高祖父の岳父たる上田久兵衛は、娘婿たる我がひい爺様を「藤聟」と呼んでその日記などに記している。
「藤聟」をどう読んだのだろうかという疑問がいまだに解決できないでいるが、NHKの大河ドラマ「光る君へ」で、紫式部が「藤(とう)式部」と呼ばれて云う事から「とうのむこ」と呼んでいたのではないかと思い始めた。
日頃の会話では名前を呼んでいたろうから、これは日記のみに現れる「愛称」みたいなものだと思われるが、考えてみるとなかなか洒落た高祖父さまだと思ってしまう。
久兵衛の名も慶応・明治期に成ると「休兵衛」としたが、「官名」たる「兵衛」の使用が制限されると「休(やすむ)」と改名した。
「やすみ」かもしれないが?
「藤聟」たるひい爺様は又太郎(諱・安正)という名だが、その父親たる高祖父も名乗りは又太郎で諱は「安玄」である。「玄」の字は「くろ・しず・しずか・つね・とお・とら・のり・はじめ・はる・はるか・ひろ・ひかる・ふか・ふかし」などと読むらしいが、恥ずかしながら私は高祖父爺様の諱をどう読むのか知らないでいる。
私は「又太郎じいじいさま」で通してきたから、今ではどうでもいいと思っているが、「藤聟」も「安玄」の読みも未解決事項のままで今年も年越しである。
最新の画像[もっと見る]
- ■細川三齋(忠興)の肥後入りと「桧垣の塔」 2週間前
- ■葉室麟著「蜩ノ記」と「刀伊入寇」 2週間前
- ■葉室麟著「蜩ノ記」と「刀伊入寇」 2週間前
- ■茶臼山の正体みたり 2週間前
- ■読めない?今年の漢字「金」 3週間前
- ■刀伊の入寇-二冊 3週間前
- ■刀伊の入寇-二冊 3週間前
- ■メルカリで 3週間前
- ■茶臼山と熊本城 3週間前
- ■津軽承昭宛細川刑部家・興増書簡尊稿 1ヶ月前
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます