King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

入浴剤に思う

2010年12月15日 23時10分08秒 | 日々のこと
洗心講座の時代感覚について補足しておくと、
現在のように長く不況が続く世になると過去の
出来事と言うのはこの不況を救うお手本として
よく参照される事になるのです。

ただ、これだけグローバル資本主義がすすみ、
金余りという状況で、過去の教えや教訓がどれだけ
足しになるかと言うことです。

歴史を知らないと国を滅ぼすということで、
古典にあたるというのはそれはそれで意味がある
のでしょう。

しかし、その歴史と言うと日本の古事記や日本書紀
ではなくて、中国の古典であり、孔子や孟子、老子と
いった思想です。

そういった思想も世界の最先端であり、諸々の思想の
頂点に立っていた時期もあったでしょうが、現在の
複雑な社会にまだ通用するものでしょうか。

海外では、今でも東洋の神秘としてその思想の中心を
研究するためこういった思想を研究し、中国や東洋で
交渉するときには文化研究の一環に参照されることも
あります。

ただ、それは分析であり、日本のようにただ盲信する
事はないのではないでしょうか。

まあ現代人もシラナイよりはしっておいた方がいい
程度でしょう。

洗心講座で何度か触れられていた貧で清であること、
なんてのも高度成長期には有用な警句であったのですが、
今のように望んでも豊かさがない状況では、がまんに
がまんを重ねよと言う無用なあつかましさに聞こえます。

例えに役人を辞して故郷に戻るときに退職金を沢山
もらった人が、毎日宴会をして散在して言うには子孫に
残す田畑は先祖伝来のものが既にあり、金を残しても
しょうがないので使ってしまうのがいいのだという
話です。

似たようなたとえで、役人が辞めて死んだあとに財産
が沢山あるようだと在職中に仕事に励まずに蓄財したと
思われるので金など残してはいけないと言う話に通じます。

また、世に出る立派な人はみんな貧しい。

勝海舟などは米を炊くのに縁側まで剥いで、柱も削った
くらい貧乏だったとか、貧乏が人を育てると言う貧乏賛美
のようなところがよくあります。

これは高度成長期にはいい話かもしれませんが、今のように
苦しい時代に陥った日本に救いになる話ではありません。

アメリカも不況と言われていますが、ずっと毎年GDPは
更新されていて、世界一の座は揺るがないのです。

日本は、20年も横ばい乃至は下降をたどっているのです。

これについてもっと有効な処方箋があるはずです。

ひとつの施策として国民のとった選択が、政権交代だった
のですが、それがまったくの当て外れであり、まったく
解決にならないばかりかどんどん泥沼に入りこむ感じに
なってしまっています。

こんなときに本当に心を洗うような明るい未来がみえる
ような物だったらよかったのに。

そんな事を考えながら全身に広がる乾燥肌を掻きながら
思う夜でした。
コメント
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