年性のアルツハイマーやボケ
で仕事ができなくなる人が増えています。これらは強いストレス
社会の犠牲者といわれています。しかし、彼らは競争社会の
ひずみの中ではじかれただけなのでしょうか。そして、私は彼らと
どの程度の差があるのか、やりたいようにやっているようでもこれは
なかなか自分に納得させるのは難しいと最近かんじる事があります。

そんなわけで、午前中まったく動かなくなった相場をあきらめ午後は
昨日録った『キルビルvol2』を見ました。午後はこの映画ですべて
つぶれました。これは一作目とまるで雰囲気が違いどうして同時期の
映画なのにこんなに違うのかと思いました。一作目が完全に漫画で
手足が千切れたり血飛沫が威勢良く飛び出したり、現実無視の
ストーリーで意味のないものと割り切ってみられましたが、今回のは
なんか意味深な、どこかの映画で見たようなシーンばかり出てきます。

はじまり方の白黒のシーンもよくある展開です。しかし、ひとつひとつ
見ていくとやはり意味が無いのです。中国の武術の達人に弟子入りしたり、
必殺拳の話とか、漫画や映画の中の話を出してきただけで、なんの
意味もない低俗映画なのです。しかし、なんか何の意味だろうかと
つい見入ってしまうものがあるのです。台詞などもどこかで聞いたような
台詞であり、聖書の中の言葉のような引用も実は誰かの映画での
台詞とかこの監督には多いことです。

全てを馬鹿にしているようでいて、強い憧れゆえに真似られたような
人生もこんな意味のないことなのかとふと思ったりします。
見終わったら、昨日の走りから一皮向けた自分を確かめる走りに
行きます。結果は後に語るとして、夕飯の後にもらった虎屋の羊羹
をいただきました。つい先日隣町のお気に入りの羊羹が実は、虎屋に
負けていたと書きましたが、どうでしょう。今日食べたら、ひと口目の
風味では、隣町の太田甘池堂の羊羹の方が鮮烈です。

虎屋の方が、味が一味で単調であり、それはただ甘いだけに変わり
あれこんなもんだったけとなりました。甲乙付けがたいということか。
コメント
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