King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

ステタンに思う最後のやきいも

2009年03月13日 00時03分03秒 | 日々のこと
何かを静かに考える時に、何かが年とともに経過する時間が
そのまま何かに変わって降って来て、身の回りに静かに積もる
そんな気配にはっとする時が人にはあります。

山にはまだたっぷり雪があるのに、中々出かけられない今の
状況や、すでに走ると汗にまみれるようになったこの気候にも、
すでに忘れ去られた物事が何かに焼かれて灰になり後背に霞み
後は、鬱々と積もるのみです。

昨日は、いつもの用事で月に一度出かけるとなりの町に行き、
待ち時間で、忘れてしまったかのような公園の跡地とそこで
飼われていた鹿を眺め、これでこの冬最後かといつもの焼き芋
屋さんで芋を買いました。

つい二三日前にも、冬の終わりを惜しんで、図書館の近くの
人気のたい焼き屋でたい焼きを買ったりしました。それは、
八海山の帰りにたい焼きの幟を見かけたのも原因のように
思います。たい焼きはまた今年値上げとなっていたようですが、
人気は相変わらずで、いつも買い求める人の車が店の前に止まって
います。私は、ひとつしか買わないので中々並んで買う気にも
ならずやっとこんな時期に買うことになりました。

そして、その前には、これまた図書館近くのお菓子屋でイチゴ大福を
買ってありました。ここで断っておかなくてはいけないのは、私は
決して甘党ではなく、むしろ甘いものは極力食べたくない方なの
ですが、世の中例外というものがあり、これだけは一冬に一度は
食べるというものや、この時期はこれは食べなければというものが
いくつかあるのです。

そして、それはただ単にはやりものをなぞるというものでなく、
今まで歩んできた歴史を反映したものであり、何かを確認するかのように
毎年毎年それらの食品は楽しむのです。
そして、はやりものといえば、最近スタバのステタンというもの
に大変興味があり、そのシステムというか、それを集めている人の
話を聞いたことから、へえそれ買いに行ってみようかということに
なったのですが、携帯タンブラー自体は年中あるものの、ステンレスの
ものは、期間限定であり、スタバのホームページにすら載らず、いつ
発売するかも載らないのです。

なおかつ、地方限定とかご当地とかいわいる裏メニュー的な扱いに
なっており、売られれば売られたで、すぐに売り切れるといいます。
こうなってくるとほしくなるのが人情です。
はやりものに踊らされる人をこのブログにも嘲笑の的としてとりあげ
ていましたが、最近は落ちぶれたのか大衆に迎合する楽しさに落ちたのか
はやりものをいつの間にか味わってみることもままある自分がいます。

これは分析してみると、誰からも現代の状況分析など依頼されることも
なく、時代の今を問われることなどなくてもニュースや新聞を隅まで
読んで世の中とともに歩んでいる自負を持ちたがるのに通ずるところが
あります。人は時代に取り残されないようにあがくのです。

それは時に人より先を見据え先に行こうとする行動なのでしょう。
もうそんな必要がないと思った人は、新聞も読みませんし、人との
交流も少なくなります。最近は、そうでなくても新聞を取って
なかったり、新聞を読まないやからが増えていますが。
コメント
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