King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

零れ落ちるもの

2009年09月24日 14時10分26秒 | 日々のこと
何につけ全てをカバーするのは不可能であり、
全てに満足ということはありえないのです。

とそんなことは百も承知なのに、その零れ落ちるもの
たちに、重要な全てを決するような価値が含まれて
いたり、喪失感に苛まれたり、身のこげる思いにはっと
したりするものです。

そんな過去を思って、ちきしょうと声を出したりして
周りから顰蹙を買うそんな時が増えているように
感じる今日この頃。

圧倒的支持で誕生した民主党政権も、全ての人に歓迎
され、みんながその政策を支持していたかのように
感じたのもつかの間。

新聞の社説では、早くも現実のギャップに躓いて外交
デビューで苦い現実に直面するような、ミスを予測
するようなものを見たり、担当大臣の働きにはやくも
暗雲が立ち込めているかのような記事ばかりです。

亀井郵政金融相の返済猶予法案には批判集中で、経済
原則や歴史的な失政につながると書かれていますが
本人は意気軒昂に推し進めています。週刊誌まで
書き出し突っ込みどころの多い船出となりそうです。

しかし、ここで注意すべきはマスコミの取り上げ方
です。

ダム反対報道では、中止反対派の声ばかりで賛成派の
声は滅多に報道されません。

新聞でも失敗を期待するような記事が多く、いつから
こんな調子になったのかと改めて考えてしまいました。

先日ビートたけしがTVタックルで、現政権に望むこと
というコメントを言った時に、抱いた違和感と同じ
物かもしれません。

ビートたけしは、今一番望むことは教育だねといい、
日本人は誇り高く、例え負けても反則などはしないし、
誰でもいいからと無差別殺人をしたりしなかったと
いい教育の失敗をあげていました。

でもそれは散々暴力を美のように描いた映画を撮って
おいて、本来の日本人ははないでしょう。

過去の天皇を抱く誇り高い民族だという教育を望んで
いるのでしょうか。

日本人は今までは激しい競争にさらされて社会の何割かは
確実に負けていく社会というのは経験していないのです。
そして負けていく人は二度と立ち直れないようなのが
今までの社会で、急激に増えた生活保護世帯と失業者に
ただお金をばら撒くだけでは、経済は立ち行きません。

かつての高度成長社会では、全ての人に社会に座るべき
席があり、それだけの収入の道がありました。労働力が
足りず海外からも多くの人が働きに来ていました。

それらの人の扱いも法整備もあいまいなまま経済危機を
迎え、自分たちの足元をより踏まえて立つ意識が重要と
なったのです。それを踏み出そうという時に、みんなで
足元を危うくしてどうするのでしょう。

手から透けてや落ちてしまうものはこれからもあるでしょう。
しかし、多くのものはしっかりと手に残す努力を
あきらめないことです。

コメント
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