もう一つの大量移住聖句主義者グループ、メノナイトは別の意味で面白い面があります。
彼らはバプテスト聖句主義者とは対照的に北方の地域、それも西寄りの、
現在のアメリカとカナダの国境の両側あたりに集中的に移住しました。
今ではアメリカ側に住む人の数が多く、ノースダコタ州、アイダホ州、ワシントン州、オレゴン州
などにメノナイトの教会がたくさんあります。
ここは領有植民地にもまだなっていない未開地でした。
こういう地には移住者は自由に住み着き開拓することが出来ます。
アメリカ建国の父とされているピルグリムファーザーズもそのケースで、
彼らが1620年に移住したボストン郊外の半島の一地区は、東海岸にあったのですが
手つかずの未開地でした。
彼らはその地区をプリモスと名付けて開拓しました。
そこはボストンが江戸だとすれば、三浦半島の横須賀といったような位置にある土地でした。
彼らは分離派ピューリタンで、暖かい南の方に移住するといって移民船に乗り込んだのですが、
なぜか途中で冬の寒いその地に下船して住み着きました。
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メノナイト派の人々が寒冷の未開地である米加国教あたりに移住したにつけては
特殊な事情がありました。
彼らの多くは北欧地域に逃れすんでいました。
前述のオランダもそうですが、デンマークにもたくさんいました。
彼らは「汝殺す無かれ」という聖句を守ることに心を砕き、戦争にかり出されることを
なんとしても避けようとしました。
そこで「汚物処理など人のしたがらない仕事をすることを条件に徴兵しない」という約束を
国王から得て生活を続けました。
北の凍てついた土地を掘り起こしてジャガイモを栽培する技術に長けていて、
国家の食料大量生産に貢献したのも徴兵回避を許される要因でした。
現在も右の諸州は合衆国のジャガイモをほとんど一手に生産しています。
けれども国王との約束は個人色が強いものです。
代が変わって新国王になるとまた交渉を始めねばならず、
新国王が同様な契約を結んでくれないこともあります。
その場合には、隣接国の王様に同様な約束をとりつけ、そこに移住しました。
その動きが結果的に東回りになったようです。
彼らはデンマークからノルウェー、スウェーデン、フィンランドへと移住しました。
ロシアに移るものも少なくありませんでした。彼らは寒冷地での生活に慣れていたのです。
メノナイト聖句主義者が米加国境地帯に移り住んだ理由には、
こういう寒い北の辺地には為政者の迫害の手が及びにくかったこともあったでしょう。
人間誰しも気候的には南の方に暮らす方が楽です。
だがノンポリ聖句主義者の彼らには、迫害が及びにくいことが貴重な要素でした。
彼らが同じ北部でも、政治中心地の東海岸からより遠く離れた太平洋側の地域に
重点的に定住していることもそれを推測させます。
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いずれにせよ現在米国での聖句主義者の大きな会派はこのメノナイトと
前述の近代バプテストの二つとなっています。
方屋(かたや)西北の「純粋ノンポリ集団」、
此方(こなた)幸福社会実現に熱烈の志を抱く東南の「闘士集団」。
単なる歴史の偶然と思いがたい、絵のような配置でありました。