高山右近書状 横川理安(古市宗庵父)宛て
尚々天気悪候者
御出候事御無用に
御座候
明昼飛鳥井
宰相殿少将殿御
出候間如何程に御隙
入候共御越待申候
長岡も可有御同
道候 恐々謹言
高右近
五月十九日
(署名花押)
理安老
御宿所
(解説)右近書状
上の書状は東京ご在住の古市繁氏蔵。古市氏は古市宗庵のご子孫である。
千利休は、茶道極意・直台子などの秘伝を故あって実子に伝えず、門下の女
婿千宗円(円乗坊)に伝え、宗円はその婿古市宗庵に伝えた。
宗庵は寛永二年細川忠興の茶頭役に召し抱えられ、知行弐百石を与えられた。
この書状の宛人は宗庵の父横井理庵である。千宗円に師人した茶人で忠興
とは蹴鞠の相手として親しかった。文中の飛鳥井宰相は飛鳥井流蹴鞠と歌道
の宗家参議飛鳥井雅庸(宰相は参議の唐名)。少将殿は雅庸の兄、右近衛少
将飛鳥井雅賢であろう。長岡は長岡式部興長だと思われる。
この一枚の書状からも、右近の交友の広さと社会人としての人柄を偲び得る。
(片岡弥吉著・日本キリシタン殉教史より P78)
※解説文中横井理安とあるが、横川理安が正しい。
※(円乗坊)の書きこみ。 津々堂
尚々天気悪候者
御出候事御無用に
御座候
明昼飛鳥井
宰相殿少将殿御
出候間如何程に御隙
入候共御越待申候
長岡も可有御同
道候 恐々謹言
高右近
五月十九日
(署名花押)
理安老
御宿所
(解説)右近書状
上の書状は東京ご在住の古市繁氏蔵。古市氏は古市宗庵のご子孫である。
千利休は、茶道極意・直台子などの秘伝を故あって実子に伝えず、門下の女
婿千宗円(円乗坊)に伝え、宗円はその婿古市宗庵に伝えた。
宗庵は寛永二年細川忠興の茶頭役に召し抱えられ、知行弐百石を与えられた。
この書状の宛人は宗庵の父横井理庵である。千宗円に師人した茶人で忠興
とは蹴鞠の相手として親しかった。文中の飛鳥井宰相は飛鳥井流蹴鞠と歌道
の宗家参議飛鳥井雅庸(宰相は参議の唐名)。少将殿は雅庸の兄、右近衛少
将飛鳥井雅賢であろう。長岡は長岡式部興長だと思われる。
この一枚の書状からも、右近の交友の広さと社会人としての人柄を偲び得る。
(片岡弥吉著・日本キリシタン殉教史より P78)
※解説文中横井理安とあるが、横川理安が正しい。
※(円乗坊)の書きこみ。 津々堂