おもしろいところ、おもしろくなりそうなところは結構あるのに、
とにかく「作りが雑!!」で、素直に楽しめないんだよな~……。
一向一揆のときの本多正信のときと同様、
いきなり無から回想が生えてくるから、
「またか……」と思ってしまう。
どなたかが考察していたけれど、脚本の方の得意な現代ドラマと同様に
数話、なんなら1話だけでエピソードが完結するように作っているから、
感情のつながりがない。
親を殺される悲劇があっても、次の回以降は、
まるでそのことがなかったかのようにコメディしてる。
「無から生えてくる回想」も、
1話だけで完結させようとしているから
こうなってるんじゃないかしらん。
田鶴と瀬名の幼なじみの絆、道が分かれてしまい、
瀬名の夫によって田鶴が死に追いやられるという悲劇性。
私、こういうのめちゃ好きなのに……。
序盤にちゃんと幼少期をやって、義元の立派さやその時代の幸福感、
人物同士のつながりの強さを描いていればまたちがっただろうに、
後付けでエピソード出してくるからなんか白けちゃうの。
連続性のなさといえば、
「全体の中でこのエピソードに意味があるのか」
も結構怪しいと思っている。
前回は、「子どもがたくさん必要な理由」「側室は正室の部下」
「側室とは役職」というのをちゃんと描いていたし、
コメディはおもしろかったし、
側室・西郡局が一人しか子をもうけなかったことについても
独自の理由づけしていた。
でも、
「じゃあ、この側室・西郡局のエピソードが全体に寄与しているか」
「一人しか子をもうけなかった理由を説明する必要があったか、
それもセクシャリティを理由にして」
といったら、たぶんノーなんだよ。
全体につながっていると思われるの、
瀬名と家康の間の感情のすれ違い(瀬名の内心に家康が無頓着すぎる)
くらいじゃないだろうか。
そして、田鶴に焦点をあてたことも、
たぶん、夫婦関係への影響以外、どこにもつながらない。
田鶴の行動原理も、結局よくわからないままだったしね……。
瀬名への執着というわけでもなさそうだし、
本当に今川至上主義が原因なら、それ相応の説得力を持たせてほしい。
エピソードの積み重ねに意味がないの、本当に苦痛なんだよ~。
(「西郷どん」も後半の評判はよかったみたいだけど、
序盤の連続性のなさ、エピソードの意味のなさに耐えられず、脱落)
「もっとおもしろくできるだろ!! うまくやれるだろ!!」
と地団駄踏むばかりの日曜夜。