脈絡のない話だが、これは江戸時代の時間の管理と、ユダヤ教における時間のとらえ方についてである。
「12月14日寅の上刻赤穂浪士が本所吉良上野介の屋敷に討ち入り」と言い伝えられている。
「どっちなの・・」と頭がこんがらがるが、江戸時代の日の変わり目については「暦林問答集」に「丑を昨日の終となし、寅を今日の始となす」とあることからすると、寅の上刻には日替わりしていることに成り、「14日・・討ち入り」という表現は根拠を失うことになる。
某大教授の「吉良邸に討ち入ったのは「寅之上刻」とされています。現在でいうと午前3時過ぎです。旧暦では午前3時を過ぎると翌日になるので、正しくは15日ということになります。ときどき「討ち入りは12月15日」となっているのはそのためなのです。」という解説をされている。
「14日未明には行動を起こして、日が変わるころ討ち云った。「引き上げは寅の下刻(5時)」とあるから、上野の御印を上げたのは15日の5時前」といった感じで受け止めておこう。
今日はクリスマス・イブ、どなたもクリスマスの前日ととらえておられるだろうが、これも間違いでユダヤ教における日が変わる時間が関係している。
ユダヤ教では日没をもって「日替り」とする。つまり現在の24日の日没時から25日ととらえているから、現在のイブは「25日の夜」にあたる。
「イブ=Eve」は夕方や晩を意味する『evening』の古語『even』からきているとされる。クリスマス・イブは「クリスマスの夜」なのである。
街中は若い人たちで大賑わいをするのだろうが、こんな爺のたわごとなどどうでもいいことだ。
私が申しあげたいのは、国により時代により時間の考え方が多様であるということである。
日本の旧暦12月14~15日は、グレゴリオ暦によると、年が替り1月の30日になる。積雪があったとされるがこれも真実ではないらしいが、現代の季節感では来年の1月の末という事に成るから真実味はある。
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