King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

鳩山内閣発足について

2009年09月17日 13時16分24秒 | 日々のこと
マスコミや新聞に出た新閣僚の面々が
発表になりました。

地味だとかテレビではコメンテーターの
ありきたりの言葉しかありませんでしたが、
私はすでに発表されたように、補正予算の
執行停止や新閣僚のコメントのマニフェスト
のとおりという態度にまず一定の期待を
よせます。

ただ農作物の保障だとか子供手当てといった
ばらまきが多くそれが政策かというようなことも
当然他の人と同様に思います。

世間が騒ぐほど財源なんて心配することはないのです。
本当にやる気ならそれこそ自衛隊とか国家プロジェクトで
予算を削減する事業はいくらでもあるのです。

今回話題になった国立メディア館が中止になったり、
まだ首相にもなっていない時点から予算が停止して
しまったことで国会でいくら強行採決しようが、政権
が変われば遡って国会で決めたことも覆るという例を
まざまざと見たわけで、八ッ場ダムの中止同様、
高速増殖炉の停止などやめてもらいたいものは多数
あるのです。

有明海の干拓とか裁判で停止が判決されても進展なく
裁判を繰り返し公共事業が進展してしまう事態も
政権が中止すれば止まるのです。

ただ気になるのは、出先機関の廃止など行政の無駄を
本当に省いてスリムな役場にできるかというと失業者
をだすだけでなく、公務員という本来首を切られること
のない人たちが仕事がなくなりどういう処遇になるのか
ということです。

まさか失業させてしまうのか。

公共事業が中止になり、景気はさらに失速するのか。

これは大いに気になるところです。
ばらきまでは各家庭に金が行ってもなんの経済効果
にも、社会を動かす力にもならないのです。

公共事業は一応金が投下された分の雇用と事業に
より景気刺激は発生します。

ただ、箱物や無駄な施設に常に赤字処理という
税金投入が付きまとうのです。

そんな必要なものと本当に無駄なものの峻別が出来て
いるのかが心配なところで道路の舗装率だとか広さ
渋滞状況など見ればまだまだ必要な道路はあるのに
道路を作るのは無駄だととられてしまったり、地方に
金を回すことがいい政治みたいな誤った情報も多々
見られます。

個人消費を増やすには、手当てで直接投資するより、
雇用の創出や失業対策の方が重要だなんて誰でも
解っていることなのに考えていることが幼い感じを
受けるのは私だけでしょうか。
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筋肉痛と体重増加についての考察

2009年09月16日 23時27分16秒 | ジョギング
いざ走る時間に考えたことは、ここのところ
上向いているタイムに関することです。

ここは、やはり04分というコースタイムを更新
することです。

どうすれば、故障も抱えず速く走れるか。

それは、昨日書いたように最初の苦しい時間帯
に意識を集中させ、つらいとか苦しいとかいう
時に、意識してリズムを作っていくことだろうと
臨んだわけです。

実は、昨年の今頃に比べて、体重も内臓脂肪量も
増えているのです。

これは今までにないことで、今まで一貫して体重は
常に減少の一途で、運動量を落としていないのに
今回のように増加するというのはどうしたことでしょう。

先週のバスケット練習のときに、久々にフットワークを
やり、いろんなところが筋肉痛になり、それから使わない
ところはかなり落ちているんだなあという実感も
感じていました。

また走り方も意識して変えた所もあり、また新たな
筋肉痛があったりと中々改善できないところが
目白押しとなっています。

それらを踏まえて走り出して、ペース的には早くいつもの
リズムに乗せられたつもりですが、結果はタイム
短縮は出来たものの分単位に至らず、これはまた
再考が待たれます。
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ダリアの咲く丘と人気のない中学校

2009年09月15日 13時39分58秒 | ジョギング
暑さもようやく去って今までのような
速度で走れるようになりました。

今までどおり汗は滝のように流れますが、
苦しさが違います。

でも昨日気がついたのですが、いつものように
走れたと感じたなら、当然結果もいつものタイム
であり、ピッチを上げるか、ストライドを広げるか
しないとタイムは縮まらないのです。

今日は調子がいいなと感じてもタイムがよくない
こともありますが、段々慣れてくれば風を切る
音や景色の流れで速度感覚は身についてきます。

タイムを縮めるには、やはり無理をすることから
はじまります。

そうすれば、どこか痛い所とか走れないように
なったりします。

となれば、何でタイムなんか計るのかということに
なってしまいます。

しかし、これは自分への挑戦であり、コースでの
適正な時間を導くことになもなります。

気持ちよく走れている時は、色々考えることも
できます。

今までの暑いなかでは、走り終わって飲むスポーツ
飲料のこととか、走り終わった後が如何に気持ち
いいかとか、後どのくらいかだとかそんなことばかり
考えています。

ふと自分の書いた今頃の走った記録を読んだら、
意識を走る側に保つことというのがありました。

走り終わったらどうしようとか残りの距離のことなど
考えずに常に走る側に意識を集中することが重要だと
書かれています。

以上のことを踏まえて、故障を抱えず、無理をせず
タイムを向上するにはどうしたらいいかという
ところに問題の要があるといえます。

走ることを考える前に一番の改善点があるのです。

いつも走り出すときの呼吸が改善するまでが問題
で、パーマネントコースで言えば影森中学のあたり
までです。

そういえば昨日は、平日なのに人気がない中学校に
週末には万国旗が飾られラインの白い色もあざやか
でした。

土曜か日曜に運動会があり、その振り替えで休み
なのだと考えました。

つまりは、普通に色々な事が考えられる意識状態で
あれば、まだ余裕があるといえます。

走り始めの時期に、庭に咲いたダリアを見て先日まで
日経の文化欄にコラムを書いていた丸山健二の庭と
絵の内容を思い出していました。

その内容とは、ダリアを庭に植える人と植えない人が
作庭をする人にはあり、自分は植えない人なんだという
ことで、その時にはそんなの勝手なことでそんな人の
庭のことと自分の庭のことなど比べてああだこうだいうなよ
とその時には思考を中断していました。

それより、ダリアを見るたびにこの丸山健二のことが
頭によぎるのです。

そのコラムは、一枚の絵や写真を紹介してああだこうだと
述べるのですが、その時にはその記事の内容に絵のことが
あまり関係なく、絵の印象もなくただダリアを植えちゃあ
いけないのかとかその分類は正しいのかとか考えたもの
でした。

走っていて人の庭にダリアが今も咲いているうちは多く、
庭に植える草木もはやり廃りがあり、そんなどこにでも
あるダリアに何の意味があるのか。

もちろん走り出して間もない時には、丸山健二が書いていた
なあと、いうところまでで、次の思考につながりません。

この時期は、中学校の横を通り過ぎる時のように頭が働いて
おらず、人気のない中学校を通って即座に振り替えで人が
いないのだと気がついたのにダリアをみてもなんだよ
丸山健二って偏屈な作家だなで終わっているのです。

これは実に興味深いことです。
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萩原健一の復帰とモカマタリ

2009年09月14日 09時59分02秒 | 珈琲
残暑見舞いのカモメールはみんな
はずれていました。

あたりの賞品が現金だったとは驚きです。

あまり話題になっていませんでしたが。

あまり話題にならなかったことで意外だった
こととして、映画館で見た『tajoumaru』の
実物大ポスターに妙に目を引く男がいてよく
見てみるとショーケンでした。

ずいぶん久しぶりだけど何でこんな人気俳優の
引き立て役なんて似合わないと違和感を抱いて
その時は、映画館を後にしました。

やがてその映画が上映され各ピーアールイベントに
出演者が並んで挨拶という映像がテレビでもみられ
るようになるのですが、なぜかショーケンは避けられて
いるかのように扱われています。

多分一言くらい現場ではしゃべっているのでしょうが
テレビではでていることさえ触れられません。

そして映画の評価は日経夕刊の映画評では星ふたつと
いう低評価です。

多分小栗ファンだけが見る映画ですが、私のように
ショーケンのポスターを見たら見てみたいと思う
ファンもいることでしょう。

私はそれほどのファンでもなく、昔のテレビの『傷だらけ
の天使』が好きなだけですが、ポスターで見ると
それだけでなんか惹かれるものがあります。

それだけ力のある存在なのでしょう。気になったので
調べたらこの映画は復帰作としてかなり周りから説得
されての出演だとか過去のいきさつを読みそうだったなあ
と気がつきました。

隠しておいても現れてしまう個性というか輝きがあると
いうのも商品価値があるうちいくらでも稼ぐというあざ
とい感じもなんかいいのかも。

土曜日にスペシャルティコーヒーを求めて行った
店のブログにエチオピアイルガチェフがあるというので
それを買うのも目的のひとつでしたが、その理由はモカ
輸入停止で国内には少なくなっているが当店にはあり、
それは日本国では在庫はほとんどないはずで貴重な豆と
かかれていたからです。それが飲めればわざわざ出かける
価値もあろうと思ったからです。

今飲んでいるのはモカマタリです。

貴婦人の香り。ワインのような芳香といわれる独特の
香りと酸味が話題になる豆です。

私はこの豆で以前から持っていたモカのイメージを
完全に変えたので、エチオピアの豆も是非味わって
おきたかったのですが、現地でコスタリカを飲んだ
らそんなことも忘れてしまい、かなりがっかりして
それでもパナマの豆を買って帰り、気になったので
すぐ家で飲んでみました。

すると店で飲んだ珈琲の比でなく、とてもおいしい
珈琲でした。それに香りがとても強く、リビングの
珈琲の香りがいつまでも続きました。

味は、以前飲んだルワンダのカップオブエクセレンス
と同じ、上品でやわらかく珈琲コーヒーしていない
味わいです。

どちらもブルマンよりはるかに上でしょう。

しかし、値段は半値以下。

店で飲んだコスタリカは酸味が最初きつくシティロースト
でこれだけ酸味があるのでは、果たして焙煎士の技術
の問題かときになりましたが、パナマがこれだけの
味で香りがいつまでも生きていることから、これは
抽出技術なんだろうと思いました。

イルガチェフも検索するといくつかヒットします。

私が飲んでいるモカも結構今では売っていて、やはり
需要があればでてくるんですね。コーヒーファンと
供給者の熱意の結晶だと思います。

イルガチェフについては、また桐生に自家焙煎で
スペシャルティコーヒーもある店を見つけたので
また週末に出かけてみようかと思います。
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雨の関越珈琲旅

2009年09月13日 12時08分38秒 | 珈琲
下妻物語という映画に貴族の森という店が出て
きてそれ以来あの町で見かける奇抜な外観と
入りにくそうな店構えが気になっていました。

似たような店が埼玉県にはいくつもあり、尖塔を
持つ喫茶店のようなレストランのような建物を
所々で見かけます。

中には自家焙煎とか珈琲という文字が目を引くの
ですが、一度も入ったことがありませんでした。

今回の目的は、スペシャルティコーヒーであり、
ついに珈琲もテロワールを語りだしたというコンセプト
なので、地方の気取った店は本来目的から離れています。

スペシャリティコーヒーをネットで調べてもお店の
ページは出て来ないで、ネットでの豆売りばかりが
でてきます。

ある雑誌に群馬でスペシャリティコーヒー専門店で
開店した記事を見かけ出かけてみようと思ったのは
昨日のことです。

天気予報も雨であり、走りにいくのも休みになりそうで
好都合です。

結果、雨の高速を前橋まで走ることになりました。

最初は、花園から乗ったのですが、雨で80K規制がかかり
道路は土曜日らしく大変混んでいました。

ナビに電話番号を入れるも新しい店のため該当なしで
急遽上里SAでネット検索して地図を確認してたどり着き
ました。

そんな時間と手間をかけてやっとたどり着いた店ですが、
店には農園の説明の表示とかスペシャルティコーヒーの定義とか
説明はなく、よくある豆売りの店でした。

まずは店内喫茶コーナーで一番お勧めのストレート
コスタリカをいただいて見ます。

しかし、コーノ式のペーパードリップで淹れたコーヒーは
メニューの説明文の深いコクというものが中々表になく、
酸味やら苦味やらそれぞれの味がそれぞれの主張をして
あまり好きな味ではありません。

これは高速代とガソリン代を掛け飲みに来る価値があるか
というものです。

雨の高速で思ったことは、なぜワインのようにテロワール
が云々されないで今まできたかを考えたら、コーヒーとは
日常の刹那的な飲み物であり、あまりに日常の生活飲料で
あるため有名な産地は誰でも知っていてもそれを突き詰めて
誰もがそれを求めるとならないのだろうと考えていました。

まず日本茶ですが、等級付けして高く売ろうとする動きは
ありますが、それを農園名をブランド化して売るという
形にならないように、高い茶葉を好んでいつも日常的に
飲む人は非常に少なくなっています。

珈琲も同様に、刹那的で日常的でありながら、喫茶店の
文化があり、世界中の豆を飲むという風習が日本にはあります。

プロが淹れて、いいカップで味わう専門店の文化から、
豆にもテロワールが語られて当然と思われますが、それが
長い間国別産地表示で終始していたのです。

それも最高の豆がブルマンという観念が根強く残り、価格と
味がつりあわない状況が依然続いています。

ですからスペシャルティコーヒーがもっと普及して
ブルマン支配の価格破壊をなしてもらいたいのです。

ただ、本当においしい珈琲が安く飲めなくなるのは
避けたいので、まずは喫茶店でブルマンが1000円と
いうような価格がなくなることと、スペシャルティ
コーヒー専門店が増えること。

しかし、期待の店がこの味はどうなのだろう。

そんな疑問を持ったので、その店の一番高いパナマの豆を
買って帰りました。

その後、高速を降りた後、目に入った尖塔を持つ店
貴族の森に寄ってみました。

これは、長年の気になる店であることと下妻物語への
オマージュです。

丁度お昼で先の店にはケーキしかなく、珈琲のみだった
のでランチにしました。

中にはいると意に反して店内の雰囲気は子供の声が響く
ファミリーレストランでした。

メニュー構成もそんな感じでした。

ただ、食後に飲んだブラジルは先の店よりはるかに
おいしいものでした。
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おいしい珈琲を求めて

2009年09月12日 10時17分05秒 | 珈琲
自家焙煎の珈琲屋さんなんてどこにもあると
思っても中々気に入った店はないものです。

特にスペシャリティコーヒーが飲める店なんて
なるとなかなかありません。

珈琲もテロワールを語るようになったかと
一時は思いましたが、流通量が少ないうえに
まだまだ世間的な認知は低く、滅多に飲めません。

はやく何でもかんでもブルーマウンテン最高という概念を
打ち壊してほしいものです。

私の身近で、カップオブエクセレンスとかスペシャリティ
コーヒーが飲める店を検索してみても出てきません。

個性的な喫茶店というといつも行く店とうちの近所の店が
必ずヒットします。

ですが、豆にテロワールを意識したという感じではなく、
未だブレンドに汲々としたイメージのところがあります。

それにストレートコーヒーが500円とか600円もするのです。

もっと身近にブルマンより上のスペシャリティコーヒーが
気軽に飲める店があればと思います。

大手コーヒー業者も今月からモカを輸入再開する等あらた
な動きもあり、情報は日々更改されています。

スペシャリティコーヒーも身近に来ている筈。

少し探索の旅にでてみます。
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秋の七草異変

2009年09月11日 10時25分00秒 | 日々のこと
昨日の夕刊で、秋の七草が危機にあり、
秋の五草になってしまうということでした。

藤袴、桔梗が絶滅危惧種に指定されているとのこと
ですが、そういえばいつも今の時期見られる萩も
花が少なく感じていました。

くずも花はきれいですが、あのつるは藪のもとで
ジャングルのような太いつるはあまり気持ちのいい
ものではありません。

いつも行く公園では、ススキと萩がそんなに探さ
なくても目にはいりますが、萩のかわいい花は
群生していたところも僅かとなりました。

最近公園の中にまた花の見所の地を作ったのですが、
そんなことに金をかけるなら秋の七草園とかもっと
心和むものにしてもらいたいと思うのです。

ただ金をかけて外国の花を植えても癒しのなんて
名を冠するに値しません。

あれを作った人の頭に萩が咲いていることや萩の花の
可憐さや藤袴の清楚な味わいを感じることもない人々
なのでしょう。

植えた花は、この公園のあちこちに咲いているのですが、
昔からある花にも気を配っていただきたいと思って昨日は
走りました。
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撃ちっ放しの弾と当った弾について

2009年09月10日 13時30分14秒 | 日々のこと
これは『1Q84』も『時間封鎖』も読んでいない人は
読まないほうがいいかもしれません。

特にこれから読もうとしている人は。

フラクタルとかマンデンブローとかそんな図形が
自然界に出来るのは無生物でありながら生物が誕生する
秘密に共通するという試行がありました。

そんな意味で、私は時間封鎖を読み、仮定体とする
謎の宇宙意識のようなものが行おうとしたことと、
1Q84にでてくるパッシバとレシヴァと同じだと思った
のです。

つまりこれが弾の当ったところ。

宇宙では、全方位からある周波数の電磁波が飛んでくる
といいます。

この謎の電波はやがてビックバン理論の重大な証拠と
されるのですが、仮定体の神経ネットワークとはまさに
この背景放射のようなものではないでしょうか。

さて、神ならぬ身が神になろうとしたときにやろうとする
ことは、自然界で一般行われている種の保存であり、その
ための自己犠牲などDNAに刻まれた行動はこのフラクタル
製作だと思います。

それがなす先として宇宙においても人類の英知を後世に
残したいと人類の到達した文明の証として自己複製を
当然考えると思うのです。

そのためのフラクタルを続け宇宙の中の文明の複製を
作るとしたら、仮定体に限らず、人類も高度な文明も
知的生物としての欲求は自己複製という渇望になり、
その手段が編み出されそれが時間封鎖であり、仮定体の
意思であり、パッシバでありレシヴァであると。

映画『2001年宇宙の旅』での話と同じです。

あの映画も結局人類のなさんとしたことは、自己複製
なのに、実際には太陽系外に自己文明のアーカイブを
発射するという行動で実際の宇宙計画でもこれは行われ
宇宙と交信するプロジェクトも実際に行われています。

しかし、考えるべきは、やがて起こる50億年後に
太陽が膨張し白色矮星へ変わるその時に人類として
文明の到達点や知識の到達点をどう保存するかで、
宇宙に飛び立つとか他の惑星に移住するなどという
ことではないのです。

そう考えた時に、当然かつてそう考えた人たちが
いたはずだということも考えが至れば、まずは宇宙を
結ぶ神経細胞のような情報網も当然考えつくし、宇宙と
つながりを持つ方法の構築も考えも及ぶというものです。

まさにそれが真理であり、それを理解するとは連綿と続く
かつて残されたであろうフラクタルの発掘であり接続
だと思います。

時間封鎖を読み終わったときに、この小説が三部作の
最初で次の作もすでに翻訳されていることを知り
すぐに注文しました。

第三作目は、題は出来ているものの上梓されたという
情報は昨年のこの本が出た時点ではないとのことです。
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これはいい『時間封鎖』

2009年09月10日 09時28分45秒 | 読書

アメリカのTVドラマとか映画とかの特徴は
とにかく正義は圧倒的に正しく、強く、かなり
困難な状況に追い込まれつつ、そして最後は
勝つというパターンが定着していて、それ以外
の要素が入り込む余地がないほどになっていると
感じていました。

ふと3年前の自分のブログを読み興味深いことが書かれて
いました。

『LOST』とか『ER』とか最近のドラマは主人公が
負け続け失い続ける物語となっているということです。

リーマンショック後の今は、もっと簡単にもっと白黒
はっきりしていて、とにかく正義は勝つというものに
変わっているのか。

昔からアメリカ映画は、アクションと能天気に正しく
勝つ強いヒーローばかりでした。

そんな世界に、毎週同じ時間にチャンネルを合わせる
だけの魅力を持たせられるはずもなく、編み出された
のが、謎に満ちた島や過去の失敗や人生の失敗から
現在に導き出した生きる知恵だったり、決断だったり
クリントイーストウッドなどは愛の形としての生だったり
したわけです。

アメリカでも映画をあれだけばかばかしい内容に塗りこめ
ていても、文化であり芸術だとする人がいてデートに
誘う第一の目的に映画に行こうと言う台詞が多く聞かれ
ます。

そんなアメリカ世界に文学で人々を魅了し人生の深遠を
覗かせてくれるものなど育とうはずもないと思って
いました。

しかし、SFだけは飛び切りに面白く、人生の謎と世界の
謎に突き詰めてもしやこういうことではと現実の世界も
考察させるものが数多くあります。

この本もまさにそんな一冊で、私はヒューゴー賞受賞と
いうことと帯にあるSFが読みたいベストSF第1位という
キャッチに触発されたのですが、まさかここまでという
意外感に包まれました。

よく人類の最後を描く小説はありますが、コーマック
マッカーシーのように大絶賛された本でもただ人類が
核戦争を起こしてしまい、生き残った人類のサバイバル
だったり、というありそうだけどどうしてそうなってその
次どういう世界が展開されるのかという小説はなかった
のです。

その中で、時間封鎖は太陽が膨張し地球を飲み込んで
しまう人類最後の時を描いており、その時何が起きて
何がどうしてしまうという意外なドラマです。

それでありながら、不思議な臨場感に満ちていてありえない
世界がその不思議な現象の謎を見極めたいという欲求の
ままにドラマは進行し、人類の最後はこうかもしれないという
同意感でつつまれます。

今でも話題の『1Q84』の打ちっぱなしの弾のような物語
と違い、打った先、つまり着弾点がはっきり見えるような
そしてその打った先の一つがこの1Q84のひとつにもあたって
います。

久しぶりの読書の醍醐味を味わえた本でした。

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秋の香り

2009年09月09日 20時26分42秒 | ジョギング
ここ一週間前から走っていると秋の
花、きんもくせいの香りがします。

まだ花は見ていませんが、香りは今でも
しています。

ついこの間まで、おしろいばなの香りでしたが、
まだ花は咲いていますが、香りはきんもくせい
に取って代わられました。

秋の香りだあと思います。

今日は随分涼しくなり、結構気持ちよく走れ
タイムもいいかと見てみるとあまり変わりません。

なんかゆっくり走るのがすっかり習慣になり、
厳しくタイムを競う走りをすっかり忘れています。

速く走るとあちこち痛くなり、故障もでてしまう
ので、それはあせらず追求しようと思います。

帰り道はすっかり日が暮れて、黒っぽい服装では
危険を感じます。

尾燈と反射テープをつけないとこれかは危険かも。
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どうなんだよイーストフード

2009年09月08日 13時15分55秒 | 日々のこと
どちらかといえば食品添加物とか、農薬とか
気になる方ですが、気にしだすと食べられるものが
なくなるとか世の中一向に気にせず楽しく生きておられる
方もいて、実際どんなものだろうという感じをよく
考えます。

こんなことを言い出したのは今日のお昼のパンを買う
ときの出来事です。

私のお気に入りのパン屋のできごとです。

自家製酵母とか天然酵母を売りにする店はたくさん
あります。

しかし、イーストフードという添加物が使用されているか
どうかというのは、大手のパン屋さんなど袋詰めする店
でもない限り、原材料表記がなく気にしなければ知りようが
ないのです。

隣町のパン屋さんで自分のうちでパンを焼いている店で
とてもよく売れている店ですが、コッペパンに原材料に
イーストフードが使用されており、これは小さなパン屋さん
でも使っているんだと気になってしまいました。

それからは原材料表記のない店でも聞くようにしています。

しかし、今日はまさか小さな自分のうちで焼いているパン屋
さんでも少し使っていますという答えに買うのを断念して
しまいました。

私の知識では、危ない添加物の最右翼で発がん性物質がある
物としてイーストフードは避けるという観念がありましたが、
これだけ小さなパン屋さんでも使っているとなるとどんな
ものかともう一度調べてしまいました。

確かに臭素酸カリウムは発がん物質とされていますが、最近は
一部大手パンメーカーのパン以外使用されていないのだそうです。
ならば安全なのかという気になりますが、危険な物質も
ありますが、ビタミンCをイーストフードとして使う人もいる
し、一概に危険とするわけにもという感じです。

なれどこういうグレーゾーンを許していると本当に安全食品
は手に入らなくなるのです。

やはり、イーストフードは使っていませんというパンを買い続ける
これが正しい選択と思います。

他人に押し付けはしませんが、そう思います。

最近の知人の死因ナンバーワンはがんであり、病院に行って
入院患者の病状を知れば原因不明の病気でベッドから離れる
ことも出来ずに各種医療器具につながれた人を多く見ることが
できます。

私は職場でかつてはNO1営業力を誇っていた人物が、原因不明の
病気で日々壊れていく姿を見ているだけに、世の中何かが
損なわれていると感じづにはいられません。
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キリスト実在の疑問

2009年09月07日 13時11分50秒 | 日々のこと
普段何気なく使っている、今年は何年の年の
数え方ですが、これは何から数えて2009年かは
皆さんご存知ですよね。

多くの方がキリストの死んだときから今の年は
数えだしているということだと思います。

最近耳にした物や新聞の記事からこれってどうなのと
疑問を強くしました。

キリストという人物が実在の歴史上の人物であると
当然これは世界中の人が認めていることかのように
思うじゃないですか。

しかし、これは大きな問題をはらんでいて、実在だと
するとイスラエルのエルサレム支配に関係してくる大
問題に発展するのだそうです。

イエスの弟のヤコブの骨箱が発見されこれが大問題に
なり、科学的な鑑定では偽者となったらしいですが、
裁判はまだ継続中とのことです。

聖書以外の実物での生存の証拠となる初めてのものだと
いうのですが、聖書中の出来事の現物というのは結構
たくさんあり、それらは聖遺物とされ教会の秘宝となって
いたり、ある結社やら団体により長く秘められて保管されて
いたりと謎な部分と世紀末に発表された死海文書などにより
より注目されました。

ちょっと前では、NHKの番組で聖骸布に関する番組で、聖骸布
に移ったイエスの顔からイエスの肖像を作るという番組があり
ました。それによるとイエスの顔は多くの宗教画のようなひげと
長髪ではなく、ひげもなく短髪で血液型がAB型で身長181㎝
年齢30-45と推定されるというのです。

しかし、これも真贋について決着はついておらず、この聖骸布の
存在自体19世紀に明らかになり、アロエに浸された布がネガ像を
作るというのも19世紀になって明らかになった技術であること
など後から作られた奇跡の感じも受けます。

これら一般に明らかにされたものですが、まだまだ秘密の
証拠は世の中にあるのでしょう。公にされたものが捏造され
た物が多く、本物は今も静かに世の諍いに関係なく存在し
信じるものだけに引き継がれているのではないでしょうか。

面白いのは、実在した人物かどうかあやしいとか実在の
年とはづれているという事です。
聖書の中では364日をもって一年とするという記述がある
ことからそれで数えるとあっているのかもしれません。

もともと暦が正確に必要になったのは19世紀の文明が
大きく変わり科学の進歩と国家意識が強まってからの
ことです。今までは、その時の支配者により、適当に
どの国でも元号があり、その時その時の支配法に従って
国家運営がされていたのですが、ヨーロッパ列強の
海外支配が進み世界共通の数え方が各国に入り込んで
きただけで、もともとキリストの実在とその生死の
存在など誰も気にしてなくて使っていたのです。

2000年の時には聖書の記述などから世の終わりとする
人々や世紀末思想などが重なり、終末が訪れると
かなり話題になりましたが、もう普通の年が重ねられ
やはり、宗教上の話だったのかという現実に引き戻され、
地球温暖化などの環境問題の話題にとって変わられました。

その温暖化も人が作り出したもののようになっていますが、
これは人ならぬものの手によるもので人が生活できるのも
人が住め食料を得られるのも天の恵みと最初は信じられて
いたのです。

それが人の定住と情報の交流により、いつのまにか天変地異
も人が作り出していることになってしまいました。
人々が誤りを繰り返し、天の創造のありがたさを忘れた時に
預言者が現れ、神との契約を迫ったのですが、今では
その実在が疑われる世となったのです。
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インフルエンザで忙しいでしょうが本日の珈琲

2009年09月07日 09時22分43秒 | 珈琲
厚生労働省は、インフルエンザのワクチン優先
順位の情報を更新したらしいですが、最初感染者
がでた時には、すごい大騒ぎした割りに何の
成果も示せず、夏に入り異例の大流行と身内の
批判まで飛び出し、相変わらずの役所なんだと
いう感じですが、最近は食品の残留農薬問題とか
餃子事件なんかまったく触れられなくなりました。

昨年、モカの輸入禁止問題があり、今年の6月には
モカの産地について国会で質問がありました。

さてここで一応整理しておく必要があります。

モカマタリは輸入禁止なのか。

調べたら、昨年の残留農薬発覚でエチオピア産の
モカが全量廃棄され、今後は全品検査となったの
だそうです。

国会の質問は、モカってどこの国の豆ですかと
社会党だか革新系議員が質問したものだったと
思いますが、何で今更そんなこと聞いたのか、それで
珈琲の産地について表示が変わったのか。

気がつけば珈琲屋さんでもいままでキリマンジェロ
と表示していたのをタンザニアとしたところがいくつ
かあり、この質問のおかげなのかとふと思ったり
しましたが、私のかねてからの不満が解決された
わけではありません。

イエメンのモカ港から出荷された珈琲をモカといって
いますが、イエメン産とエチオピア産があります。
これだけ産地が離れていても同じ種類の豆として扱われて
いたというのが不思議です。

農薬問題では、そもそも農薬なんか使っていなかった
エチオピアの豆が何でそんなことになったかと問題に
なりましたが、輸送用に使った麻袋がパキスタン製の
物についていたんじゃないかとなりましたが、依然
はっきりしたことは解りません。

ですが、輸入した豆が全てパーになるかもしれないので
輸入する業者はいなくなり、少量入ってきてもモカ
争奪戦となり、昨年から喫茶店からモカが消えるとか
値上げされるなど騒動が続いています。

しかし、その騒動も今はどうなっているのか定かでは
ありません。昨年までは残留農薬というのは中国野菜
をはじめいつも報道されていたのに、今ではインフルエンザ
の陰に隠れてしまったようです。

どちらにしてもモカは昔から酸味があり、私は好きな
銘柄ではありませんでした。ですが、ブレンダーとか
昔からモカマタリを愛好する人とか必要にする人が
根強くいることでネットでも話題になりました。

さて、それでは本当にモカは手に入らないのかとネット
で見てみると結構売っています。

喫茶店でもモカはありますし、モカ供給に汲々として
いるようですが、ネットで売られているのは昔入れた
古い豆だったり、ドイツから迂回輸入したものだったり、
エチオピアの豆でなくてイエメンの豆だったり
するようです。

売り文句がどれも刺激的です。歌にもなった有名な豆。
ワインのような高貴な香り。最も原種に近い。

等々そんなのを読んでいるうちに飲んでみようとなり
ました。

本日の珈琲は、モカマタリです。

モカハラーとか色々飲んではいますが、私はモカ=酸味
という概念をずっと持っていましたが、これは最近間違い
だと思うようになりました。

昔飲んでいたすっぱい珈琲は、酸化した古い豆なのでは
ないかということです。

今では、喫茶店でも自家焙煎の店が増え、酸味の強い
珈琲は飲まなくてもいいようになりました。それに、
大手珈琲チェーン店では焙煎を深くして酸味を消す
という豆が増え、ただ苦いだけというコーヒーが世の
趨勢のようです。

しかし、豆を売る人の特長説明で酸味が強いとか独特の
酸味という文句は未だに見られます。

そして、酸味が強烈という豆は甘みも強いのです。

甘い豆も苦い実がまったくないわけではなく、一時は
豆を浅く炒って甘みを強調するという手法が好まれた
時もありましたが、全ての豆でそれが合うわけもなく、
今ではなんでも深入りとなり、焦げ臭い豆をありがたく
飲む場合の方が多いようです。

珈琲ルンバにも出てくるモカマタリ。

ワインのような香りとは。

さてさて、香りは高貴な香りとか上品な香りという
表現でいいと思います。他の食品の臭いも邪魔しない
強すぎない香りです。

味は、甘みが強くさっぱりとしています。

今まで飲んだシェード珈琲のようなナッツ系やシード系
のコクがなく、あまり珈琲コーヒーしていないという
人によっては物足りないと表現しそうな味です。

ペーパーで淹れてしまうと深い味わいは感じず、薄い
珈琲のように感じてしまうかもしれません。

結構淹れ手の技量が表れる豆ですね。
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300億ドルが出せないはずは

2009年09月06日 00時12分53秒 | 日々のこと
昨日のNHKの世界のドキュメントも強烈でした。

今や世界で飢える人は10億人もいて、それを救うのに
対策費として300億ドル必要といわれています。

実際に国連では飢餓対策として50億ドルを当てたといいます。

しかし、番組の内容を見ているといくら飢餓民に食料支援を
しても彼らの飢餓は救えないというのが解ります。

セネガルの男性のインタビューなどを聞いているとこれは
食糧支援より、国家戦略というものを教えて、国を建てなす
マネージャーのような人を派遣することのほうが良いように
思いました。

まず、海外からの安い農産物の生で生活が苦しいということ
に対しては、関税をかけ国内農業を守る必要があります。
日本のように輸出主動の経済ではないので、とにかく国内
産業をまず強くしないと経済が発展しないでしょう。

なんでも外国の言いなりになることはありません。

そうでなくてもアフリカの国々は内戦で外国の軍隊の介入を
受けており、今でもたくさんの外国の軍隊がアフリカにいます。

国内の産業基盤を強くして、国の主体を強くして反政府組織を
封じ込めまずは内戦の完全脱却をする必要があります。
農業を発展させて飢えを撃滅させるにもまずは内戦状態の
複雑な国内事情を整理し、国民を教育し武器を一掃し、産業
農業の整備をしないことにはいくら金を撒いてもアフリカの
赤い土を豊な黒い土には変えられません。

食糧支援も道路がないので空から撒くだけ。

農業用の灌漑も設備がないので60%がそのまま垂れ流し。

そんなのはまず土建屋を作って公共事業で道路も国営農場も
作れるはずです。

関税をかけて安い米や安い鶏肉は排除して自分の国の農業を
育てることもせず、ただ会議に出て金をせびるだけでは
いつまでたってもいまのままでしょう。

以前のフェアトレードの農園の取材でもリプトンがセイロンに
茶畑を作った話がでてきましたが、その当時とまったく同じ
方法で今でもお茶が作られているそうです。

それまではセイロンにお茶はなく、リプトンはバングラデシュから
農民を連れてきて手でお茶を摘んでいます。
今でもその人たちが当時の建物で生活して茶を育てているそう
です。

植民地支配がなくなってもその畑から機械化したり合理化したり
という発想はなく今も昔ながらの手摘みでお茶を収穫している
のです。

農民の中から自分たちは搾取されているとまとまって労働環境を
整えることも考える人はでないし、農場主から農地を買い取って
自分の農園を作るような人もでないのです。

これは民族差でしょうか。

日本の棄民政策で南米に移住した農民は現地の過激な労働条件に
負けることなく、自分の農園を発展させ大農園を作った人もいます。
もちろんあまりのひどい状況に逃げ出した人もジャングルに勝てず
農業を辞めた人もいたのですが、成功した人もいるのです。

しかし、リプトンが茶産業を残してくれたのにいつまでも
搾取され続けているというのもあまりに現地人に気概がない
というか知恵がないということではないでしょうか。

これは根本的に教育がないことに起因するのです。

まずは、国で無償の教育をし、貧困から脱出できる人材を
作ることです。

日本も下手なODAでなく、畑を作り自分たちで食っていける
仕組みを教える援助をすべきです。

番組の最後で、金融危機で支出した金が12兆ドルだったのに
300億ドルが出せない国際社会という皮肉るような言葉で
終わりましたが、解決は金額の多寡ではないのは一目瞭然
です。
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ボロボロ

2009年09月05日 23時02分22秒 | ジョギング
今週は、木曜金曜と走りを休んでしまい
土曜のバスケット前にどうしても走ろうという
ことになり、久しぶりにいつもの公園に走りに
行きました。

市内は、他県ナンバーの車が多く、駐車場も
同様で、たくさんの車で混んでいます。

私が駐車場に着くと、同様に少し前についた人も
いかにも走りに来たような格好で車から出て行きます。

私も遅れまじと急いで着替えてコースに向かいます。

すると先ほどの男性は歩いて南口方面に向かいました。

そうかこんな暑い時に走るのは俺くらいか。

なぜか今日に限り久しぶりに暑くなっていました。

レンタサイクルの受付も人でにぎわっています。
そうなると走りづらいあの4輪車やタンデムが走って
いて走りづらいサイクリングロードが予想されます。

それよりも、やはり午後一番の30度越えのこの気温が
一番こたえました。

前回と違い走る人も二人しかいません。

私もこの次のバスケ練習の予定がなければもっと涼しく
なってから走りたかったのですが、こればかりは予定
なので仕方ありません。

タイムは11分とかなり遅いもののまあ休み明けだし、次の
バスケの予定もあるのでこんなもんかと次の体育館に
向かいます。

体育館では、やはりいつもの調子と違いすでにへろへろ
です。

基本練習の後、最後の試合では全然足が動きません。

最初の試合で、こんな動きではだめだと反省して、さらに
ペースと積極性を出してゴール下に勝負に出ます。

いつもならカットできる目の前のボールに足が出ません。
それでも自分の目の前に飛ぶボールは反射的に手が出て
どうにかカットします。

終わってみるとひざががくがくで、さらにやっと親指の
つめもきれいに揃ったところなのに、また爪が黒くなって
しまいました。
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