覚
一、しゃかいんの竹ノ子地ヨリ五寸六七寸ノ間之時ニ土よりとりて おけニすなを入
それニまぜ候て江戸へ二三百本可越候事
一、八代みかん毎々ちいさきハ下候事無用ニ候すへ候てやくニたち不申候間 奉
行ニわたし可申付候 又所のしょうやニわたし可申付候事
「史料細川家文書(一)・・ 史燈-熊本大学・国史研究室}より
日付は無いが前後の文書から、寛永十六年二月頃のものと思われる。
竹の子を二百本もどうしようというのだろうか。砂に交ぜてというのがなかなかのアイディアである。八代のみかんは献上物であろう。
一、しゃかいんの竹ノ子地ヨリ五寸六七寸ノ間之時ニ土よりとりて おけニすなを入
それニまぜ候て江戸へ二三百本可越候事
一、八代みかん毎々ちいさきハ下候事無用ニ候すへ候てやくニたち不申候間 奉
行ニわたし可申付候 又所のしょうやニわたし可申付候事
「史料細川家文書(一)・・ 史燈-熊本大学・国史研究室}より
日付は無いが前後の文書から、寛永十六年二月頃のものと思われる。
竹の子を二百本もどうしようというのだろうか。砂に交ぜてというのがなかなかのアイディアである。八代のみかんは献上物であろう。