King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』読了

2019年07月23日 12時25分37秒 | 読書

もう4、5年前に買っておいた本でその頃目が悪くなりそのまましばらくほおっておいたものだが、

最近眼鏡を使用してこういう本も次々に読めるようになった。

 

昔読んだ本でプロレスが日本で始まるころ柔道界から木村政彦、相撲界から力道山が入り、それぞれ

活躍したというのは知っていた。ただ、当時の資料や本では柔道着を着ない柔道家はリングでは役に

立たなかったという紹介しかなかった。

 

そして、力道山がやくざに刺されるという事件は子供の頃に聞いた記憶がある。

しかし、直接プロレスをテレビで見たのは馬場が登場する頃で、力道山は戦後日本で敗戦で消沈する

日本人をリング上で空手チョップで白人をなぎ倒し当時の日本人を鼓舞し大人気となるというドキュメント的なもので

見ただけである。

 

木村政彦という人物も柔道はプロレスでは通用しなくてすぐやめてしまったというような情報しかなく、

力道山と戦い所謂セメントマッチで負けたというのはこの本で知ったことで、今ではそのビデオがネット

でもみられ木村政彦はずっとこの力道山に負けたことを生涯引きづり、弟子の岩釣を使って果たそうとしていた

という長い物語となっていた。実際岩釣のプロ入りはなく、計画は破綻し、名誉も回復することなく木村は

もうすでに亡くなっているのだが、依然柔道界で最高の存在とする人が多いという。

 

しかし、格闘技というのが戦後の街頭テレビに人が群がる現象とともに広がったプロレスから最近の総合格闘技と

いうものとスタイル、その性格も様変わりしており、その変遷の歴史をまざまざとみてきた身としては、

やはり今となってはどうでもいいことであり、武道とか日本の伝統としての柔道とかも戦後に禁止されたり、

また最近学校の授業でも取り入れられたりという流れから特殊なものとしての意識があるが、所詮

スポーツの柔道と戦場発展した古流柔術は違うものであり、かつて空手の大山倍達が映画になり世界的人気と

なった後分裂してその強さの信憑性が薄れて人気が急落した凋落などもみているので今となってはその実力の

片々を見てもどれだけの物かという気もしてしまう。

 

しかし、伝説とか昔の武術というのは神格化されており、かなり高齢になった古武術の人が弟子に数人がかりで

立ち合いことごとく倒してしまうビデオなどが売られていたり、まだ知られていない武術の達人というジャンルは

かなり需要がある。

 

実際には道場と道場が交流試合などしなかったり、組手がそもそもない武術とか技を伝えるのに宗教用語や古語を

多用して矢鱈神格化して哲学的色合いの方が強いものにしていたり、実際に戦わないのだから優劣が解らない世界

となっている。しかし、この本に付き合ってみてそれでいいという気もしてきた。昔プロレスは全て台本があり、

インチキでありやらせというのがばらされ逆にノールールの総合格闘技で真の強さを決めるという売りのものが

クローズアップされたりしたが、それはもはや見世物やテレビで見せられる世界でなく唯の殺し合いになって

しまい、逆に厳重なポイント制とルールが導入された柔道の方が洗練されているとされてしまった。

 

そう考えるなら昔から殺し合い起源でない相撲など一番洗練されているかもしれない。体重性でもなく、軽量の者が

大男を投げ飛ばしてしまう技とかが見れる相撲こそ一番スポーツ的ではないか。それも公共放送で毎場所放送され

懸賞という現金が掛けられるという賭博要素もあるのに国技というお墨付きまで付いている。

 

この本に出てくる柔道の人達というのはみなプロレスに転向したり、挙句食うに困り自殺したりと日本で一二に

なるような選手でもその後の人生には苦労する展開で指導者としてその後の人生を安定的に過ごす人より食い詰めて

行く人が圧倒的に多い。日本では柔道人口は減少を続けているのに対して海外では盛んで指導者の需要も高い。

それなのに日本では柔道は国技として勝つことを求められている。身体能力や圧倒的な筋力や体格差で不利なのに

年々スタンドレスリング的なルールになり、見せることから柔道着もカラーとなったりと随分と様変わりしている。

 

この柔道着がなぜ今も前合わせの帯使用というスタイルなのが良く解らない。帯のない服にしてつなぎのような

服にすればいちいち乱れなくていい。相撲のまわしも褌にこだわらず持ち手の付いたスパッツにすれば競技人口も

増やせるだろう。ルールも変わるのだからスタイルも合理的に変遷すべきだ。

 

この本を読んだ後、ネットで力道山にダウンされる映像をみたら本に出てくるほどの熱戦ではなく、ただ一方的に

パンチされてノックダウンしただけに見えて木村のすごさとか強さは全然感じられない。本の中でグレイシーに勝った

日本人ということで力道山戦後もブラジルに渡り、グレイシーと再戦したという話がありその後の総合格闘技を先取りして

いたことはまったくしらなかった。ただ、この本の最後の方に弟子の岩釣がプロレス転向が失敗し、師匠の無念を晴らせず

その後、闇プロセスで勝利したという情報は語るべきことなのかという気もした。現代のようなコンプライアンスが

喧伝される世なら余計である。

 

しかし、プロレスなどは興行で昔からやくざがが絡む世界であり、今でもそうい人達抜きが可能なのかどうか

昨今吉本の芸人が闇営業でそういう人たちと交流があったというのが問題になっているが、普通にお金を払っている人の

中にそういう人がいたというのと積極的にかかわっていたかというのはどう判断するのだろうか。いずれにしろ今後も

コンプライアンスというスタイルはより強くなっていくだろう。そんな中岩釣が自身の後継として石井慧を後継者とみていたとか

ニュースでは米で日本のプロレスが人気だとか日本では格闘技がテレビのゴールデンタイムに流れることはなくなったのに

ファンは広がっているようで今後も目が離せない。

 

 

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