ひげ爺のお産・子育てご意見番

子どもは育つ力を持って生まれてきますが
親に子育てする力が減っています。
親育て支援の中で感じたことを書いています。

いいお産をするために

2008年01月02日 | 日々の思い
皆さんは、お産やお産の現場にいる産科医や助産師のことをどのように考えているのでしょうか?
お産は、本来「自然の営み」です。昔は、お産の介助をしてもらっていました。あくまでもお産は「産婦」が主体的にするものでした。
伝統的な日本のお産ができたのは、日本人の暮らしがいいお産をするために最適なものであったことです。
生活は、日本家屋で、毎日拭き掃除をし、選択は盥で洗濯板を使っていました。
そのためには、屈んで股を開き盥を間に挟む形で行っていました。
また、トイレは和式の屈んでまたを開くスタイルで足腰の筋肉や開脚をする必要がありました。雑巾がけも同じような効果があります。

愛知県岡崎市の吉村医院の吉村 正先生のところで希望する産婦は古家と呼ばれる日本家屋で産前に暮らします。

今の洋式トイレや掃除機、洗濯機などの文明に浸った生活では、理想的なお産は臨めないのではないでしょうか?
生活そのものや精神が脆弱になっている今日では、お産も人に依存しているのです。


今日来たある産科医のメールです。
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私たちはもっと生活を見直すべきなのだろうと思います。

 産科も同じです。命の誕生を喜び合う場であったはずが、いつしかお互いを責め合う場へと変化してしまいました。嘆かわしいことです。
喜びも悲しみも自然の摂理として、共に受け入れていかれない医療には、空しさしかありません。
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悲しい現実ですね。
この背景にあるのは、親になっていない女性が親になることです。
自然の摂理や人間の性の営みに反して、妊娠を計画的にし、子どもを「造る」という行為を行っていませんか。
わずかな知識と間違った常識で、お産を考え、妊娠情報誌やくだらない雑誌を鵜呑みし、それをお産の現場で、美容院のヘアーカタログのように切り取って、このようなスタイルのお産をしたいと希望を述べる。

自然の摂理にかなった生活をしていないとお産はうまくいきません。

産科医の現象を招いている大きな要因は「親になっていない妊婦」の自分勝手な屁理屈や義務も果たさず権利を主張するからです。
感動や感謝のない医療はむなしいものです。
お産には、悲しい現実もあります。赤ちゃんや産婦にトラブルも起きます。
お産にはそのようなことは当然起こります。
お産には100%の安全はありません。

気に入らなければ「医師を責め訴訟」をする、それでは医師はやってられません。
裁判に使うエネルギーや心的苦痛ははかり知れません。

医師が患者を選ぶ時代がやってくるのではないでしょうか。
それも当然だと思います。信頼関係が構築できる妊婦しか受け入れない、それはリスクをさけるためには当然です。医師も自分を護らなければならないのです。


お産は、カタログどおりにはいきません。
こころと体が出来てなければ、お母さんにはなれません。
ままごと遊びの「お母さん」です。だから育児不安等ということが起こるのです。
最近の子どもは、「ままごと遊び」ができません。
家で親がする「家事」をみていないから出来ないのです。
コンビニやマクドナルド、ピザの出前や回転寿し、レトルト食品の暮らしでは、ままごと遊びは電子レンジで遊ぶか、おもちゃのレジスターで遊ぶのが関の山。
お料理をつくったりのごっこ遊びはできません。情けない、情けない。

これらの「遊び」はその子が結婚したら自然に家事や調理ができるようになります。
親の姿を学び、脳裏に焼き付け、自分が親になったときに自然と出来るものです。
お人形遊びは、自分が親からされた育児の復習です。親になったときに自然に授乳行動や赤ちゃんの抱っこやおんぶができます。子育てに役立つ様々な情報は「親からされたこと」が自然に甦ってできるのです。

ままごと遊びをしている子どもをみると「安心」します。親の育て方ができていると思えてうれしくなります。

お産についてもう一度考えてください。
一生に数度だから豪華な「人任せのお産」ではないのです。

お腹の赤ちゃんと妊婦が主体の手づくり「お産」をしてください。

コメント
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