「武士の力を見せつけるために新古今和歌集を実朝に贈った」
とか、
「承久の乱に破れ、貴族が力を取り戻すことはないとわかりしょんぼり
→心のよりどころにしたのが『源氏物語』」
とか、
「解釈違いです!!」
と思うところもあったけれど、知らなかったことが多くて面白かった。
「かづらき」フォントも取り上げられていた。
後鳥羽院に絶交されたことや、鎌倉の御家人の娘を息子の嫁に迎えて
承久の乱後はむしろウハウハだったことには、触れられていなかった。
自分ですべて書き写したわけじゃなく、家の者に書写させていたことも
触れられていなかった気がする。
俊成は顔も出て声つきだったのに、名前すら出てこなかったの、かわいそう。
父あっての定家だったろうに。
【メモ】
・昨年発見された写本が定家本だとされた理由は三つ
1.サイズが他の青表紙本と同じ
2.紙の漉き方が鎌倉時代のもの
3.三位以上の人たちが使う「青墨」が使われていた
・『源氏物語』のオリジナルは、平安時代の間にすべて失われたと考えられている
・宇治十帖と、『源氏物語』の他の四十四帖は、
使われている語彙を統計学の手法で比較しても、
同じ作者が書いたと言える結果になった。
・「紫式部は救世観音の化身である」として仏像を身近に置いていた。
とか、
「承久の乱に破れ、貴族が力を取り戻すことはないとわかりしょんぼり
→心のよりどころにしたのが『源氏物語』」
とか、
「解釈違いです!!」
と思うところもあったけれど、知らなかったことが多くて面白かった。
「かづらき」フォントも取り上げられていた。
後鳥羽院に絶交されたことや、鎌倉の御家人の娘を息子の嫁に迎えて
承久の乱後はむしろウハウハだったことには、触れられていなかった。
自分ですべて書き写したわけじゃなく、家の者に書写させていたことも
触れられていなかった気がする。
俊成は顔も出て声つきだったのに、名前すら出てこなかったの、かわいそう。
父あっての定家だったろうに。
【メモ】
・昨年発見された写本が定家本だとされた理由は三つ
1.サイズが他の青表紙本と同じ
2.紙の漉き方が鎌倉時代のもの
3.三位以上の人たちが使う「青墨」が使われていた
・『源氏物語』のオリジナルは、平安時代の間にすべて失われたと考えられている
・宇治十帖と、『源氏物語』の他の四十四帖は、
使われている語彙を統計学の手法で比較しても、
同じ作者が書いたと言える結果になった。
・「紫式部は救世観音の化身である」として仏像を身近に置いていた。
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