King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

雨の朝に夏深まる

2019年07月04日 09時50分11秒 | 珈琲

昨日ふと目が留まったネットのつぶやきが気になり、覗いたサイトでまた

アッと思うような失敗を見るような哀れな気持ちにさせられたのでした。

 

まあ数多あるコーヒー屋さんのページなんてどこも似たようなことを書いているものですが、

書きようでその実力も透けてみえようということもあり、実のところどのあたりという

その実力を垣間見ることもあるのですが、逆に見事にその誤りを露呈しているのも見ることが

あります。

 

例えばアイスコーヒーです。私は随分この問題は長年悩んできたので、その味もどんな豆を

提供するかも深く考え現在の味になったと思います。

 

まず、自分もアイスコーヒーが好きで特に暑い時に飲む安らぎのコーヒーはそばに文藝春秋と

分厚い木のカウンター、冷たいたっぷりのアイスコーヒーに白いミルクを流しいれ、混ざって

カーキ色になった時にはガムシロを入れ冷たい甘苦い液体にして飲むという儀式のような形式があり

それは場所と時間と全ての必然の時であり、夏の当然の過ごし方だったのです。つまり日常に

アイスコーヒーを飲むという事はなく、夏の過ごし方としてアイスコーヒーと夏の喫茶店は

セットであり、過去の思い出と時間の積み重なりとセットです。

 

別にそれはゆるぎない味が介在するでもなく、飲みたい味があるでもなかったのです。

 

ところが、珈琲を知り味を知るようになり、いざまた喫茶店でアイスコーヒーを飲むと

それは唯苦い冷たい黒い水であり、ひどいことにどこでも胸焼けがするし、飲むと下痢をする

というものでした。

 

まず珈琲の味がしない。これはひたすら黒く苦いだけ。喫茶店でどうやってそれを提供している

のかを知ると益々謎が深まっていきました。まず、ほとんどの店でアイスコーヒーという出来合いの

パックの物を使っているという事実。それは大手の名のついたパックでホームセンターなどでも

売られています。さらに大手清涼飲料水メーカーの提供する豆から作るものもあり、それは

飲めないものという事もないけれど、別に珈琲の味がするわけでも飲めるというだけのもので

それでも結構高い値段で流通していたので喫茶店や専門店ではどうしているか探ると昔ながらの

大きなフラスコで水出ししている店やいつもの店で出しているものを冷やしてだしているという

店とあり、アイス用の焙煎をしているのは少なく、そもそも珈琲通はアイスを飲まないとか

珈琲専門店だとアイスがないとか否定的な展開もあり、何が需要として求められているのかという

疑問が残りました。

 

つまり、なぜ普通にでてくるアイスコーヒーは苦くて黒いのかという疑問と普通の豆をアイスにしては

いけないのかと言う所がまず問題になりました。という事で炭のように真っ黒な豆を焼いて

まずは真っ黒いアイスコーヒーを作ってみることにしました。するとあの喫茶店のような真っ黒い

アイスコーヒーは作れないという結論に達します。ここでひとつ世には炭焼きコーヒーというのが

あり、それは何なのかという疑問と世の欲求と現実とコーヒー屋さんの思惑の齟齬を知ることに

なります。

 

これはまた後で説明しますが、熱帯化していく日本で確かに冷たい珈琲の需要があるのは確かで、

ただ、黒くて苦いだけのコーヒーが作れないのであれば、自家焙煎店として私が作るとこうなるよ

というものをだすことになり、まず普通の豆を冷やしてそれが標準の味とします。さらに、それから

感じるものを何をもっと伸ばしたり残したらいいのかということで作る事にして、ただ苦いのは

やめて、黒いのも追わないことにしました。

 

まず、冷えたら余計味がシャープになるということから後味と飲んでるものが珈琲と解る香りと

味が強くならないといけないという結論になりました。

 

そして残るのは淹れ方です。コンビニでもアイスとホットでも共通でただ氷の上に落とすだけと

いう形でアイスコーヒーを提供しだしました。つまりアイス専用の液をやめたというのは大きな

変化でこれはこれでコーヒー界に衝撃を与えました。

 

そこまでお客を突き放してしまっていいのかという事もあり、私はアイス用の豆とブレンドを

それぞれ作り、夏を楽しんでもらいたいと冷たい珈琲にも理解を示したつもりです。

 

その時に水出しという手法もどのような味になるかという結論とその味の格差にお手軽に

家庭で本格的な味ができるという手法という事で大いにアピールできるものとして売って

いるけれどそうした時にアイスの説明が当然どういうものかという説明が出てきていい

のですが、昨日見たサイトのものは目を覆いたくなるものだったのです。

 

元々コーヒー屋になる人というのは文化としてなりたい人というのがいて生活感がもともと

違う上にそもそも味を気にしていない人も多く、生活の必然がない方とか脳内の人とか

勘違いの人も結構いるものです。

 

それぞれお店に客が通う要素があり、それで成り立つならそれはそれでいいという気も

しますが、私の疑問はどこのスーパーにも沢山のコーヒーコーナーがあり、豆として

コーヒーを買う人がこんなにいるのだろうかということですが、見ていると主婦の方が

1Kくらいの袋をポイっと買い物かごに入れていくのを見ると普通にコーヒーを飲む人は

沢山いるんだという事です。

 

そういう人が私と同様ある日インスタントコーヒーを飲めなくなったり、MJBが飲めなくなったり

するのかは解りませんが、現実としては町の喫茶店が自分のうちで焙煎したり、ネルで落としたり

するのをやめ、ネスプレッソなどのインスタントカプセルコーヒーになって行ってるのをみると

もっと味で対抗したり、安くて美味しい珈琲で売っていく戦略もあっていいのではと感じるので

した。

 

それにはインスタントやネスプレッソの人が本当はこういう味なんだという事に気が付いてくれる

機会を多くしていくしかないのかという感じです。

コメント
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