牛込・神楽坂 酒問屋 升本総本店の別館「涵清閣」 主人が語る

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さようなら、新川。 辺境?を行く升本。 

2016-10-26 13:00:08 | 新川大神宮と新川
                           
                           【公式HPはこちら↑】








もう1週間以上、「新川ネタ」を続けています。




10/25:酒好き大名も太鼓判! 「酔いざめ爽やか」なのは、甲類焼酎でも銘酒「諌鼓」でもなくて、、、、、、、、、
10/24:看板犬の白い犬@江戸名所図会「新川酒問屋」
10/23:昭和初期の新川の様子、かな?
10/22:埋め立てられた「新川」ってどこ?いつ埋められた?
10/21:民家が古民家風居酒屋になり、古書店が古本屋さんに。。。。。
10/20:「江戸の花」というお酒が?@新川酒の入舟
10/19:新川ネタで頑張ってみましょう。力持ちのふるさと「新川」の力石(徹、じゃあない)
10/18:進化?する新川締め @ 新川大神宮例大祭直会です。



こうしてみると、色々なことを書いたものです(自画自賛)。


もちろんまだまだ、あと75日くらいは続けられますが、他のネタとのバランスもあるので今日でいったん新川締め中締め、としましょう。




で、なぜ「新川」なのか。



もちろん、新川は江戸時代以降の酒問屋の集積地.


現在も守護神「新川大神宮」や卸組合、酒・フーズ健保や酒・フーズ厚生年金基金などが居を構え、ウチもなんやかんやでお世話になっているのですが、新川ネタを続けるほど、新川に拘りがあるわけでは、、、、、、、、、、、、、、









いや、あるんです。






そのヒントは、








こちら



「東京名所図会」「新川の酒問屋」という項目。

新川の名 世に聞ゆるや久し。故に新川といへは。人知酒問屋の本場たるを知る。


で始まる記載の後半に、「酒問屋組合人名」というのがあります。



コレです



当時、「北新川組」「新川組」「茅場町組」の3つ(時代によっては北新川/南新川/南新堀/南茅場町というのもあったらしい)で構成されていた酒問屋(下り酒問屋)のリストがあるのですが、その三番目に南茅場町の「升本喜八郎」というのがあります。


これは(「茅場町店(だな)」と呼ばれていた、本拠である「升本本店(揚場の升本)」の出店(でみせ)で、下り酒問屋として「青松白鷹(辰馬悦蔵)」や「秀福(月桂冠)」などを扱っていたようです。そこの代表が、本家から使わされた「升本喜八郎」だったのです。
(ちなみに、昨日の「惣花」の加島屋さんは7番目に名前があり、こちらも「廣岡助五郎後見人」としての「廣岡五郎」の名が記されていました)


ちなみに、この茅場町店(升本喜八郎)は「升本商店」とも呼ばれていたようで、日本盛の前身「西宮酒造」の資料を引用した文献によると、日本盛の引き受け量は第二位だったようですね。


デス

出典:二宮麻里(2012):江戸期から昭和初期(1657年-1931年)の灘酒造家と東京酒問屋との取引関係の変化


なお、この茅場町店は、十数年後に分家筋である升本幸太郎店として独立しましたが、さらにその後、「升本総本店」の設立に参加し、現在では再度吸収された形となっています。


と、いうことで、ウチも新川酒問屋の末席に連なっていたわけです。


しかし、住所は「茅場町」で、「新川」ではないところが、現在でも「神楽河岸(神楽坂)」の問屋と言いながら、住所はお隣の「揚場河岸(軽子坂)」というのがそれらしい、ですね。


辺境を行く升本。


それでは、しばし新川ネタから離れましょう。



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