今回は、創造神という理念を心に受容すると、人の意識は突然活性化を始める、ということを示します。
<自分はなぜ存在するか?>
人間は自分がどうして存在しているか、の答えを渇望して生きています。
難しくいうと自分のアイデンティティを知りたい、となりますがまあ、そんなことは今はどうでもいい。
その答えを得るには、自分を存在せしめた方、のイメージが必要です。
人が生まれて成長した自然な状態では、その答えは自分の先祖です。
ご先祖様が私を産んでくれたので、いま私は存在する~というわけです。
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NHKTVに「ファミリーヒストリー」でしたか、そういう題名の番組があります。
有名人の先祖をテレビ局の調査力を駆使して調べ、その物語を示してあげるというのがその内容です。
それまで知らなかった先祖のことを示されると、有名人は涙を流します。
自分の出自(しゅつじ)情報が「以前よりも」増大し、その分、明確化したからです。
出自とは「出どころ」をいいます。
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でも、先祖というのは究極の出自イメージにはなりません。
その先祖が「どうして生じたか」の疑問が残っていくからです。
これはやってもやっても残っていく。
先祖を無限にたどることはできないからです。
先祖という存在自体が、有限なものだからです。
<被造物には「初め」がある>
では、そうした疑問を残さない究極の出自イメージはあるのか?
聖書の持つ「万物の創造神」という理念がそれです。
聖書での創造神は、「父なる創造神と御子と聖霊」を言っています。
そういう三者が一体となった神でして、聖書神学ではこれを三位一体といっています。
わかりにくいところはありますが、とにかくこの創造神が「万物を」創造したと聖書は示しています。
創造されたものは被造物です。
そして被造物にはすべて存在の初めがあります。
創造されたその時点が「初め」です。
<創造神に「初め」はない>
他方、創造神には存在の「初め」はありません。
もし存在に初めがあるならば、それ以前のものは「オレが創った」といえないはずだ。
だったら、「万物の」創造神とはなりません。
(未来についても、同様なことがいえます。ある時点で存在が終わったら、創造神はその先に現れうるものは「オレが創った」といえないはずだからです。つまり創造神は「時間的無限者」なんですね)
<創造神だけが存在した期間がある>
さて、初めがないならば、その方は、「永遠の過去」無限の過去から存在していたはずとなります。
すると、万物が創造される前には、創造神だけがいたはずだ~となります。
つまり、創造神だけがいて、他の何者も存在しない時代が、まず、無限の過去から続いていたことになる。
この「創造神」には、「その前は?」という疑問は生じません。
だって、無限の過去から存在し続けてきているのですからね。
この方については「その前」というのはなくても筋が通るんですね。
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そしてあるとき被造物が創造された。
そしてこの被造物の中にわれわれ人間もいる、ということになります。
<話を戻すと>
話を戻しますと、その人間は、生まれて成長した自然なままでは、自らが究極にはどこから出たのかわからないでいます。
何かわからないけれど「まあとにかく存在している」と漠然と感じるなかで暮らしています。
つまり、出自イメージがはっきりしないなかで生きている。
そうしたなかで人の心は、上記したように自分の出自イメージの明確化を渇望しているわけです。
<創造神理念の導入>
そこに万物の創造神という理念が入るとどうなるか。
今述べたように、この神理念は、もうそれ以前のものはないという、存在者の理念です。
さらに、「創造」神ですから「人間も創造した」神となります。
けれどもこの「創造した」というのが、従来具体的、物理的にイメージできなかった。
「先祖が私を産んだ」というように具体的な概念にはならなかった。
<量子物理学の恩恵>
けれども、量子力学の出現で物理的なイメージが可能になりました。
量子物理学は、存在の根源が波動であることを明かしています。
そのことが、創造神がバイブレーション(波動)の発生源らしい、という聖句解読を可能にしてくれます。
創造神から放射される波動は、凝集するとその部分は粒子になるでしょう。
(その粒子は、凝集しなかった部分の波動を、引き連れています。土星の環のようにイメージしていいでしょう)
その粒子が、従来物理学でいわれてきた物質の構成要素になっている。
こうなると、人間の霊もその超微小な粒子でできているとイメージすることができてきます。
もちろん、肉体も微粒子でできています。
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すると、人間も創造神の放射する波動によって「創り出されている」「産み出されている」とイメージできる。
短くいえば、創造神が親や先祖が人間を産むのと同じように、人間を生んでいることになるんですね。
<究極の「出自イメージ」>
こうなると、創造神はわれわれの存在の源となります。
この源は、先祖と違って、究極にして不動です。
そしてそれを我々の出自イメージの親(源)と認識すると、人の意識は安定し、はっきりしてきます。
それはこのイメージを100%事実だと信じない状態でも、有効に働きます。
イメージとしてもっているだけで、一定の働きをしてくれるのです。
出自意識に究極にして不動な根拠を与えてくれるからでしょう。
<堀越師による教会成長の構造>
前回に述べた、堀越牧師の教会成長の鍵もここにあったと思われます。
堀越師は、量子物理学の知識ではなく、人間の身体を素材にされました。
普段当たり前に思っている身体の仕組みが驚異的な知恵で造られていることを入念に示しました。
それを通して創造主のイメージを、詳細、明確に示された。
幼稚園児のお母さんたちに丁寧に説明された。
そうしたら、お母さん方の意識は突然ハッキリした、シャンとしたのです。
「統一感、一体感、まとまり感」が突然増した。
心身ともにわたっての「まとまり感覚」です。
この自己統一感を持つことは、爽快で気持ちいいものです。
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堀越師は、その上に、バイブルの存在観知識を積み重ねるのを助けていかれました。
一つ一つ、丁寧に積み重ねていった。
するとお母さんたちの人生が「何故か楽しくなった・・・」。
~それを見て、また噂を聞いて、ほかの人々もやってきた。
これが堀越師による二つの教会(四日市長老派教会と創愛キリスト教会)成長の鍵だったのですね。