これも店頭で強く引かれた本です。
『ピアノ・ノート』
値段が高かったのですが、一目ぼれです。
そして読んでみてよかった。
こういう本を書斎に置いておきたいものです。
私はピアノはもっぱら聞くだけですが、それも
地元ピアニストが定期的に開くリサイタルがあって
生の音を楽しめる環境があればこそです。
これは他の地域では中々ない事かもしれません。
ましてそれが色々とイマジネーションを刺激して
モロモロの思考につながると言うことも滅多に得られない
経験なのかもしれません。
作者のチャールズ・ローゼンのピアノを
聞いてみたいとアマゾンを見てもずらっと出てくるかと
思いきや一つしか出てきません。
日本ではまったくなじみがないと言っていい人です。
しかし、本を読めばなぜこんな人物が今まで日本で
しられていなかったのか不思議に思うほどの内容です。
興味深い事と色々考えた事はあるのですが、中でも
ピアノ弾きとコンクールについての記述が地元ピアニスト
の事とも重なりどうなんだろうと思いました。
リチャードドレイファスが出た映画で、コンペティション
というのがありました。
その中で、ドレイファスは萬年2位の役で、今度こそ最後と
意気込んでコンクールに臨むのですが、それには30歳という
年齢制限とそれまでにどこかのコンクールで1位になれないと
プロのピアノ弾きとしてやっていけないという事情の説明
がされます。
日本では、別に1位になれなくても海外有名コンクールなら
例え2位でもそこそこ有名になれ、本人のキャラクターに
よってはテレビなどにも呼ばれて多分一生音楽家として
生きられるでしょう。
もとより日本の場合、本人の演奏テクニックと芸術性など
関係なく、タレント性の方が重要な感じも受けます。
チャールズ・ローゼンはコンクールを回避して一流演奏家と
して生き残った人です。
彼の説では、有名な音楽家名のコンクールほど突飛な芸術家
や演奏テクニックの持ち主はチャンピオンに立ち難く、また
地域やら審査員の政治力やら弟子師匠の関係などがあり、
つまらないものが勝ち残るとばっさりと切って捨てられています。
そんなつまらない審査員に自分もなり、私のせいで落とされて
しまった天才もいるというところなどまるで漫画『森のピアノ』
を髣髴とさせるような内幕を見るようです。
うちの地元のピアニストもコンクールで優勝してマスコミに
取り上げられた事もなく、2位というのはあるものの、世間的
には注目されるでもなく地元でコツコツとコンサート活動を
続けています。
ペーターレーゼルの弟子であり、私も師匠はどんなピアノを
弾くのか聞きに行きましたが、何度も聞いていた曲がこうも
ドラマティックかつ色彩感覚溢れて響くのを聞き呆然として
異次元の宇宙に漂ったかの感覚を味わったのを覚えています。
弟子と師匠の関係では、弟子は師匠のコピーではないという
持論を展開しています。
レーゼルのピアノを聞いた私もこの文章を肯定して読みました。
なのに、この本の末に添えられたローゼン・ノートと言う文章
は、リスト-ローゼンタールと言う系譜を強く意識しており、
この本にふさわしいのだろうかと思ってしまいました。
日本では知名度がないための一文だと思いますが、まったく
そんな心配は不要で、楽しくかつ興味深く読みました。
『ピアノ・ノート』
値段が高かったのですが、一目ぼれです。
そして読んでみてよかった。
こういう本を書斎に置いておきたいものです。
私はピアノはもっぱら聞くだけですが、それも
地元ピアニストが定期的に開くリサイタルがあって
生の音を楽しめる環境があればこそです。
これは他の地域では中々ない事かもしれません。
ましてそれが色々とイマジネーションを刺激して
モロモロの思考につながると言うことも滅多に得られない
経験なのかもしれません。
作者のチャールズ・ローゼンのピアノを
聞いてみたいとアマゾンを見てもずらっと出てくるかと
思いきや一つしか出てきません。
日本ではまったくなじみがないと言っていい人です。
しかし、本を読めばなぜこんな人物が今まで日本で
しられていなかったのか不思議に思うほどの内容です。
興味深い事と色々考えた事はあるのですが、中でも
ピアノ弾きとコンクールについての記述が地元ピアニスト
の事とも重なりどうなんだろうと思いました。
リチャードドレイファスが出た映画で、コンペティション
というのがありました。
その中で、ドレイファスは萬年2位の役で、今度こそ最後と
意気込んでコンクールに臨むのですが、それには30歳という
年齢制限とそれまでにどこかのコンクールで1位になれないと
プロのピアノ弾きとしてやっていけないという事情の説明
がされます。
日本では、別に1位になれなくても海外有名コンクールなら
例え2位でもそこそこ有名になれ、本人のキャラクターに
よってはテレビなどにも呼ばれて多分一生音楽家として
生きられるでしょう。
もとより日本の場合、本人の演奏テクニックと芸術性など
関係なく、タレント性の方が重要な感じも受けます。
チャールズ・ローゼンはコンクールを回避して一流演奏家と
して生き残った人です。
彼の説では、有名な音楽家名のコンクールほど突飛な芸術家
や演奏テクニックの持ち主はチャンピオンに立ち難く、また
地域やら審査員の政治力やら弟子師匠の関係などがあり、
つまらないものが勝ち残るとばっさりと切って捨てられています。
そんなつまらない審査員に自分もなり、私のせいで落とされて
しまった天才もいるというところなどまるで漫画『森のピアノ』
を髣髴とさせるような内幕を見るようです。
うちの地元のピアニストもコンクールで優勝してマスコミに
取り上げられた事もなく、2位というのはあるものの、世間的
には注目されるでもなく地元でコツコツとコンサート活動を
続けています。
ペーターレーゼルの弟子であり、私も師匠はどんなピアノを
弾くのか聞きに行きましたが、何度も聞いていた曲がこうも
ドラマティックかつ色彩感覚溢れて響くのを聞き呆然として
異次元の宇宙に漂ったかの感覚を味わったのを覚えています。
弟子と師匠の関係では、弟子は師匠のコピーではないという
持論を展開しています。
レーゼルのピアノを聞いた私もこの文章を肯定して読みました。
なのに、この本の末に添えられたローゼン・ノートと言う文章
は、リスト-ローゼンタールと言う系譜を強く意識しており、
この本にふさわしいのだろうかと思ってしまいました。
日本では知名度がないための一文だと思いますが、まったく
そんな心配は不要で、楽しくかつ興味深く読みました。