King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

味は関係ないってことで

2009年09月30日 12時54分59秒 | 日々のこと
今週中ずっと探していたサイトがやっと
みつかりました。

これにこだわったのは、土曜に行った皇琲亭の
評価を比べたかったからです。

しかし、有名自家焙煎めぐりサイトにも載って
いないのでどうなのかと気になっています。

実は、自分がおいしいと思った店はなるべく
教えないようにして、自分だけで楽しむのが
ベストなのは世の習いです。

概ねラーメン店でも飲食店でもそうですが、マスコミ
に紹介されると客が殺到し、その内かつての味も
失われるということが日々繰り返されています。

変なファンが出来て方向性を見失ったり、その人達の
間だけで通じる世界など作ってしまうのです。

だからお気に入りの店などは人に言ってはいけません。

何十年も同じ味を守っていたり、さらに進化していると
思わせる店もありますが、多くはみんなあるピークを
迎えると並みの味に変わるのです。

ただ、世間に認知されて評判を作るとそれだけで
客は殺到し、それに慢心するとさっと客も引いて
しまうので店もなくなることが多いのです。

それでも日常的に指示されている店は、町の顔として
なくなることもなく伝えられた味を残すのですが、
実は客が変わってくれるのを見守っていることも
あるのだという例もたまに見かけます。

不思議なことは、味がいいと評判の店がなんだという
ことがとても多いことです。

古い情報が生きていたり、イメージだけが定着して
いるというのもありますが、珈琲に限っていえば
味はあまり関係ないのではないかということです。

というのも最近はおいしい豆が鳴り物入りで紹介され
るようになっているのですが、それが果たしてうまい
かというとそうでもない店も多いのです。

となれば商売として成功するコツというのがあると
いえます。

おいしい豆がおいしい珈琲になるのは当たり前で
あまりに当たり前だと誰も喜ばないので、どこにでも
あるものが感動を呼ぶような仕掛けが必要なのでしょう。

だから、最近流行のカップオブエクセレンスとスペシャル
ティなんてのも高けりゃうまくて当たり前で、なにげない
日常的な値段のものが、あの人が淹れると絶品となると
それだけ注目が集まります。

要は個性であり、だましのテクニックですね。

本当のおいしい珈琲なんてのは、行列店にはないと
いうことです。
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