3月、4月と卒業式、入学式に都合4回でて、ありがたい(?)話を4回×何回か聞きました。
式ですから、どうしても形式ばらざるを得ず、堅苦しいことは堅苦しいのですが、普段あまり考えないことを考える機会にもなりました。
曰く、「学ぶ」ということが、人間を人間たらしめている要素であるということです。勉強というと、強いられて勉めるという強制のイメージがありますが、本来の「学び」は強いられるものではありません。
人間を人間たらしめているのは、「自ら学ぶ」ということです。もちろん、犬だって学習はします。しかし、それは報酬で強化される単純な芸の域は出ません。猿は、もう少し高等な学習をしますが、それとて、バナナなどの報酬を得るためのトライ&エラーのようなもので、人間の「学び」には遠く及びません。
人間は、目の前にバナナを置かれたから学習するのではなく(それももちろんありますが)、自分でバナナ(目標)を設定し、それを獲得するための課題を考え実行し、出来なければ、また原因を考え学習し、やり直すことが出来ます。
さらには、バナナなど何かを得るために学習するだけでなく、「学ぶこと自体が喜び」となるのも人間だけの特権でしょう。
こうしたことを改めて考えた時に、散ドラ諸君にとっての野球とはどういう存在でしょうか。強いられて練習していませんか? バナナを置かれて練習していませんか? 自分で自分の課題を克服するために考えていますか? 野球をすること、うまくなること自体が喜びになっていますか?
もともとは、そうした「学び」が楽しくて野球を始めたはずです!ぜひ、野球大好きな「人間」になってほしいと思います!
今日のジョグ
は、つまらない飲み会で、お休み。