最近のニュースで気になったことはノーベル物理学賞をとった眞鍋淑朗氏の米に渡った経緯や日本に戻ることはないという言葉と真子様の結婚会見で海外に拠点を作るように頼んだのは私の依頼というものです。自己実現とか夢をかなえるためというと日本の体面を気にする他人をおもんばかるという世間体を整えるとか人様を気にする体質が邪魔になるということです。その他ジャーナリズムのあり方とか研究者に対する待遇が悪すぎるなんて問題もありますが、日本に居たくないと思わせることがある人は不幸です。
先日ご紹介した朝日新聞の夕刊のガリバー旅行記ですが、子供用絵本の世界しか知らないものにとって文明批評だったり政治批判だったりするこの内容は新鮮で多くの戦争や発明により進歩してきた社会は多くの幸福をもたらした反面それに乗り遅れた人たちもいて、さらに国として何ら進歩もないまま国の体をなさない状況の地域も増えています。
ダニエルクレイグのボンドシリーズはボンド中佐が00に昇格するところから始まりますが、その00とは小説の世界では殺しのライセンスであり、殺人許可だといいます。子供のころからこのフレーズを聞いてきて当時は何も疑問にも思いませんでしたが、どこの国の法律でも殺人は重大な罪で法律違反であり違法行為です。頻繁に戦争があった時代には強い軍隊を持ち徴兵制を敷く国が多かったのです。日本も赤紙という徴兵令で徴発された人々は訓練を受け戦地に送られました。つまりそれこそ国による殺害命令であり、本来禁止されている殺人をして来いという命令です。軍隊に加わるという意識は人を殺しに行くという意識と行為を薄めさせ国のためとか天皇陛下のためとか名目を変えられて組み入れられていったのですが、
そもそも国にそんなことを命じる権利があるのでしょうか。私の子供も私も親の戦争体験を聞くという宿題を命じられた記憶がありますが、その発表の授業でも大した内容は出てこなかった記憶があります。映画や小説では戦争体験で心的外傷症候群に陥り廃人に至るというのは多々ありますが、秩父のお寺などに行くとお墓に誇らしく陸軍大将で従軍とか墓石に刻まれているのを見ることができます。羊山の上には忠霊塔という戦争犠牲者の碑が建っていたりするもののそれらの意味を考えるようになったのはテロが起きたり難民が増えだした21世紀になって殺しのライセンスについて考えるようになったのです。子供の宿題の時に誰が親に人を殺してきたのと聞けたでしょうか。
私が子供の頃戦艦大和やゼロ戦の模型を作っていたころ戦艦妙高の船尾鋼板から海に飛び込んだことがあるという話を聞いた事があります。夜店の射的店では銃の構え方から打ち方まで教わったこともあります。その時父はどんなことを思って息子に軍隊体験を語ったのでしょうか。それを思うとなぜ戦争に行って人を撃ったことがあるのか聞いてあげられなかったことが今では残念に思えて来ます。国家の命令で人を殺しになんか行ってはいけないと現実に私たちが大人から聞いて現行憲法の価値を知ったのと米により与えられたのでは大きな違いです。
最近の秋の深まりとともに深煎りの豆をという言葉を聞く機会が多くなりました。
なんでみんなそんなに深煎りの豆がいいのでしょうか。
そんなときに飲んでみてほしいのがエチオピアのイルガチェフです。
イルガチェフも深煎りが効く豆です。
キューバのクリスタルマウンテンとかドミニカの豆などもったいなくて深煎りにできない豆もあります。
やはりそれ等は皆体験してみないとその意味するところは解らないでしょう。まずはイルガチェフから試してみるといいのでは
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