<戦争以上の悲劇もある>
戦争は地獄の悲劇を引き起こしますが、人の世にはそれよりも悲劇的な地獄があります。
それは、他民族に征服され、支配されることです。
そう遠くない過去に、アルメニア人に起きたことがそれを物語っています。
隣国のトルコ人は、ある日突然に攻め入り、男・子供を皆殺しにし、女を自国に連れ帰って性奴隷にしました。
トルコの男は各々が何人かのアルメニア女を自国に連れ帰り、
自宅に囲い、現代のハーレムを形成しました。
女の手首には、逃げてもわかるように、リングの入れ墨を入れました。
第一次大戦後、それが世界に知れてやっと解放されました。
<日露戦争に負けていたら・・・>
日本民族は、他民族に征服された経験をしていません。
幸か不幸か、蒙古による征服は回避できました。
だが、イメージ力があれば、征服された事態をリアルに認識することはできます。
例えば、明治時代に日露戦争で日本が負けていたらどうなったか。
これなどは想像できるのです。
日本列島にはロシア軍人と秘密警察が横行し、女の中には捕獲されて
アルメニアの女性たち近い境遇に陥るものも多く出たでしょう。
これを阻止しようとする男は、逮捕され、次々にシベリアに送られ強制労働させられたでしょう。
多くは餓死や病死などに至ります。
そういうことは、第二次大戦終盤に、ロシア人が中国大陸や、シベリアで見せた性質から想像でるのです。
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これは戦死よりも悲劇的なことです。
死に至るまでにも、屈辱感を味わって生きることになるからです。
想像する力があれば、これはイメージ認識できるのです。
国防軍は要るのです。
<人の心には獣性がある>
このブログの「仕合わせ社会の編成原理」で見ましたように、人間の心底には獣性が横たわっています。
残念ながら、そうなっているのです。
そして民族の大多数に、この心理が意識の上位に浮上するような事態は、いつの時代にも発生し得ます。
このとき他民族への攻撃は自然に起きるのです。
そして、獣性が心理の上位に浮上した人間には、征服後も他民族への追体験・同情はありません。
若干生じたとしても、希薄です。少なくとも、自分の民族の人々にたいする同情よりも、遙かに希薄です。
これは人間の性(さが)です。
国防軍は要るのです。
<「だけど性善説を信じます」というアホウドリ>
だが国民の大多数にこれをイメージする力がなかったらどうなるか。
若者たちは、嬉々としてテレビの馬鹿バラエティ番組にうつつを抜かし続けるでしょう。
テレビニュースを見て、ときには戦争反対、国防軍反対、などというでしょうが、
すぐに放念してしまいます。
そうしながら、ときどきテレビで残忍な殺人事件などの報道を見ると、その時だけ驚きます。
だがすぐに「ボクはやはり人間の本性は善だと思います」などという極楽とんぼの意見を発する。
こうして彼らは、結局「あほうどり国家」を形成していくでしょう。
(「あほうどり」はその肉が缶詰などにして食用に供せられる鳥。
捕らえても捕らえても捕獲する人間に近づいてくるので、その名がつけられた)
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そうやって、あるとき異民族に蹂躙される事態になっても、
それはもう自業自得と言うしかありません。
国防政策の基本方向も、結局、国民のイメージ形成力が決定するのです。
(続きます)