津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

「宇土細川家侍帳」に・・・

2005-01-17 18:16:11 | 歴史
「慶安五年辰年・宇土細川家侍帳」を眺めていたら、我が家の係累の人
と思われる人についての記述を発見した。江戸詰めの人で、●杢之丞と
いい五石三人扶持・路地役とある。父親は加左衛門、この家は杢之丞で
断絶したらしい。

 何故一族の者が宇土細川家に・・・・思い当たるふしがある。
我が家は元々は毛利家の家臣だったと言うが、下松(山口県)の居宅に、
「江戸へご上下」される三斎公が、度々休憩の為に立ち寄られたという。
その折に初代兄弟がお目に掛り、槙嶋雲庵や清田石見の斡旋で、児小
姓として豊前に召し出されたという。初代(弟)は三斎の八代入りにお供
したとされるが、病身であったらしく嶋原の乱への参加もない。
この初代は本姓磯部を名乗ったが、二代目は母方の姓●を名乗って今
日に至った。三斎の死去後二代目は本藩の禄を頂戴している。

先の●加左衛門は我が家の二代目の弟ではないのか。
宇土支藩の立藩に伴いお供をしたのではないのか。

 いずれにしても、宇土細川藩●家は断絶しているので、調べようもない。
また、初代の兄・磯部長五郎(三斎殉死の蓑田平七を介錯)の胤の行方
も知れない。
コメント (2)
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