【公式HPはこちら↑】
一昨日、所用で新川大神宮のお隣にある酒・フーズ健保会館に赴いたのですが、その時、地震がありました。
後で気象庁の地震情報を見ると、11時53分の地震のようです。
東京都のこの辺りは震度2のようでしたが、体感ではもうちょっと大きかった気もしました。
その体感が正しいかどうかはさておき、その時火曜日以来続けている新川ネタとも絡み浮かんできたのは、「この辺って埋立地(なので揺れる?)」ということ。
最初に新川に連れられて来た時(社長のお供で大星岡村さんにご挨拶に来ました)、新川大神宮の前の通りを歩きながら社長から「ここは堀だった」「戦災の瓦礫で埋め立てられた」と教えられたのを思い出しました。
で、改めてなのですが、「堀だった」という「ここ」はどこまでを指すのでしょうか?
もっとも狭い範囲を考えると、大神宮の前の通り=堀ですが、それでは狭すぎる。
とすると、通りそのものは昔から道路で、その裏側の地割り、すなわち現在、背中合わせに建っている加島屋さんと大星岡村さんの敷地の範囲が堀だったのでしょうか?
新川の方々にお聞きしようとも思いましたが、「そんなことも知らないのか」と叱られそうなので、自分で調べてみました。
「新川」「埋め立て」などと検索してみると、
・川幅は約11mから約16m
・西から一の橋、二の橋、三の橋の三つの橋が架かっていた
・昭和23年(1948年)に埋め立てられた
などの文字情報が得られました。
この規模だと、やはり道路と道路の間が新川だったようですね。
でも、これで満足しないのが探究する総本店。
米国支社を通じ、ペンタゴンから占領軍(米軍)撮影の空中写真を電送してもらいました。
この頃の写真としては2枚ありました。
まずは、1948(昭和23)年3月29日撮影のもの
(あ、米軍撮影というのは本当ですが、ペンタゴン云々は冗談ですよ、念のため)
写真左上が茅場町の交差点、右下が隅田川と接する渡海稲荷神社の辺りですが、新川がちゃんと写っています!
上で書いた、「一の橋、二の橋、三の橋」というのもはっきりわかります。
そして、翌1949(昭和24)年3月3日撮影のものもありました。
あ、新川が無くなっています!
この一年間で埋め立てられてしまったのですね。
(埋め立て跡に既に建物が立っていますね。これが戦後の活力の源なのでしょう)
ちなみ、その十数年後、東京オリンピック前年の1963年6月26日撮影の写真はこちら
(これは米軍ではなく、国土地理院)
しっかりとビルが建っています。
◆
3時点の写真を見たわけですが、折角なので新川大神宮の辺りにクローズアップしてみましょう。
まずは、1948(昭和23)年3月29日撮影
樹木が茂っているように見える、黄色で囲った部分が新川大神宮ではないでしょうか?
そして、翌1949(昭和24)年3月3日撮影のもので同じ辺り
新川大神宮の様子はそのままですね。
お向かいの加島屋さん、大星岡村さんの辺り、堀沿いだったところいに小さい建物もあります(コレかな?)が、多くは埋め立てたままの空き地、です。
十数年後の1963年6月26日撮影の写真
建物が立ち並んでいます。
今日の新川ネタは、空から見た新川、でした。
★★★★★酒・ブログランキングにエントリーしています★★★★★
応援何卒よろしくお願い致します
応援のクリックを↑↑↑↑↑
【アルバイト・契約社員募集中!】
(1)飲食部門(フロアスタッフ兼新規開店企画)
(2)酒類営業部門(倉庫管理兼営業企画)
(3)酒類営業部門(通販管理)
日時・時間はご相談。正社員登用もあり。男女問いません。詳細は当社HPまで。