町内行事が重なる土曜日、過酷な天候の中町内の地理を
身をもって体験するような、今では我が熊木町会しか
行われていないような床下消毒がありました。
それに伴い、焙煎部屋は荷物を二階に移動して、消毒に
備えました。
この作業が真夏の午後に行われ体力を奪われました。
消毒作業も無事終わり、夏真っ盛りを感じる行事でした。
そして、夕方サウナ並みの体育館でバスケット練習会と
ストレステストを受けているようなここ数日です。
そんな中久しぶりに焙煎したカルモ下坂ですが、これは
またいろいろ教えてくれました。
この珈琲を最初に飲んだのは群馬の自家焙煎珈琲店でした。
ブラジルらしくないはっきりとしない味でした。
評判を聞いて試したのですが、予想とは違う味でした。
豆を見るとずいぶんしわしわとした豆でした。
自分で焙煎してみて特長とか味の出し方とかいろいろ
教わった感じの豆です。
とろっとしたチョコ味が特徴ながら、そのとろっとチョコ味
が出ている店はほとんどないというのも面白い発見でした。
久々に焙煎したカルモ下坂もとろっとした味に仕上がりませんでした。
そればかりか鋭い苦味が出ていました。
これは売り物にならんと自宅用にしてずっとここ二週間ほど
飲んでいました。
そして、今朝やっとその鋭い苦味がとれやっと飲めるような本来の
カルモ下坂の味になってきたのです。
カロリーを与えすぎるとブラジルの豆はすぐにこの鋭い苦味を
出して飲めないものになってしまいます。
しかし、これは寝かせると取れるという飲み頃による味の変化
を楽しむことに通じる話になります。
とはいえ、これは前半のしっかりとした水分抜きという下地が
ないと実現しないものです。
他の焙煎屋さんに聞くとこの水分抜きというのは最近やっている
業者は少なく、みんないきなり強火で13分ほどで焙煎を終えている
ようです。
この短期決戦型焙煎だと豆の味のピークというのも短いように
感じます。
最近のスペシャルティコーヒーをプレスで味わうような飲み方だと
特に豆の鮮度も厳しくとかく焼きたてをこだわったりするのも
こんな背景があるのではと予想します。
確かに喫茶店で出てくる豆の多くが酸化していたり、大手ロースター
ではあまり鮮度にこだわるようなこともないのですが、そんなに
極端に焙煎後数日にピークを迎えるということに神経質になる
こともないような気もします。
ただ、新鮮なものを飲んでみたいと欲求したときにそれを応える
業者がそばにないのも真摯な飲み手に対しては不幸なことで、実際
どこに答えがあるのか知るための選択肢としてニーズに応える
使命は自家焙煎屋として求められ、慎むべきはこれがおいしい珈琲
という押し付けになってはいけないことだと思います。
いろいろなバリエーションや実験を繰り返し、自家焙煎屋は自分の
引き出しを広げていきます。
定説や怪しげなセミナー、はたまた無用な師弟関係や奥義の伝承
など味には一切関係ないこともまかり通っているのは珈琲も同じ
ことです。
そんなものにほとんど無縁に行えるのが、どこの流派や系列に
属すことなく自分の舌と経験とおいしい珈琲を飲みたいという
自信の欲求に従った焙煎ができる人でしょう。
ですが、意外とそのおいしい珈琲を飲みたいとして始めた人が
少ないのも事実です。
ただ、多いのは昔の珈琲はおいしかったとか昔の喫茶店の思い出
とか自身のノスタルジーによる人は意外に多いようです。
それも珈琲だけという店は年々少なくなっていくようです。
珈琲の消費も少なくなっていってしまうのでしょうか。
身をもって体験するような、今では我が熊木町会しか
行われていないような床下消毒がありました。
それに伴い、焙煎部屋は荷物を二階に移動して、消毒に
備えました。
この作業が真夏の午後に行われ体力を奪われました。
消毒作業も無事終わり、夏真っ盛りを感じる行事でした。
そして、夕方サウナ並みの体育館でバスケット練習会と
ストレステストを受けているようなここ数日です。
そんな中久しぶりに焙煎したカルモ下坂ですが、これは
またいろいろ教えてくれました。
この珈琲を最初に飲んだのは群馬の自家焙煎珈琲店でした。
ブラジルらしくないはっきりとしない味でした。
評判を聞いて試したのですが、予想とは違う味でした。
豆を見るとずいぶんしわしわとした豆でした。
自分で焙煎してみて特長とか味の出し方とかいろいろ
教わった感じの豆です。
とろっとしたチョコ味が特徴ながら、そのとろっとチョコ味
が出ている店はほとんどないというのも面白い発見でした。
久々に焙煎したカルモ下坂もとろっとした味に仕上がりませんでした。
そればかりか鋭い苦味が出ていました。
これは売り物にならんと自宅用にしてずっとここ二週間ほど
飲んでいました。
そして、今朝やっとその鋭い苦味がとれやっと飲めるような本来の
カルモ下坂の味になってきたのです。
カロリーを与えすぎるとブラジルの豆はすぐにこの鋭い苦味を
出して飲めないものになってしまいます。
しかし、これは寝かせると取れるという飲み頃による味の変化
を楽しむことに通じる話になります。
とはいえ、これは前半のしっかりとした水分抜きという下地が
ないと実現しないものです。
他の焙煎屋さんに聞くとこの水分抜きというのは最近やっている
業者は少なく、みんないきなり強火で13分ほどで焙煎を終えている
ようです。
この短期決戦型焙煎だと豆の味のピークというのも短いように
感じます。
最近のスペシャルティコーヒーをプレスで味わうような飲み方だと
特に豆の鮮度も厳しくとかく焼きたてをこだわったりするのも
こんな背景があるのではと予想します。
確かに喫茶店で出てくる豆の多くが酸化していたり、大手ロースター
ではあまり鮮度にこだわるようなこともないのですが、そんなに
極端に焙煎後数日にピークを迎えるということに神経質になる
こともないような気もします。
ただ、新鮮なものを飲んでみたいと欲求したときにそれを応える
業者がそばにないのも真摯な飲み手に対しては不幸なことで、実際
どこに答えがあるのか知るための選択肢としてニーズに応える
使命は自家焙煎屋として求められ、慎むべきはこれがおいしい珈琲
という押し付けになってはいけないことだと思います。
いろいろなバリエーションや実験を繰り返し、自家焙煎屋は自分の
引き出しを広げていきます。
定説や怪しげなセミナー、はたまた無用な師弟関係や奥義の伝承
など味には一切関係ないこともまかり通っているのは珈琲も同じ
ことです。
そんなものにほとんど無縁に行えるのが、どこの流派や系列に
属すことなく自分の舌と経験とおいしい珈琲を飲みたいという
自信の欲求に従った焙煎ができる人でしょう。
ですが、意外とそのおいしい珈琲を飲みたいとして始めた人が
少ないのも事実です。
ただ、多いのは昔の珈琲はおいしかったとか昔の喫茶店の思い出
とか自身のノスタルジーによる人は意外に多いようです。
それも珈琲だけという店は年々少なくなっていくようです。
珈琲の消費も少なくなっていってしまうのでしょうか。