Sightsong

自縄自縛日記

田中克彦『草原の革命家たち』

2014-08-10 00:13:46 | 北アジア・中央アジア

モンゴルへの行き帰りに、田中克彦『草原の革命家たち モンゴル独立への道 増補改訂版』(中公新書、1973/90年)を読む。

モンゴル帝国(元王朝)は、草原の遊牧騎馬民族によって構築された世界であり、中国王朝の系譜に収まるものではない。しかし、この世界帝国は崩壊し、近代にいたり、モンゴルは清国と帝政ロシアとの間においてかろうじて成立していた。辛亥革命(1911年)後、清の支配から脱することを企図するが、依然、中華民国と帝政ロシアとの間で頭越しに国のかたちが決められた。それが、外モンゴルだけの自治権であった。

ロシア革命(1917年)によりソ連が成立し、こkでもモンゴル革命が起きる(1921年)。結果として、ソ連が崩壊するまでの間、モンゴルはソ連の傀儡国家であった。しかし、本書によれば、それははじめからのことではなかった。ソ連のコントロールのもと社会主義国家を成立させたのではなく、逆に、モンゴルがソ連を引き寄せ、独立を勝ち取ったのであった。

当時の英雄たちは「最初の七人」と呼ばれた。そのうちチョイバルサンを除く6人は革命後相次いで処刑され、チョイバルサンはスターリンにすり寄っての独裁者と化した。

―――しかし、歴史はそれほど単純ではなかっただろうと、本書には書かれている。チョイバルサンは曲がりなりにも独立国家モンゴルを維持し、日本軍を破ってもいる(ノモンハン事件)。今回モンゴル人とこの話題をしていて(飲みながらだが)、彼は、今では、スフバートルやボドーら英雄の死も、チョイバルサンも動きも、すべてソ連の意図あってのことだったと評価されているのだと言った。また、ノモンハン事件も、「ノモンハン戦争」と教わるのだと言った。

パワーポリティクスによって国のかたちが変えられたのは、何も内モンゴルと外モンゴルとの分断だけではない。本書によれば、ロシア国内のブリヤートは独立の中に入ることができず、トゥヴァはソ連に併合されたままとなってしまった。そして、独立に際しては、内モンゴルやブリヤートの者たちも歴史に名を刻んでいる。

モンゴルを見る目が変わる名著だと思う。現在も、モンゴルは日本、アメリカ、中国、ロシアによって押されたり引かれたりしているだけに、読んでおいて損はない。

●参照
木村毅『モンゴルの民主革命 ―1990年春―』
開高健『モンゴル大紀行』


2014年8月、ウランバートル

2014-08-09 10:28:39 | 北アジア・中央アジア

前回のウランバートルは11月でひたすら寒かった。今回は8月ゆえ油断していたが、肌寒かった。


どこの人か


白クマ


標識


信号は怖い


英雄スフバートル


夜明け


ライブハウス(覗く余裕は無いけれど)


ビルの向こうにはゲル



カップル

※写真はすべて、Nikon V1+10mmF2.8、30-110mmF3.8-5.6

●参照
2013年11月、ウランバートル
2014年8月、ゴビ砂漠


2014年8月、ゴビ砂漠

2014-08-08 08:04:04 | 北アジア・中央アジア

およそ9か月ぶりのモンゴル。

ウランバートルから、ゴビ砂漠南部のダランザドガドまで、58席のプロペラ機で1時間半。連日、そこから何時間ものオフロード。


馬乳酒


「1600年モノ」だという村の宝


トカゲ


ぬかるみにはまって1時間立往生した


ゲル


ハリネズミのとげ


ゲルのラジオ


砂漠のトイレ


ゴビ


ラクダの糞


山羊の乳で作った菓子


山羊の乳の茶


ゲルの子ども


山羊のミートパイ


競馬のメダル


屠ってくれた山羊の喉の骨


ラクダ


白いラクダ


ゲル


水場


渓谷の花


祈りのおカネ


渓谷


渓谷の花


空港のヘンなラクダ


防衛大臣が来た(その飛行機に乗ってウランバートルに戻った)

※写真はすべて、Nikon v1 + 10mmF2.8

●参照
2013年11月、ウランバートル


「現代思想」のロシア特集

2014-08-03 19:33:26 | 北アジア・中央アジア

現代思想」誌(2014/7)が、「ロシア ー 帝政からソ連崩壊、そしてウクライナ危機の向こう側」と題した特集を組んでいる。この数日間ずっと読んでいて(ななめ読みではあるが)、成田から仁川に向かう飛行機のなかで読了した。

ロシア特集とは言っても、ウクライナ危機とクリミア併合という時期だけに、その問題に焦点を当てたものが多い。なかでも、以下のような点が留意すべきものとして挙げられていることがわかる。

○ロシアが先祖返りしたように力による支配を選んだとする見方は、あまりにも単純化しすぎている。
○旧ソ連国家における2000年代のカラー革命、EUの東方拡大は、ロシアにとっては脅威であった。それは、単なるヨーロッパ化という「文明の衝突」ではない。NATOの軍事的脅威である。
○ウクライナは、昔から国境を前提として支配されてきた地ではない。また、歴史的にも心情的にも一枚岩ではない。現在では、西側はヨーロッパ、東側はロシアへの精神的距離が近いと言われるが、それも単純な話ではない。ロシアからの視線、ヨーロッパからの視線はかなり異なりねじれている。
○場所によってはユダヤ人が多く、そのためにプーチンはユダヤ人対策に気を配ってきた。メディアも駆使した。
○また、キプチャク・ハン国時代からのタタール系も多かった(現在ではかなり減った)。
○沖縄における基地への抵抗は、ロシアでかなり知られている。このことを込みにした日本への視線については、ゴルバチョフの来沖により見えてきたものだった。(若林千代氏)
○もちろん、影響が大きい隣国はウクライナだけではない。イラン、そして中央アジアのスタン系諸国との歴史的な相互作用は、原子力開発や軍事協力を通じて複雑化している。(アレズ・ファクレジャハニ氏)

まずは、ロシアやウクライナやイランを巡る言説に対しては、眉唾でかからなければならないということだ。


木村毅『モンゴルの民主革命 ―1990年春―』

2014-07-26 06:06:25 | 北アジア・中央アジア

木村毅『モンゴルの民主革命 ―1990年春―』(中西出版、2012年)を読む。

1921年、モンゴルは中華民国から独立。1924年、ソビエトに続く社会主義国家として、「モンゴル人民共和国」が誕生。前後して、革命の功績者であるスフバートルは毒殺され、ボドー、ダンザンらは処刑される。このときから、傀儡国家として実権をソ連に握られ、民族主義的な要素が抑圧されることとなった(そのため、チンギスの名前すら出せなくなった)。また、強権政治や計画経済の問題も、ソ連と同様に噴出していった。

そして、ソ連崩壊とともに、1990年前後には民主化運動が高まり、90年の一党独裁放棄、92年の国名変更(モンゴル人民共和国からモンゴル国へ)と、劇的な変貌を遂げる。わたしが2013年にウランバートルを訪れたとき、ちょうど議事堂の前にあるスフバートル広場が、チンギス広場へと改名されたばかりだったが、それも、変貌の続きだったのだろうか。

本書は、その2つの劇的な時代を描いている。事実よりも思い入れが前面に押し出され、あまりにも抒情的な表現が目立つ本ではあるが、それなりに面白い。


開高健『モンゴル大紀行』

2014-07-24 07:29:00 | 北アジア・中央アジア

開高健『モンゴル大紀行』(朝日文庫、原著1992年)を読む。

テレビの仕事で、開高健がモンゴルを訪れ、釣りをするという企画の記録。

ちょっと前の人ならともかく、わたしにとって、この名前の神通力はまったくない。むしろ、「経験」や「冒険」や「道楽」や「純真さ」といった面からたてまつられた姿を見ると、正直言って、しらけてしまう。メッキなど、もうはがれている。

それよりも、開高健につねに随行した写真家・高橋昇の作品が目当てである。極めて自然に感じさせるアプローチも、色もいい。『オーパ!』のころは、ミノルタX-1を2台使っていたはずだが、このときもミノルタだったのだろうか。

ついでに、本のもととなったテレビ特番『開高健のモンゴル大紀行』『続・開高健のモンゴル大紀行』(1987, 88年)を観る。モンゴル北部やゴビ砂漠に棲む、猛禽類、アネハヅル、タルバガン、狼などの姿がとらえられていた。なかでも、ネズミのようなタルバガンの狩は興味深い。大の男が、白いふさふさしたものを持って幻惑しながら這ってゆき、近づいたところで撃つという方法である。今もやっているのかな。


白石典之『チンギス・カン』

2014-03-28 07:09:10 | 北アジア・中央アジア

白石典之『チンギス・カン ”蒼き狼”の実像』(中公新書、2006年)を読む。

「チンギス・カン」なのか、「チンギス・カーン」なのか、「チンギス・ハーン」なのか。「カン」は長や王の意であり、「カーン」「ハーン」はさらに崇め奉る皇帝の意である。本書によると、チンギスが大モンゴルを形成していった時代、呼称はあくまで前者であり、後世の者がチンギスを神格化した結果の呼称が後者であるという。

このことでもわかるように、本書は、大きな物語によってチンギスを描くものではない。むしろ、食べたもの、住んだところ、親族間の確執、周辺を攻める際の戦略など、実際の人間像に迫ろうとしている。

また、この時代(13世紀前後)において、戦争で優位に立つためには鉄資源が必要であり、それがモンゴル高原にはなかったのだとする指摘は、とても興味深い。

チンギスの死後、モンゴルにおける権力争いだけでなく、さらに清朝の支配、中国国民党の活動、関東軍の活動、中国共産党の支配に至るまで、チンギス聖廟の扱い、すなわち、「正統性」が常に重要視されてきたという。これこそが、チンギスの存在の大きさを示すものだといえる。もちろん、現代モンゴルにおいても然りである。ちょうど、昨年訪れたウランバートルでも、中心部のスフバートル広場が、その名前をチンギス広場と変えたばかりでもあった。 

●参照
岡田英弘『世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統』
杉山正明『クビライの挑戦』
姫田光義編『北・東北アジア地域交流史』
2013年11月、ウランバートル


岡田英弘『世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統』

2014-01-26 22:42:56 | 北アジア・中央アジア

岡田英弘『世界史の誕生 モンゴルの発展と伝統』(ちくま文庫、原著1992年)を読む。

独特な歴史観につらぬかれた本である。従来の歴史というものは、ヨーロッパ史、中国史、日本史のように別々に形作られてきた。しかし、それらは世界全体をカバーしているわけでは勿論なく、そのために交流史や地域史が存在したのだとは言え、「横串」的な歴史が存在しなかったのだとする。その横串こそが、本書においては、遊牧民であり、トルコである。

たしかに、文字通りの世界帝国を築いたモンゴルが、中国の王朝のひとつとして扱われるのは、極めてアンバランスである。インドやイランやロシアまでもが、モンゴルの継承国家であるとする視点には、納得できるところがある。また、流通や経済のシステムをつくりだした功績についても、その通りだろう。(このあたりは、杉山正明『クビライの挑戦 モンゴルによる世界史の大転回』に詳しい。)

しかし、返す刀で、中国を貶める言説は、かなり強引な「ためにする議論」そのものだ。たしかに隋も唐も遊牧騎馬民族・鮮卑の王朝であり、元も清も中国人による王朝ではない。だがそのことは、著者のいうように、「被支配階級」たる中国に歪みが生まれたという文脈で捉えるべきことではないだろう。

著者の言うように、このことが「中国人は武力では「夷狄」に劣るが、文化では「夷狄」に勝るのだと主張したがるようになった」=「中華思想」であるとか、「支配階級のほうが被支配階級よりも高い生活水準を享受し、従って文化の程度も高いことは当たり前」であるとか主張するに至っては、ほとんど理解不能である。ましてや、ロシアや中国は大陸国家であり、また社会主義が崩壊したから、「資本主義はまず成功しないであろうし、経済成長で先進国に追い付くこともまず期待できない」とまで書いている。独自史観の限界である。

思想は本来、敗北者のものである(白川静『孔子伝』)。勿論、これだってひとつの言い方に過ぎない。


2013年11月、ウランバートル

2013-11-17 23:26:18 | 北アジア・中央アジア

はじめて訪れるモンゴル。零下10度くらいと寒くはあるが、ちょうど風が吹いておらず、体感的にはさほどつらくはなかった。

ウランバートルの中心部にあるスフバートル広場は、つい最近、チンギス広場と改名されたばかりだということだった。


チンギス広場の雪


チンギス広場


チンギス・ハーン


チンギスの右腕


チンギス広場


バス


ウランバートル景


※写真はすべてミノルタTC-1、Fuji Pro 400による


松村美香『利権鉱脈 小説ODA』

2013-01-23 11:08:57 | 北アジア・中央アジア

松村美香『利権鉱脈 小説ODA』(角川書店、2012年)を読む。

モンゴルでのODA調査をネタとした小説である。産業小説ゆえ、たとえば黒木亮『排出権商人』(>> リンク)と同様に、解説的・説明的であり、さまざまな要素を詰め込もうとしすぎたきらいはある。

しかし、相当に面白い。もちろん、わたし自身が身を置く業界と近い世界だからでもある。ハノイに居る間に一気に読んでしまった。

著者は、かつて国際開発コンサルタントであった経歴を持つようだ。おそらくJICAの業務経験もあるのだろう(小説では、JIDOという微妙な名前になっている)。それゆえ、内情の描写には厚みがある。それぞれの省庁のキャラだとか、ODAが辿って来た紆余曲折だとか、モンゴルでの鉱山開発や省庁再編だとか。これらを、モンゴルでのウラン開発や放射性廃棄物の最終処分問題と結び付ける展開は、なかなかの手腕である。

もっとも、コンサルタントを兵隊、省庁を大本営のように言われたり、産業の海外展開を戦争であるかのように言われたりすると、それは古い時代への回帰願望ではないかと思ってしまうのではあるが。ちょっと、「プロジェクトX」的。

それは置いておいても、模索しながら奮闘する人たちへのエールとして、広く読まれていい本だと思う。大企業がどうのグローバル企業がどうのという悪口だけ言い放つよりは遥かに人間的である。


松戸清裕『ソ連史』

2012-11-17 10:42:58 | 北アジア・中央アジア

サウジ行きの機内では、松戸清裕『ソ連史』(ちくま新書、2011年)も一気に読んでしまった。

崩壊など文字通り想定外であった巨大国家。しかし、振り返ってみると、その歴史はすっぽりと20世紀のなかに収まっている。国境付の国家という存在がさほど古いものではなく、また、戦争、冷戦、民主化、情報化などにおいて激変する現代にあって、ひとつの国家が未来永劫に続くという大前提自体が間違っているのかもしれない。もちろん、それは、ソ連に限らない。

本書は、これまでの固定観念も突き崩してくれる。

フルシチョフの農業への思い。ソ連が大変な高福祉国家であったこと。スターリン時代から想像するような、がんじがらめの監視社会では決してなかったということ。スターリンは極東の朝鮮民族を中央アジアに強制移住させたが、それは西部のドイツ人の強制移住と同根のものとして視なければならないということ。『チェブラーシカ』にも描かれている、企業の環境政策の遅れが、計画達成至上主義という国家構造と無縁ではなかったこと。ゴルバチョフの改革を契機とする国家崩壊は、長期に渡り蓄積した問題のなだれであったということ。ソ連社会主義が西側を魅了したからこそ(勿論それには情報不足もあっただろうが)、西側は、社会政策を実施し、福祉国家化したという面があったということ。

この国の生い立ち、興隆、衰亡をコンパクトに示してくれる本書を読むと、まるで壮大な歴史に立ち会った気にさせられる。良書である。


姫田光義編『北・東北アジア地域交流史』

2012-09-30 23:19:02 | 北アジア・中央アジア

姫田光義編『北・東北アジア地域交流史』(有斐閣、2012年)を読む。

国や地域を限定せず、むしろ地域間のインタラクションに焦点を当てたユニークな本。

たとえば。

モンゴル帝国は、サハリンに住むアイヌらとの交易を行っていた。それは、アイヌが持ってきたオコジョ(銀鼠)の毛皮を、クビライ・ハンが着た絵を見てもわかる。黒い筋はオコジョの尾の先だという。(杉山正明『クビライの挑戦』の表紙画にもなっている。>> リンク
○1630年代から1853年の黒船来航まで、日本は「鎖国」をしていたというのが、近世日本についての共通理解だった。しかし、1970年代以降の研究により、長崎の他に、薩摩(琉球)、対馬(朝鮮)、松前(蝦夷地)を入れて4つの国際関係が開かれており(4つの口)、それを通じて世界とつながっていたということが共通理解となった。それは、清国との直接外交を持たない形で自立する苦肉の策だった。
○無人に近い状態だった極東ロシアは、1850年代から、ロシア政府によって開発が進められ、そのために多数の労働者が送り込まれた(もともと、ウラジオストクは「東洋を支配せよ」との意味)。しかし労働者不足により、19世紀末から20世紀初頭、ウラジオストクは、むしろ、清国人、朝鮮人、日本人など東アジア系の出稼ぎ労働者が目立つ街となった。彼らなしではシベリア鉄道の建設はできなかった。
○ロシア沿海地方には、19世紀から、多くの朝鮮人農民が移住した。これは1910年からの日本の朝鮮併合により加速した。彼らは高い農業技術を持ち込んだ。
○ここで、朝鮮人の抗日運動が盛り上がった。しかし、ソヴィエト・ロシアは、政治的な判断により、これを抑え込んだ(1925年、日ソ国交回復)。そして、朝鮮人自治州の構想を却下し、さらには、1937年より、朝鮮人住民を中央アジアへと強制移住させた
○モンゴル帝国は、交易や戦争を通じて、宗教や文化や情報のネットワークを発展させたと言える。
○モンゴル帝国崩壊後、モンゴルは内モンゴルと外モンゴルとに分裂。清朝崩壊、人民革命、ソ連による援助・支配、そして1990年代の米国による市場経済以降と、激動の歴史を経ている。生活様式を破壊された遊牧民たちが、いままた、大地に根付いた生活を取り戻そうという動きを活発化させている。
○中国人は海外に移住し、華僑ネットワークを構築しているばかりではない。もとより、中国国内でも頻繁に大移動を繰り返していた。大小いくつもの社会集団における「」により社会の仕組みをつくる方法は、そのような歴史から生みだされてきた。
○神の「縁」もある。道教の媽祖信仰は、海上交易のネットワークとともに拡がり、中国沿岸のみならず、東南アジア、沖縄、日本でもその足跡を確認できる(青森県大間町にも辿りついている)。

こちらの断片的な知識が思わぬ形で他とつながったりして、とても刺激的で興味深い。参考文献リストも丁寧に作られている。良書。

●参照
杉山正明『クビライの挑戦』
朴三石『海外コリアン』、カザフのコリアンに関するドキュメンタリー ラウレンティー・ソン『フルンゼ実験農場』『コレサラム』(中央アジアに強制移住させられたコリアンを描く)
李恢成『流域へ』(中央アジアに強制移住させられたコリアンを描く)


杉山正明『クビライの挑戦』

2010-09-19 00:14:50 | 北アジア・中央アジア

中国に数日間行ってきた。往復の機内で読んだのは、杉山正明『クビライの挑戦 モンゴルによる世界史の大転回』(講談社学術文庫、2010年、原著1995年)。つまり、当時世界最大の都市であった杭州に、意識せずして本書を持ちこんだというわけ。世界史全般の通史では、モンゴルの世界席巻についていまひとつ不可解であり、知りたかったところでもあった。

ここに書かれているのは、世界システムの姿を変えたモンゴル、帝国の姿を変えたモンゴルである。世界システム論を提唱した人物にイマニュエル・ウォーラーステインがいるが(私は舛添要一の授業でその名前を知った)、著者は、彼についてヨーロッパ偏重であり「モンゴルを知らない」とばっさりと批判する。それだけでなく、歴史というものが特定のイメージに支配され、偏向と限界とを孕んでいることを、歴史家として自ら吐露する。この覚悟には読みながら気圧される。

「・・・歴史家というものは、既存のイメージや文献の表面にまどわされることなく、なにがはたして「本当の事実」なのか、ぎりぎりまでつっこんで真相を見きわめようとすると、じつはたいてい無力である。」(!!)

モンゴルについての既存のイメージは、野蛮、残酷、草のにおいのする戦闘集団、チンギスとクビライ、元寇、マルコ・ポーロ、タタールのくびき、といったところ、本書はそれらのひとつひとつを(歴史学の限界を提示しながら)再検証している。そこから浮かび上がってくるモンゴル帝国の新奇性、斬新さには夢中になってしまう。

○モンゴルがロシアに破壊と殺戮を加えたという「タタールのくびき」は、根拠に乏しい。実態は、ロシア側がモンゴルの権力を利用する形で支配を受け、モンゴルの世界システムに取りこまれるものだった。
○権力の多重構造がモンゴル帝国の特徴のひとつであり、多極化は内部抗争とは似て非なるものだった。すなわち、現代の国家観を歴史の実態にあうようにとらえなおす必要がある。
○モンゴル帝国、イコール、中華王朝(元朝)ではない。これは文献の偏りに起因する既存イメージのひとつである。
草原の軍事力、中華の経済力、ムスリムの商業力がモンゴル帝国の柱であった。自由な商業がグローバルな交流を生むこととなった。福岡をその交流圏の東端として捉えることもできる。これが華僑の東南アジアへの拡がりインドネシアのムスリム化の要因ともなった。
○東アジア全域での道路システムの整備は、史上はじめてのことであった。それを草原とオアシスの世界を横断する駅伝ルートと連結して、ユーラシア全域をひとつの陸上交通体系でつなげたのは、人類史上はじめてのことだった(あるいはこのときだけ)。そして、モンゴル帝国は、中国からイラン・アラブ方面にいたる海域をも掌握した上海はこのとき歴史上に姿を現した。
○南宋への攻撃において採用した、都市化による包囲は、「不殺の思想」であり、「戦争の産業化」であった。
元寇、とくに第一回の文永の役は、南宋攻撃の一環として位置づけられる。「元寇」だけをクローズアップするのは、「巨大な外圧」というイメージが好まれた結果である。しかし、第三回がなされていたならば(モンゴル内部の政治情勢変動により実行されなかった)、日本はあやうかった。
○銀を共通の価値とする「銀世界」は、ユーラシア全体に拡がった。銀と、それにぶらさがる紙幣、自由な物流とそれによる国家収入、通商帝国というにふさわしいシステムであった。
○日中交流史上、近現代をのぞくと、もっともさかんであったのはモンゴル時代である。
○モンゴル帝国を揺るがしたのは、14世紀の「地球規模の災厄」であった。これをヨーロッパだけに限定して考えてはならない。
○モンゴルを否定し、漢族主義・中華主義を標榜した明朝は、明らかに、巨大敵国の方式をモンゴルから受け継いでいた。そのパターンを取りこんだ「巨大な中華」は、明、清、民国を経て現在に生き続けている。
が独裁専制の「内向き」帝国になり下がらなければ、「大航海時代」は、少なくともアジア・アフリカ方面に関しては、ヨーロッパ人のものであったかどうかわからない。(!!) 「モンゴル・システム」が生き続けていれば、東からの「大航海時代」がなかったとはいいきれない。少なくとも14世紀までは、技術力、産業力、それから海洋の利用において、「東方」が「西方」を凌駕していた。

歴史の「たら、れば」はともかく、「モンゴルの時代」の面白さについて、これでもかと示してくれる本である。


ハカス民族の音楽『チャトハンとハイ』

2010-07-26 23:31:13 | 北アジア・中央アジア

科学映像館により、『チャトハンとハイ』(1994年)が配信されている。ロシアのハカス共和国における伝統音楽であり、チャトハンは箏、ハイは喉歌を意味する

>> チャトハンとハイ

私は1997年に公演「草原の吟遊詩人」を聴き、特に喉歌の不思議な響きと技巧に驚いた記憶が強く残っている。この映像は、1994年5月4・6日、カザフスタンにおいて行われたシンポジウム「チュルク諸民族の音楽」での記念コンサートを記録したものであり、来日メンバーのエヴゲーニイ・ウルグバシェフセルゲイ・チャルコーフも含まれている。


パンフレットを探したら取ってあった


上記パンフレットより

チュルク(テュルク)とはトルコ、のちに西方の中央アジアやトルコに移動していった人々の末裔であり、モンゴルの北西に位置する共和国(ロシア内)としては、ハカス、トゥヴァ、アルタイがある。またロシア北東に位置するサハも同様である。モンゴルを含め、それぞれに喉歌や口琴が発達しており、不思議なのか、当然なのかわからないが、奇妙な思いにとらわれてしまう。喉歌は、ハカスではハイ、トゥヴァではホーメイ、モンゴルではホーミーと呼ぶ。ヴォイス・パフォーマーのサインホ・ナムチラックはトゥヴァの出身である。


上記パンフレットより

映像『チャトハンとハイ』では、次の演奏が行われている。当日のパンフを見ると、公演で演奏した曲も入っている(突然で区別できず、覚えていない)。

○エヴゲーニイ・ウルグバシェフ(チャトハン、ハイ) 「アルグィス(山と海への祈り)」
○ユーリィ・キシティエフ(ハイ、口琴) 「即興曲」
○エヴゲーニイ・ウルグバシェフ+セルゲイ・チャルコーフ(チャトハン、ハイ) 「草原(ステップ)の祭り」
○セルゲイ・チャルコーフ(ホムィス、ハイ) 「我がハカシア」
○エヴゲーニイ・ウルグバシェフ(チャトハン、ハイ) 「アルトイン・アルィグ(英雄叙事詩)」

曲の間に、ウルグバシェフがチャトハンについて面白い解説をしている。基本的に金属の7弦(昔は腸)、弦を支える柱(じ)は羊の後足のくるぶし、下部のほうがやや広め。昔は底板や共鳴口はなかった。なぜなら祖先の霊が大地に眠っているため、座って直接大地に向けて響かせるためであった。また、上記公演のパンフレットには、ハカスでチャトハンが国民楽器的な地位を占めたのは、彼らの牧畜が比較的定住型だったことも関連しているかもしれないとの考察がある(直川礼緒『ハカスの喉歌と楽器』)。

チャトハンだけでなく、ハイもシャーマニズムと密接な関係にあり、精霊に語りかけるものであった。そのハイには3種類があり、やはりウルグバシェフが実演してみせている。中音域のハイに加え、地鳴りのような低音域のチョーン・ハイ、キーンという音が鼓膜を刺激する高音域のスィグルトィプ。

この喉歌について、やはり、パンフレットに素晴らしい解説があった。

「浪曲の声のような、あるいはアメ横で聴かれるような、倍音成分を多く含んだいわゆる「喉声」による歌唱は、チュルク系の民族であるカザフやカラカルパクのものを含め、比較的広範にみられる。が、その「喉声」から、口腔の容積や形を変化させることによって意識的に特定の倍音を強調し、「メロディ」(実は音色の変化なのであるが)を紡ぎ出す技法を重要な要素とする「喉歌」は、アジア中央部を中心とした、ごく限られた地域の民族が持つのみである。
 例えば、日本でも最近知られるようになってきた西モンゴルのホーミーは、倍音によるメロディの「演奏」を主眼とした、器楽的な面が強いのに対し、そのすぐ北隣のロシア側、「アジアのへそ」を自負するトゥヴァでは、倍音によるメロディーなど出ていて当然、それよりもそこに謡い込まれる歌詞の内容や即興性、その場にあっているかどうか、といった点が重視される。 (略) 特にアルタイ・ショル・ハカスでは、英雄叙事詩と深く結びついていることが特徴として挙げられる。」
(直川礼緒『ハカスの喉歌と楽器』)

ここから、トゥヴァがサインホを輩出したことの背景を読み取ることができるかもしれない。また、映画『チャンドマニ~モンゴル ホーミーの源流へ~』(亀井岳、2009年)に描かれたように、モンゴルの中でも喉歌は異なり、国とスタイルは1対1ではないのだろう。私の棚には、喉歌のCDはトゥヴァのものしかない。これまで口琴には興味を持っていくつか聴いていたのだが、改めて聴いてみると、俄然、この拡がりと多様性が興味深いものとなってきた。

●参照
亀井岳『チャンドマニ ~モンゴル ホーミーの源流へ~』
サインホ・ナムチラックの映像
TriO+サインホ・ナムチラック『Forgotton Streets of St. Petersburg』
姜泰煥+サインホ・ナムチラック『Live』
酔い醒ましには口琴
宮良瑛子が描いたムックリを弾くアイヌ兵士

●科学映像館のおすすめ映像
『沖縄久高島のイザイホー(第一部、第二部)』(1978年の最後のイザイホー)
『科学の眼 ニコン』(坩堝法によるレンズ製造、ウルトラマイクロニッコール)
『昭和初期 9.5ミリ映画』(8ミリ以前の小型映画)
『石垣島川平のマユンガナシ』、『ビール誕生』
ザーラ・イマーエワ『子どもの物語にあらず』(チェチェン)
『たたら吹き』、『鋳物の技術―キュポラ熔解―』(製鉄)
熱帯林の映像(着生植物やマングローブなど)
川本博康『東京のカワウ 不忍池のコロニー』(カワウ)
『花ひらく日本万国博』(大阪万博)
アカテガニの生態を描いた短編『カニの誕生』
『かえるの話』(ヒキガエル、アカガエル、モリアオガエル)
『アリの世界』と『地蜂』
『潮だまりの生物』(岩礁の観察)
『上海の雲の上へ』(上海環球金融中心のエレベーター)
川本博康『今こそ自由を!金大中氏らを救おう』(金大中事件、光州事件)
『与論島の十五夜祭』