Sightsong

自縄自縛日記

「話の話 ノルシュテイン&ヤールブソワ」展

2010-05-05 13:13:11 | 北アジア・中央アジア

この連休に、葉山の神奈川県立近代美術館まで家族で出かけた。目当ては、「話の話 ノルシュテイン&ヤールブソワ」展である。

ユーリ・ノルシュテインの映画に出会ったのは、1998年だったか、オープンしたばかりのラピュタ阿佐ヶ谷という映画館だった。描き込んだ絵の断片をマルチレイヤーのガラス上に置き、一コマずつ撮っていくという気の遠くなる手法。そのため、ごく短い、さまざまな感情と施術が凝縮された作品が生み出されている。作業量は粘土アニメを遥かに凌駕するのではないか。可愛くて、寂しくて、いきなりファンになってしまった。そのころの文献は、ふゅーじょんぷろだくとが出した雑誌の特集号など限られたものしかなく、また、ヴィデオは『Masters of Russian Animation』というVHSしか入手できなかった(その前にLDはあったようだが)。その後の盛り上がりを考えれば嘘のようだ。そんなわけで、今回の展覧会はとても楽しみだったのだ。

ほとんどすべてのノルシュテイン作品のエスキースや、絵コンテなどの資料、展示用にアニメ撮影を箱の中で再現(マルチレイヤーのガラス上の絵)したマケットなどが展示されていた。美術を手掛けたノルシュテインの妻フランチェスカ・ヤールブソワの絵には、哀切な詩情のようなものがある。感激してしまって、会場内を往復して何度も観る。遠路はるばる足を運んでよかった。充実した図録も良い。

ゴーゴリの『外套』を映画化したアニメは、1998年ころにもそうだったが、まだ製作中だという。会場のモニターで流されている途中段階の映像には、やはり眼を奪われる。いつ完成するのだろうか?その日を夢見て、わが家にはサイン入りのポスターを貼ってある。

一色海岸で子どもたちを遊ばせてから、また2時間以上をかけて帰宅。翌日、この2人による映画化作品の絵本を子どもに読み聞かせたり、録画してある作品集を一緒に観たりする(つまり自分が観たいのだ)。『霧の中のはりねずみ』(1975年)も良いが、何といっても『話の話』(1979年)は素晴らしい。何年も前、小さい息子に見せたところ、おおかみが明るい家の戸口に入って光に呑みこまれたシーンで、突然おお泣きした。どうしたのかと訊ねると、おおかみさんが死んじゃった!と切れ切れに訴えている(実際には死んでいない)。それくらい心に沁みわたる力を持った作品だということに違いない。


これまでに日本で出ている絵本


ノルシュテイン(2004年) Leica M3、Summitar 50mmF2.0、スぺリア1600


『きつねとうさぎ』を描くノルシュテイン(2004年) Leica M3、Summitar 50mmF2.0、スぺリア1600


『アオサギとツル』にサインを頂いた(2004年)


亀井岳『チャンドマニ ~モンゴル ホーミーの源流へ~』

2010-02-26 00:23:36 | 北アジア・中央アジア

渋谷のアップリンクで、亀井岳『チャンドマニ ~モンゴル ホーミーの源流へ~』(2009年)の試写を観る。モンゴルの喉歌・ホーミーには興味があったから嬉しい機会だ。

チャンドマニとは、モンゴル西部にある「ホーミーのふるさと」とも言われている村。映画は、そのチャンドマニに住む名人・ダワージャブのホーミーからいきなり始まる。びりびり震える低音と、鼓膜に刺さるようなキーンという高音とが相応し、インパクトが大きい。

なぜそのような場所なのか。本物のホーミーは都市ウランバートルからは消えてしまい、それだけでなく、モンゴル内の地域によっても濃度が異なる。いやそれは結果論に過ぎず、登場人物の言う「ホーミーは遊牧民のもの」と看做すべきなのかもしれない。日本の街では、仮に喉歌そのものが完璧であっても、ひたすらに広い草原や雪や山や風の中で響くホーミーは存在しえない。

私がはじめて実際に聴いた喉歌は、ロシア・ハカス共和国の音楽家たちによる来日公演だった。あるいは、ロシア・トゥヴァ共和国出身の歌手サインホ・ナムチラックのパフォーマンスだった。ハカスの喉歌はハイ、トゥヴァの喉歌はホーメイといった。ロシアとはいえモンゴル周辺、喉歌文化圏なのだと考えていた。

そのように差異はあるが共通の文化圏を想像するとき、実は、モンゴルという広がりの中の差異を忘れ去っていることになる。勿論、その想像も、国境という概念からまったく自由でないことは確かだ。ともかく、ノマドロジーという移動性と偏在性とを見せてくれて、とても新鮮だった。

映画は半分ドキュメンタリー、半分ドラマといった印象だ。とは言え、ドラマ自体がドキュメンタリーと化している。ふたりのホーミー唄者がたまたま同じマイクロバスで2日間かけてチャンドマニに向かい、ふたつ以上のドラマがシンクロするものの、お互いがホーミー唄者であることは認識しない。そしてふたりは別々の地へと向かう。このあたりの作り方は感嘆するくらい見事だ。


テンギズ・アブラゼ『懺悔』

2009-11-13 00:57:55 | 北アジア・中央アジア

去年見逃していたグルジア映画、テンギズ・アブラゼ『懺悔』(1984年)だが、幸運にもDVD発売記念の試写会に行くことができた。ちょっと仕事のしすぎで偏頭痛がひどく、辛かったのではあるけれど。アップリンクには15人くらいしか来ていなかった。

地方都市の市長ヴァルラムが死ぬ。彼は独裁者であり、味方が3人いれば敵は4人とするような脅迫感に駆り立てられた独裁者であり、粛清を繰り返していた。地勢的にはスターリンを、チョビ髭はヒトラーを思わせる彼は、音楽を愛するユーモラスな人間でもあり、また考えすぎる弱者でもあった。(ところで、妄想だけマッチョ志向の為政者がもっともタチが悪いことは、最近の日本の政治を見てもよくわかる。)

ヴァルラムの遺体は、毎日墓から掘り起こされる。それは、他の人のように墓に眠ることを許せないと思った、両親を粛清された娘による確信犯であった。その両親も、ヴァルラムの市長就任演説で窓を閉めたという理由だけで目を付けられていた。夫の逮捕後、ヴァルラムに気に入られた妻は、娘から引き離され、その後死んだということだけが知らされる。

東欧でもアフリカでもアジアでもそのような記憶のある今となっては、典型的な独裁者の姿である。スターリンや誰かとのアナロジイで観るというよりは、別の面でこの映画の価値があるだろう。

ヴァルラムの息子は、父親の罪を認識できず、両親の粛清から生き残った娘の告発に激怒する。その息子は、祖父の罪を初めて知り、父親の態度を詰った挙句に自殺してしまう。過去に向き合うことのできない者たちの背負う十字架である。

頑迷なヴァルラムの息子といえど、法廷では動揺し、幻を見る。真っ暗な洞窟のようなところで、魚を素手でむしゃむしゃ喰う神父に懺悔をする。良いことと悪いこととの区別がつかなくなったのです、と。お前は自分の罪を認めたくないのだ、怖いのだ、と、神父に指摘されて激昂したところで、まだ汗だくで法廷に座っている自分を発見する。唐突に白昼夢が挿入される大胆な手法は、ルイス・ブニュエルのそれである。

邪なもの、醜いものがさらけ出される恐ろしさ。今までグルジア映画といえばセルゲイ・パラジャーノフしか知らなかったが、アブラゼのような存在があったとは驚きだ。


『亡命ロシア料理』によるビーフストロガノフ

2009-07-14 00:16:45 | 北アジア・中央アジア

先日、数人で神保町にある「ろしあ亭」のロシア料理を食べたときのこと。ボルシチの赤はビーツの色なんだと言って、記者のDさんが、P・ワイリ/A・ゲニス『亡命ロシア料理』(未知谷、原著1987年)を貸してくれた。

米国に亡命した2人の著者が書いたこの本は、レシピ集でもあり、超辛口のエッセイでもある。頑固かつ柔軟、パラノイアかつ大雑把。ハンバーガーなどの米国ジャンクフードを罵倒し、丁寧に作る料理の旨さを手を尽くして表現しようとしている。しかし時にはクロスボーダーとなる。

何だか妙に面白く、そのうち実際に使おうと思っていた。チャンスは日曜日に訪れた(というほどの大袈裟な話でもないが)。ああ、昼は「白いビーフストロガノフ」にしようと決めた。もう6年くらい前、友人宅でロシア帰りの夫が供してくれたのも、まさにこの「白いビーフストロガノフ」だった。

5人分の材料は、牛もも肉1kg(多い!)、小麦粉、玉葱、マッシュルーム、牛乳、サワークリーム、バター、マスタード、砂糖、塩、黒胡椒、油。肉を塊ではなく切り落としにしたのはまあいいとして、近くのスーパーに売っているマッシュルームはやけに高いので、日和ってしめじにした。もうこの段階で、「亡命ロシア料理」失格である。ただ、そのマッシュルームに対する思いもずいぶんと屈折している。

「革命前のロシアでは、キノコは1年に1人当たり50キログラムも消費されていた。が、いまや、モスクワの市場ではキノコ1個が1ルーブルもする。これで、わが祖国の精神的衰退は説明できるというものだ。」

「残念ながら、アメリカでキノコといえば、いつもマッシュルームだ。ただし、ここで困ったことは、「いつも」という言葉のほうであって、マッシュルーム自体は何も悪くない。マッシュルームは、それを生んだフランス文化みたいに、誘惑的で派手である(もっとも、当のフランス人は、ロシアのヤマドリタケや、いまや純潔のように希少なものになってしまったトリフの方が好きだというが)。」

ただ、著者によれば、サワークリーム(スメタナ)こそがロシア料理の特徴なのだそうだ。表紙の写真にも、いちいちサワークリームがかかっている。これまで自分では使ったことがなかったが、無事スーパーで捕獲した。

「これは、フランス人のところではバターであり、イタリア人とスペイン人のところではオリーブ・オイルであり、ドイツ人とウクライナ人のところではラードであり、ルーマニア人とモルダヴィア人のところではヒマワリ油である。ロシア料理で、こういった主たる潤滑剤となっているのは、スメタナなのだ。」

さて作ってみると、本当にいい加減なレシピだ。肉は間違えたのではないかというくらい多いし、バターや砂糖をどのように投入するかが書かれていない。しかし、すでに肉やキノコのチョイスで道を踏み外しているので、もう拘らない。

牛肉好きの自分にはとても旨いものになった。子どもたちもおかわりしてくれた。ただ全部食べたら身体がおかしくなりそうなので、半分方は冷凍にまわした。

次は、酒井啓子『イラクは食べる』や、ジャズのレシピ集という奇書『Jazz Cooks』を使って実験してみなければ・・・・・・。

●参照 酒井啓子『イラクは食べる』


チェチェンの子どもたちのまなざしと怯え ザーラ・イマーエワ『子どもの物語にあらず』

2008-09-07 22:51:48 | 北アジア・中央アジア

科学映像館が、最近、ザーラ・イマーエワによる30分のドキュメンタリー映画『子どもの物語にあらず』(2001年)を配信している。(>> リンク

この、空爆などによるジェノサイドとも言うべきチェチェンの無差別虐殺を捉えた作品は、ロシアでは報道が厳しく制限されているという。被害者の子どもたちがカメラに向かって話す状況は、嘘でありようがないからだ。

子どもたちは、全部を見たんだよ、戦争とは人を殺したり爆弾を落したりすることだよ、と言う。運がよければ助かるし悪ければ死ぬんだよ、大人は子どもがきらいなのかな、と呟いてしまうまでに追い詰められた子どもの姿を見て、何も感じない者はいまい。そして、カメラに向かって答えつつ、私の声って大きくない?見つからないよね?と怯える姿もある。淡々と感情を出さずに答えていた子どもは、死ぬってどういうこと?と問われ、それはね・・・それはね・・・とことばを失う。

かたや、軍のミッションについてのみ語るプーチン首相や、コーカサスを叩き潰すと豪語する極右ジリノフスキーや、チェチェンの少女に暴行しながら心神喪失状態にあったということになったブダーノフ大佐の勇ましい姿などが挿入される。国境をはさんでグルジア側、ほど近くにある南オセチアを巡る状況や、新テロ特措法の延長を「世界がテロと戦う」と表現して訴える日本の政治状況など、地理的な場所は異なっていても、<ダイナミクス>にのみ目を向けて、<ひと>については一顧だにしないことは全てカーボンコピーのようだ。

チェチェンを描いた映画には、セルゲイ・ボドロフ『コーカサスの虜』や、最近のニキータ・ミハルコフ『12人の怒れる男』(>> リンク)があるが、このドキュは劇映画とはまた異なる力がある。子どものまなざしの力は、牛腸茂雄の写真と共通するものでもある。


ニキータ・ミハルコフ版『12人の怒れる男』

2008-08-26 23:59:49 | 北アジア・中央アジア

『黒い瞳』では憎めないマルチェロ・マストロヤンニを演出したのが印象深いニキータ・ミハルコフによって、シドニー・ルメット『12人の怒れる男』がリメイクされた。面白そうだというので、面白い中東集団で観に行った。

舞台はロシア。裁かれる少年はチェチェン人。オリジナルを換骨奪胎しながらも、ロシアやチェチェンにおける大きな矛盾をどんどんと提示してくる。2時間40分の長い映画だが、まったく飽きることがなかった。もっともルメット版も緊迫した展開の良い映画なのだが、これを観たあとでは、いまに至るまで幾度となく作られる「アメリカ正義物」の元祖として深みのないものにさえおもえてくる。(というより、米国社会の無意識が、自らの正義をあえて自らに証明し続けなければならないほどの強迫観念を呼び起こし続ける病根は何か、というところだ。) ルメット版では、長い審議を終えて「真実に到達した」ことのカタルシスが得られるわけだが、本作はそれでは終らない。

それにしても、陪審員12人の個性がきわだっている。どこまで真面目なのかわからない滑稽さもある。何といっても、「カフカス出身」の医者が、被告に不利な証言が不自然であることを言わんとして、ナイフを持って踊るシーンなどはもう一度観たいとおもう。

その医者が、少年の属性(チェチェン、貧困)に起因する偏見から自由になれない陪審員の発言に対し、「それではカフカス出身だからといって、○○も、セルゲイ・パラジャーノフも、ニコ・ピロスマニも、能無しだったというのか!」と怒ってみせる台詞がある。その○○というのがわからなかったのだが、映画のサイトを見たら書いてあった。ショタ・ルスタヴェリという12世紀の詩人のようだ。

ルスタヴェリや、生活に根差した絵を描いたピロスマニはともかく、芸術至上主義のようなパラジャーノフは、グルジアで自国の誇りのように考えられているのかどうか、誰かに教えてほしいところだ。というのも、以前ウクライナ人にパラジャーノフの話をしたら、あんたは上流社会だねと随分笑われてしまったことがあるからだ。

●参考 フィローノフ、マレーヴィチ、ピロスマニ 『青春のロシア・アヴァンギャルド』


フィローノフ、マレーヴィチ、ピロスマニ 『青春のロシア・アヴァンギャルド』

2008-08-16 23:18:32 | 北アジア・中央アジア

会期終了ぎりぎりに、『青春のロシア・アヴァンギャルド』(Bunkamura ザ・ミュージアム)を観た。ロシア・アヴァンギャルド好きなのだ。

何といってもカジミール・マレーヴィチ。いわゆるスプレマティズムの、空間に歪んだ矩形が構成されているものも悪くないが、農民たちを描いた作品群に眼が悦ぶ。ベビーカーを押しながら、「カッコいいねえ」「いやたまらないねえ」を連発してしまう。すべてを超越するかのように手足をなす円錐のすばらしさだ。イタリア未来派とも共通する、複眼で爆発を眺めるような作品もとてもいい。

グルジアの画家、ニコ・ピロスマニの作品をまとめて観られることも、あまりないことにちがいない。のちの画家が「発見」したのは、素朴さそのものよりも、そこからにじみ出る土着性だったのかなという印象だ。

それから、もっとも楽しみだったのが、幻の画家パーヴェル・フィローノフの作品だ。『11の顔のあるコンポジション』という作品1点のみだった。11の顔はシリアスでユーモラスなのだが、それ以上に、額が結晶化したような感覚、そして間を埋め尽くすミクロコスモスが圧倒的である。

「フィローノフによると、絵画芸術は「カノン(先見的なもの)」と「ザコン(有機的なもの)」に区別され、いまめざすべき芸術は、当然のことながら、後者すなわち宇宙と人間の一体性、そしてその有機的全体性の表現ということになる。それはどうすれば可能となるか。
 フィローノフは書いている。「私は直感する。いかなるオブジェも、フォルムと色彩という二つの述語しかもたないわけではなく、可視ないし不可視の現象、それらの流出、反応、連係、発生、存在、これまた無数の述語をもつ既知ないし未知の特質の全き世界がある、ということ」。非常にわかりにくい文章だが、フィローノフがここでいわんとしているのは、すべてのオブジェはその外観の背後にきわめて多様な存在の可能性をひめており、それらの可能性をもふくめた全存在が絵画という表象行為の対象となるべきだ、ということである。つまり、自然の、生命のエネルギー状態そのものを描きとること。」

(亀山郁夫『ロシア・アヴァンギャルド』岩波新書、1996年)

 フィローノフは生前ろくな評価を受けず、社会主義リアリズム絵画しか認めないという当局の圧力を受けて右往左往した挙句、孤立し、1941年、ドイツ包囲下のレニングラードで忘れ去られ餓死した。

●リンク
パーベル・フィローノフ
ニコ・ピロスマニ


イリヤ・カバコフ『世界図鑑』

2008-03-02 23:59:51 | 北アジア・中央アジア

東京新聞の懸賞でチケットが当って、世田谷美術館で、イリヤ・カバコフ『世界図鑑』展を観てきた。砧公園は、梅が綺麗だったので、下にシートを広げておにぎりを食べた。


券、「オーシャと友だち」、「巨人たちの長い一日」

カバコフの作品を実際に観たのは、1997年の「ポンピドー・コレクション展」(東京都現代美術館)に出展された、「自分の部屋から宇宙へと飛び去った男」というインスタレーション以来だ。(その後パリを訪れたときも、ポンピドーは運悪く建替え中だった。) ずっと気になる存在で、『イリヤ・カバコフの芸術』(沼野充義編著、五柳書院、1999年)などで触れようとはしていたが、展示には足を運べずじまいだった。だから、特にどんな中身かも確かめず悦び勇んで行ったわけだが、肩透かし半分、満足半分というところだ。


「自分の部屋から宇宙へと飛び去った男」

今回展示されているのは、カバコフが生活の糧として描いていた絵本の挿画である。ロシア・アヴァンギャルドを例にあげるまでもなく、ソヴィエトの現代美術作家たちには不遇の時代が長く続いた(それどころか、命の危険さえあった)。カバコフは大学でもたまたまイラストを専攻していて、生活上も「食うや食わずやの芸術家」ではなく、絵本の挿画が安住の地でもあったようだ。ただ、雪解けとともに膨大なテキストとインスタレーションという、もうひとつの世界が西側に見出され、いまに至っている。

面白いのは、作品=過去と見なす性癖が、カバコフの臆病な性格と相まって、世界や文脈ごとひっくるめて提示するというあり方が、インスタレーションにも絵本にも共通しているように感じられることだ。そして、それを読み替えれば、匿名性や普遍性ではなく、個人性、かけがえのなさということになる。

「だから私に言えるのは、ある種のシュルレアリストにとって煙草のパイプが普遍的イメージだとすれば、私のゴミに保証されているのはただひとつだけ―――それが実際に存在した、ということだけなんだ。」(カバコフ自身の発言、前出『イリヤ・カバコフの芸術』)

絵本の挿画のなかでは、「巨人たちの長い一日」が特にユーモラスだった。巨人たちの一日は人間の一年にあたり、ある月は寝たり、ある月はサーカスを観たりといった具合。職業的な挿画からは少し逸脱し、力が入っているのは「オーシャと友だち」。それというのも、ユダヤ人であることを隠してきたカバコフが、自分の出自を意識して描いた物語だったからだ。


『イリヤ・カバコフの芸術』(沼野充義編著、五柳書院、1999年) 今回再読して、ウラジーミル・タラソフがカバコフに何度も協力していたことを知った


美術館では、小学生以上を対象に、マトリョーシカのグリーティングカードを作ろうというワークショップを開いていた(息子の作品)。