最近「ひなたぼっこしながら(ビタミンDを取りつつ)お弁当を食べる」ことにハマっていた私だが、先週ある出来事があった。車の出入りが激しくて砂埃まで舞うという出来事である。(ゲホゲホ・・・)
それを機に「お弁当は事務所で食べてその後日光浴しながら散歩しよう」と言う方針に変えた。30分でお弁当をかけ込んで、外に出ることにした。
ほんの短い散歩だったが、まだ少し残ってるコスモス、葉が黄色や赤に変わりそうな木、まぶしい緑の草。ゆず?黄色いみかん?もみかけた。もう葉っぱがないハゲ山ならぬハゲ木に柿の実がたわわになっていて「秋だなぁ」と思ったりした。
そう言えばこの前借りていた本。
「散歩が楽しくなる俳句手帳」/堀本裕樹さん著
パラパラしか読めなかったけど、面白そうな本だった。。。(本の内容はこちらに)買っちゃおうかな~と思ったけど、小さい本の割りにちょっとお高くて悩み中。でも季語も馴染みがあるような言葉ばかりで、選ばれてる俳句も感性研ぎ澄まされた俳句って感じ。
(散歩しながら俳句かぁ~)と思いながら、何も言葉が浮かばない。
「柿の実・・・秋だなぁ」とか、「紫陽花がまだ残ってるなんて」とか、当たり前だのクラッカー的なことには気がつくけど、そこから洗練された俳句にはならんのデス。。。(-_-;)想像力のない私には無理なのかも。。。。
柿の実を見ても、残り少ないコスモスを見ても、それ以上何も見えないのだもの。そう言えば今日は帰宅途中に、お月様を見た。車に乗る前は雲がかかって、薄らボンヤリしたお月様が、やがて走り出すと雲が消えて鮮明に下にぶら下がっているように見えたり、また角度が変わると、少し上に見えたりしたのだ。
薄い月(三日月?)がブランコみたいだなぁ~・・・・と思ったけれど、それ以上何も浮かばず。
自分だけのことで精一杯な人間には、俳句をひねるような想像はできないのだ。
(それでも、毎日お弁当を食べながら季語のひとつを知ることで、何か道は開けるかもしれない。)と思うのだけど。。。
それで昼休みは終わった。途中に小さな公園があり、誰も居ないし、日当たりも良さそう。
(たまにここでお弁当を食べるのもいいかも。)
最近、あまり急がせないようにしている、自分を。
いっけん無駄なようで、何もしないボンヤリした時間は気持ちをリセットするのにいいような気がする。
ネットを開いても、情報はあちこちに転がって気が抜けない。
やりたいことも(知り得てしまった結果)たくさんある。
行きたい場所も。
でもそんなにあれもこれもと受け入れようとすると、心を亡くしてしまう。
一生懸命やることもいいけれど、急がせないで何もしない時間を作ることで、自分を大切にしているような気がしてくる。
そんなに急がなくていい。そんなに色々やらなくていい。
毎日、そう言いたくて。←大して何もしてないんだけどね。
今日のお弁当。先週ゆでたほうれん草がまだ残っていたので、豚肉と炒めることにした。
味付けは冷蔵庫にあったキッコーマンの「おろししょうゆ」なる調味料。私は「悪くないじゃん」と思ったけれど、kekeには「ビミョウ」と言われてしまった。やはりこの「おろししょうゆ」は和え物に使う方が良さそう。(焼いたサンマやハンバーグにもいけるけど。)
私はもう句会もoffになってしまったので、
毎日とまでは行きませんが。
私の場合は句会と言ってもネット句会なので実際に「吟行」に行って作句するという習慣はなかったのですが。
それでも、季節はいつでも感じるし、
元々、心の内奥のものを17文字で表すというのが得意だったので、相応しい季語をを斡旋するだけでしたから私にとっては楽でした。
それが吟行に行ってその場で作るという行為に慣れている人はこのご時世で持って、或は高齢でもって難しい環境になっているようですね。
私は句会はoffになっても細々とファイルに書き込んでメモっています。
それをポエムに仕立てることが難しいんですけどね。
集中する時間が必要なんですが、
今は、カメラで被写体を追いかける時期になっていて^^♪
でも、信号待ちでも走行中でも閃く言葉や景色があったらインプットしておいて、憶えてればパソコンの中のファイルに書き込む、ということをしているので欲張りですね^^v
貪欲になることも必要かなと。
そうしておいてスイッチを切りかえて作句、で良いと思いますね。
俳句って、余裕があるから詠むのではなく、私はどん底の中で作り始めましたよ。
このままでは、何とも情けない自分・・当時のことですけどね。
ま、今でも、ある人から見ればそうなんですが、それは他人が他人の物差しで決める、決められるものではなく「自分が決める」のでノープロブレム^^v
「角川俳句」に書かれていたと記憶しているのですが。
・・・いじめられていた男の子が不登校になって。
その環境で作り始めた俳句ですが、後にそれが認められて、いじめた子が謝ってきたことや、自信を持てたことにも繋がったそうです。
「ランドセル俳人の五・七・五 いじめられ行きたし行けぬ春の雨--11歳、不登校の少年。生きる希望は俳句を詠むこと」
(春の雨・・暖かく成る前の春の雨。しかし、まだ冷たい雨ですよね。学校に行きたくても行けない・・その思いを春の雨に託したという風に鑑賞させていただきましたが)
11歳の少年が生きる希望を失うほどの辛い経験をして、俳句で生きる糧を見出した。
私もそれに似ています。大げさではありませんよ。
自分に自信が持てた、前向きに生きていいんだ、と^^v
という訳ですが。綺麗な景を綺麗に詠むのが俳句でなく。
そして、俳句には「哲学や思想」は要らないそうですね。
それらを除けたらOKのような気がします^^♪
散歩していて気になった言葉?
花なんか、、、スマホのメモに記録しています。先日、枯れた落ち葉があったのでなんとなく浮かんだ病葉を使って調べたら夏の季語でした。
辞めたら楽!でもなんか続けています。
夏井いつき先生のYouTubeを見たらいかがですか?
俳句って難しいですね。作ろう作ろうとしても言葉が浮かびません。
なるほど!きれいな景色やきれいな言葉にしようと思うから浮かばないのかもしれませんね。それよりも心を素直に詠むことを考えた方がいいのかも。
いじめられて不登校になったお子さんの俳句、心を素直に語って「春の雨」に託すとは。
たしかに春の雨って冷たいですね。夏ではないし、これから冬に向かうのではなく、暖かい季節に向かう雨だから、もしかしたら彼の学校にそのうち行けるのではないかという期待もこめられているのかも?!(^^)
(考えすぎかな)
俳句も季語に向き合って、勉強しなければできないものですよね。不登校ってマイナスのイメージがあるけれど、友達と遊ばなくても、クラブ活動できなくても、そのような創作活動の時間って充実しているように思います。
それがいい意味で取り上げられて、そのお子さんも自信がついていく・・・いい話ですね。^^
あ、そうそう、先日のmakoさんのブログにコメントを入れたかったんです。
アクア水郷パークの紅葉、きれいですね。
やっぱり紅葉って池とか、水辺の景色が映えてきれいだなぁ~と思いました。
全然話が飛びますが、我が息子、幼い頃活動や言葉もなかなか達者ではなく慎重なタイプでした。
言葉も本当に出てくるのかな?と心配しましたが、やがて出てくるように。。。
言葉って、だんだん右肩上がりに出るのではなくて、ある時から急に出るんですよね。
今の私はまだ季語の意味もニュアンスもよく分からないから、なかなか俳句にならないんです。でも季語の意味が分かってきたり、いろんな方の句や解説を読んでいるうちに、ある時作れるようになってくる・・??
そんな期待もして、せめて季語の意味位は勉強しようと思います。^^もう冬になってしまった。
きみさんも俳句をされているのでしたら、いつぞやの機会に一句聞かせていただきたかったです。^^
たしかきみさんの句会は年配の長い経験の方が多かったと聞いています。
句会かぁ・・・
俳句本を読むと、必ず出てくる「句会」。でも句会があるから面白いと言われる方もいますよね。でもプレッシャーになるし、いつまでに作らねばならないとか、何分まで作らねばならないとか、今の私にはちょっと考えられないような・・・・
でも定年になったら、そういう場所に身を置くのもいいなと思います。1週間予定が何もないのは寂しいし、かといっておしゃべりや飲み会は苦手だから。
俳句だったら、次の時までに何か作ろうという目標もできるし、ちょっと感性も表現できるし。。。。
散歩して見える景色も変わるような気がします。
夏井いつき先生ですね。
松山出身の先生ですね。正岡子規と同郷でしたっけ。
今度動画を見てみようかな。
やりたいことが、色々でなかなか手が回りません。(^^;
最初は季語の意味だけでも勉強しようと思います。