2章では管理階層方式で教会を運営するカトリック教団の生成・発展の有様と
教理および教理書の具体例を概観しました。
この章では、この教団がキリスト教会の代表とみなされるようになり、
ついにローマ帝国の国教の地位に上り詰めるプロセスを追ってみます。
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キリスト教会はローマ帝国に信徒を広げ、社会的にも有力集団となりました。
当時のローマは全欧州を統治する広域国家でした。
大教団は一つの社会的勢力です。国家の統治者はこれに無関心でいることは出来ないものです。
だが、キリスト教団にはそれ以上の問題がありました。
この教えにはローマ帝国の人民統治政策に相反するところがあったのです。
帝国は初代皇帝アウグツスツ以来、皇帝を神として崇拝するという国家理念政策をとっていました。
人心の焦点をここに合わせて一体性を実現し、
地中海全域にわたってパックスロマーナ(ローマ統治下での平和)と呼ばれた平和を実現していた。
平和になれば交易も容易になります。帝国は経済的にも繁栄を続けていました。
ところがキリスト教会は聖句主義、教理主義をとわず、まことの神は万物の創造神だけとし、
この神以外を拝する行為、とりわけ人間崇拝は偶像崇拝だとして否定していました。
この思想が普及したらローマ市民は皇帝崇拝をしなくなってしまいます。
そうなれば人民の一体性は薄れて国家は弱体化します。
キリスト教会には社会奉仕を盛んにするなどいいところがたくさんあったのですが、
この思想の故に帝国は教団を容認するわけにはいきませんでした。