津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■年賀状と年末の想い

2024-12-30 17:31:43 | ご挨拶

 令和7年の年賀状はシンプルなデザインにした。お出しする相手方(存じ上げない方の方が多いが)を思いながら、少々のコメントを入れる。
随分古いお付き合いの方々から、「年賀状納め」のご連絡を戴いたりしているが、なぜかホッとする私がいる。
私もそろそろと思うからである。
私は再来年の「午年」で7廻り目の干支を迎えるから、それまでは何とか頑張ろうと思っている。
私ほどの年齢に成ると「何とか生きております」のご連絡でもある。
しかし、御年賀をいただくとご返事申し上げるの礼儀だから、かえって先様に御迷惑をかけることになるから、私も7廻り干支などとは言わず、そろそろ矛の納め時だとも思う。
住所録には70名ほどの名前があるが、「鬼籍」に入られた方のご住所も消し難く、またご家族の「ご不幸」のご連絡などを除くと、年賀状対象者は50名ほど、一時間ほどをかけてコメントを入れ、近所の郵便局に出かけて投函する。
年賀はがきが、63円が85円に3割以上値上がりして、年賀状離れは加速化することだろう。
日頃のお付き合いはSNSなどが発達した今日、年賀状の役割は危うい存在になりつつあるが、すべてを止めるわけにはいかない大切なお付き合いのアイテムであることに変りはない。

「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」年が移り変わり、人も又流れる水の如く明日の人生が新たにある。
それでも御縁のありがたさに感謝するのは、その御縁が私の人生にもたらした大きな励みになっていることは、疑うべきものではない。
令和六年も明日は「大晦日」、我が人生多難とはいえども元気に大晦日を迎えることができたことに只々感謝しかない。

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