King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

ダンダダ、ダ、ダ、ダンダンさすらい人と天井桟敷の人々

2009年03月23日 00時32分24秒 | 日々のこと
シューベルトの幻想曲ハ長調『さすらい人』がさっき名曲探偵
アマデウスを見てからずっとあのピアノの旋律が頭から離れません。
すっごくを解りやすい和音の繰り返しで、耳に残るのです。
こんなので新たな旅立ちに出る人ってどんなやつだ。
まるで行進曲のような元気のいい幻想曲もめずらしい。
今まで、シューマンの幻想曲を聞いていて、それとはまるで
違う曲調なのにこれも幻想曲なんだとは驚きです。

雨が最近良く降りますが、先日の武甲山の入り口を見て以来
自宅から見える低山に出かけてみようという気持ちがふつふつと
沸いてきます。

やはりこの季節になると、山に行って山菜をとる時期になったと
感じるとともに、あのいつも小学校の校庭から見ていた二子山に
妙に行ってみたくなったのです。いつもあの頃は、いつか大きく
なったら行ってみよう、いや行く時が来るはずだとずっと思い、
高学年になり、十分体力も付き、二子山よりも高い山にも登り、
キャンプや釣りや色々な冒険も経験してもいつも目の前にある
山には行ったことがないままでした。

中学になるとその山より遠い堂平や正丸峠などを自転車で走破
するようになり、谷深く釣りに出かけたりもしました。しかし、
目の前の山はまだ未開の地のままで、有名な伊豆ヶ岳とか雲取山
などは登りましたが、誰も知らないの様な低山は省みられること
もないのです。

そんな里山のような所で人が遭難してしまったり行方不明に
なってしまうのが、今の世の中です。普段山歩きをしない
私が突如山に行くと近所の山に入って行けば、これは首吊りに
でも行ったと騒ぐ人もいるでしょう。

ほんの散歩的な時間しかからない所ですが、とても昨日から
今日にかけて行ってみたい所の最先端に急浮上しました。

昨日の深夜に見た『天井桟敷の人々』のさまざまなシーンと
せりふとともに、この二子山の姿が今頭の中に去来しています。

天井…は昔テレビでやった時にビデオにとっておき見ようと
思っていたものの、結局一度も見ていませんでした。しかし、
昨日何気なく見始めて結局最後まで見てしまったのでした。
途中に休憩が入るながーい映画なのにとても途中でやめる
わけに行かず、ビデオにとって寝る気にもなりませんでした。

それだけこの映画の世界に引き込まれたのです。白黒で馬車が
走り、侮辱されたとなれば決闘を挑むような時代の話になんで
引き込まれたのでしょう。天井桟敷というのは劇場の一番上の
階の立ち見のような席で、一番値段も安い所です。つまり、
天井桟敷の人々とは一番娯楽を求めている労働者階級の人を
指し、バルコニー席にはシルクハットの貴族がいます。

つまりそんな格差社会でありながら芸術を愛する人達は
芸術の前では平等であるという社会風刺が成り立っています。
当時のパリには、ごろつきや人殺しや泥棒や役を求める役者や
パントマイムの芸人やピエロにとにかく劇場を中心に綾なす人間
模様に目が離せなくなるのです。

最初にビデオにとったときも難しい文学調の作品だと思って
中々再生しなかった記憶があります。当時も評論家やコメンテーター
などから大絶賛でしたが、白黒映画だし何であの頃話題になった
のでしょう。もしやリメイクした作品なのかと思ったらそうで
もないようでその辺は謎です。

大体この作品の構成も謎に満ちていて、なぜ演劇の集大成がオセロ
なのかとか映画の中で演じられる舞台が『宿屋』であったり、映画
中のストーリーが劇中劇の中で入れ子状態になってただの三角関係
でなくて入り組んで複雑になり、いつまでも映画の中からはなれ
られなくなる構図なのです。

ですから私の頭の中も、春→山菜→武甲山の鳥居→登山、神社の
お祭り→幼年期の記憶→二子山→シューベルト→幻想曲→さすらい人
→天井桟敷の人々→格差社会→芸術→恋愛のもつれ→さすらい人
→登山→二子山と色々とねじれて絡まってダンダダダーダッダッダ
とピアノがなり続けています。

人生は美しい。
コメント
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