King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

本当にハリネズミでも恋をするのか

2019年01月30日 09時40分03秒 | 珈琲

なぜかスキーに行く時車中には昔の古い歌をかけるケースが

多いのですが、高速だといちいち選曲するのに目線をしばしば

ナビに移したりするのは危険なので音声選択でアーティストで

選んで置くとしばらく懐かしい歌が続くという事になるわけです。

 

一番多いアルバムが入っているのは清志郎ですが、アーティスト選択だと

アルバム名義がころころ変わっているので意外と続きません。

 

一番続くのが中島みゆきです。最近の歌から昔の歌までその息の長い活動が

改めて思い返されたり、古い歌の意味を今聞いて考えると昔とは違う感慨に包まれたりと

意外と新鮮です。

 

この長いドライブならではの出来事かもしれません。

 

クラッシクの曲も通してなかなか聞くことができない曲を続けて聞けたり、

モーツアルトだけずっと流したり、月光を色々なピアニストで聞き比べたりと

ドライブならではのことかもしれません。

 

今回の福島のドライブで帰りに聞いた古い中島みゆきの曲が妙に印象に残り

事あるごとに思い返されています。

 

昨日のように強い風が吹く今頃の秩父の冷たい冬の日には、私には色々な

雪国でのシーンと結びついていて、つい今時味わえる極上のさらさらパウダーを

思わずにはいられません。

 

今期はその吹きすさぶ地吹雪の中スキー場に向かったものの、ふかふかでもなかったし

粉雪を吹き飛ばして滑る爽快感もありませんでした。

 

そして、帰りに聞く昔の曲たちはそんな自分に今はこうしておきなさいといちいち

忠告を投げかけて来るかのように降り注ぐのでした。

 

さて、休み開けて溜まった注文をこなし、毎日焼いては届けてはの毎日にふと

考える得られそうで得られなかったものを考えつつ、温めあって眠りたいと

いうときにそんなものがいつもあるのがいつも飲む珈琲に感じられるからか

ハリネズミの恋ってどんな切実な恋かといつもの珈琲の味に問うてみたりします。

 

例えばいつも飲むブラジルサントスNO2の何でもない普通の珈琲の味ですが、

そんな普通の味も旅先のサービスエリアの休憩やホテルのラウンジでも飲めません。

 

あるのはただきつい香料の付いた缶コーヒーやら世界初という豆から挽いて一杯一杯

抽出しそれを画面中継するという自販機です。ホテルのラウンジでもコンビニにあるような

機械で淹れるものと紙コップが置かれ一般の人はコーヒーのいい香りと感じる臭いがもれて

いますが、それらは私が飲みたい珈琲ではないし、そんな胸焼けと不快感しか連想させない

臭いとともに不快感しか湧かないのです。

 

ところが私が持参したドリップパックなどジップパックから取り出しただけでもうああ

良かったと思います。

さらにお湯を挿せばもう煮詰まったサービスエリアの胸焼けしかしないものとは違う世界が

広がります。

ホテルではこうしていつもの味を味わいいつもの世界に浸れますが、これがゲレンデで

休憩しているときにできないというのは唯一の完璧な世界に罅を生じさせています。

三月くらいの汗の出るコブ滑りの時期ならのどの渇きだけ潤すだけでよいですが、

視界も悪い吹雪のように降る雪の中しばし現実に戻って暖房の利いた部屋で休憩に

戻った時にやはり暖かい飲み物は必須でまずいと解っていてもコーヒーを頼んで

しまうのです。

 

一番当店で安い豆ブラジルサントスNO2でも感じられる珈琲を飲む幸福感が

どうしても何がどうなってこの平滑なものの陰にあるのかと考えさせます。

どんな味の構成になっているからこの安堵感と安心感とゆったり感がくるのか。

ただの何でもない味という何も突出していないものにやはりその裏と平均の

山の裏側を支えているものにはしっかりとした甘みやらうまみやらがあるのです。

 

それはゲレンデで休んで仕方なく頼んだ苦いだけのコーヒーを飲みああまずいまずい

と思うのでなく、つい本来の物を強く意識させるのです。

 

ハリネズミの切実な恋は意外と正直な心なのかもしれません。その求めているものも。

 

 

 

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