<量子力学からの助けの手>
筆者は前著書の後に量子物理学(量子力学)の思想を新しく学んだ。この分野は前から提唱されていたが、筆者は遅れてそれを知った。それは筆者の聖書の論理理解に多くの助けを提供してくれている。
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この思想の新しさの一つは、存在の根源に関するところだ。
以前の物理学では、物質は究極的には超微小の「粒子」(つぶつぶのもの)によってなっている~と考えられていた。いま素粒子と呼ばれている概念だ。
ニュートン物理学のニュートンも、アインシュタイン物理学のアインシュタインもそうだった。
ところが量子物理学では、その素粒子の根源は波動であることを見出した。それを示した実験の一つに光子(こうし)を素材としたものがある。
「二重スリット実験」と呼ばれているそれを、筆者は他の投稿で示していて、繰り返しになるが、再提示する。重要な事柄なので、(~を参照せよ)では不便すぎるのだ。
<二重スリット実験>
実験は次のように行われた。
まず、電球の光を、縦の二重スリットのある板に当てて、光がその奥に立てかけてある壁に映し出される姿を見る。
電球の光は、物理学的には光子(こうし)という素粒子だ。
ちなみに光子は、我々の目に外部の物質の姿を認知させてくれる素粒子でもある。これが物質に当たって反射し、我々の眼球を通って網膜に影響を与える。我々はそれを受信し、脳の中で映像に変換して姿を認識している。
<粒子なら二本の縦線が壁に出来るはず>
さて実験だ。もしそれが粒子(つぶつぶのもの)なら、その奥に立てかけてある壁には、二本の縦線ができるはずだ。下記の図のように。
<だが、縞模様(干渉縞)になった>
ところが実際には、縦線は下記の図のようにタテの縞模様(しまもよう:干渉縞という)になった。
これは光子と呼ばれていた物質が、実は、つぶつぶの粒子だけでなかったことを示唆している。
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さて、ここからはイメージ世界での話だ。
そうなるのは、その素粒子が波動をも含んでいるからだとしか考えられない。波は左右各々のスリットから出るとき、下記の図のように、扇状に広がって出ていくはずだ。
そして左右の波の高い(濃い)ところが重なり合うとところでは、波は互いに増幅し合ってより高くなり、明るさが濃くなる。
逆に、高いところと低いところとが重なる部分は、波は打ち消しあって弱くなり、明るさは薄く(暗く)なる。
そこでその濃い部分が縦の筋(縦線)となっているはずだ。
このことから、従来素粒子と認識されていた光子は、つぶつぶの粒子と波動から成っている二重存在だったことがわかった。
<物質一般の根源も>
光子のこの性格は、電子など他の素粒子についても確かめられた。さらにその性格が分子についての実験でもみとめらたらしく、物質の根源が粒子と波動という二重存在であるという理論は確定的になった。
だが、二重存在と言う言葉は、二元論的存在であるという印象を与えすぎる。このあたりからは、ことは基本的にイメージの世界であって、理論もイメージされた純理論的なものとなる。
だからそれを「粒子と波動との性格を併せ持つ存在」とか「粒にも波にもなり得る不思議な存在」と表現することも出来る。
がともあれ、研究者はその「振動(波動)でも粒子でもありそうな」不思議な存在に、量子(クオンタム:quantum)との名を与えた。この思想の上で作り上げられてきている物理学知識が量子物理学だ。それは通常量子力学と呼ばれる。
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いまや量子力学の存在論の現実妥当性は、従来の物理理論の存在論より高い、という認識は日を追うにつれて増大してきている。
実際に超高速の量子コンピューターが造られるという事実もまた、量子理論の正しさを証拠づけている。そうしたこともあって、今やそれ以前の物理学は古典物理学と呼ばれるに至っている。
ごく最近では、ネット通信でのIDの暗証番号にも、量子信号を使うというビジネスが現実化している。従来は素数を用いてきているが、これだと量子コンピュータによって解読されてしまう可能性が高いという。
日本の会社・東芝は、この技術での世界最先端を走っていると伝えられている。
この量子力学の思想は、聖書の物理学的理解におおいなる助けを提供してくれる。次回からその考察に入っていこう。
(「正しい学び方」19・・・完)