鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

6.自価意識とセルフバリュー

2018年10月22日 | 鬱を打破する聖書の論理

 

日常的常識感覚で鬱心理をもう少し追ってみよう。身近な事例を追体験をしながら考えてみよう。
 
 
<子に死なれるのが一番辛い>
 
昔のことだが筆者は実母の死を目の前にしたとき、気が遠くなって倒れた。以後世に言う「喪失感」が長いこと心に留まった。それは紛れもなく深い鬱でもあった。

倒れた私を介抱してくれた叔母がささやいた。「しっかりしなさい、母親の死は悲しいが、自分の子に死なれたらもっと辛いからね」
叔母は、ある日突然、成人していた長男を事故でなくしていた。筆者は、母の死よりもっと辛いことが起きうるのかと、人生が怖くなった。
 
実母は生前、十代半ばのいとしい娘を病で亡くしていた。筆者の少年時代に、その時の苦しみを話してくれていた。飲食物が飲み込めなくなった。意志の力でやっと飲み込んで食道に入った、といっていた。

食欲は人間の基底欲求だ。その発露さえも押さえ込んでしまうような苦しみはどうして生じるか。筆者はその構造を次のように追体験した。

 

人は我が子を深く愛するように造られている。その愛は従来体験してきたいかなる愛よりも深い。
親はその子に尽くすことが自分の最高に価値ある行為だという心理に自然になっていく。その子によって、自分の存在価値のほとんどが得られている心理状態になる。

ところがその子が死ぬと、その価値の源が突然消失する。その時、親は自らの存在価値意識を一気に失ってしまう。それが「生きよう」という肉体の本能をも希薄化させ、食物を飲み込むことも出来なくさせるのではないか。

これは人間の抱く鬱心理の極ではないか。筆者の心に、こんな仮説が浮上した。鬱心理を生成させる主要因は「自己の存在価値意識の消失」にあるようだ、と。

 
 
<二代目オウナーの苦しみ>

関連して、こんな事例も思い出した。
筆者の大学時代の親友に起きたことだ。彼は企業オウナーの息子で、父が早世していた。母親を始め親族は、彼が早く卒業して後継社長になることを待ち望んでいた。

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だが、ゼミナールでマルクス経済学専攻の指導教授を選び、共産主義社会を理想とする理念を抱いていった。

経済社会理念に自由市場社会(資本主義社会)理念と、共産社会理念がある。
自由市場主義の社会理念では、オウナー経営者は自己の富を増すだけの存在ではない。個人財産を投下するというリスクを冒し、世の中に富を増産し、雇用を増す存在と理解される。そういう理念は彼の存在価値イメージを高める。

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ところが、マルクスの思想では共産主義社会がユートピアとなる。そしてこの社会観では自由市場社会における企業オウナーは労働者の生産する労働価値を搾取する資本家となる。彼は今の自分を、将来の悪徳資本家と意識していった。
この意識は、彼の自己存在価値イメージを破壊し続けた。彼は虚無感に陥り苦んだ。まぎれもなくこれも鬱心理であった。

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彼は良家育ちの純真な青年だった。筆者は彼と旅行して夜通し語り合い、その苦しみに寄り添ったことがある。「子どもの頃に動物学者になりたかったんヤ・・・」とポツンと言っていたのを思い出す。

彼はこの社会理念問題を完全解決しないままで、関西にあった親の会社を継承した。「資本家になって儲けるんヤ」と冗談交じりに開き直って経営活動に入った。
そうした内部対立を含んだままの意識状態が彼の寿命を縮めたように思えてならない。彼は60代早々に病死した。

 
 
<躁鬱をわける自価意識>
 
こうした体験を踏まえ、かつ現実の諸相を追体験することを通して、筆者の心に躁と鬱を分ける根底的な要因が浮上してきた。「自分が存在価値あるという意識」がそれだ。短く言えば自価(じか)意識だ。

人はこの意識に満ちていることで爽快な心理状態になるのではないか。反対にそれが希薄化したり消失したりすると鬱状態に陥るのではないか。

筆者はこの認識を親しい人々に口頭で述べてみた。彼らは「図星」との賛同をくれた。
同時に一人の友人が「自価意識(じかいしき)」の名は、意味内容が認知しづらくインパクトが弱い、との見解もくれた。
セルフバリュー意識という日本語英語でいった方がわかりやすいぞ、との助言もくれた。
 
筆者は納得したが、自価意識という漢字もある程度意味がわかってくると、相応の効用を持ちそうだ。
そこでこの語も交えながら用いることにした。セルフバリュー意識の語は長いから、セルフバリューだけでそれを示すことにした。


 

 

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