Sightsong

自縄自縛日記

米本昌平『地球変動のポリティクス 温暖化という脅威』

2013-02-03 20:54:29 | 環境・自然

米本昌平『地球変動のポリティクス 温暖化という脅威』(弘文堂、2011年)を読む。

主に、地球温暖化に関する取り決めや国際交渉を追った本である。単に結果としての事実を追うのではなく、その背後にある意味や中長期的な現代史における位置付けを考察している点で、実にすぐれている。

世の中でウケの良い環境関連書のひとつは、「○○のウソ」などの陰謀論だ。すべてがそうだとは言わないが、ちょっと読んだだけでもデタラメであることがすぐに判る。下らないねと棄てることができればまだ良い。ところが、社会的な影響力は結構あり(つまり、テレビ的)、鵜呑みにしてしまう人が結構いるようなのだ。わたしも、そういった受け売りを自分の意見であるかのように喋る人に何度も遭遇した。しかも、良心的な市民運動に共感する人に多い。

環境という価値を尊重し、保守的・強権的な旧来権力に抵抗するならば、せめて、まともなものを読んでほしいと思う。ダニエル・ヤーギン『探求』(日本経済新聞出版社、原著2011年)、吉田文和『グリーン・エコノミー 脱原発と温暖化対策の経済学』(中公新書、2011年)、佐和隆光『グリーン資本主義 グローバル「危機」克服の条件』(岩波新書、2009年)、その他、良書をいくつも見つけることはできる。

本書も、もちろん広く読まれるべき本である。2011年の「3・11」後に書かれていることもあり、原子力に対するスタンスも明確である。また、クライメート・ゲート事件という政治的策動についても、しっかりと検証されている(実は、これに端を発した温暖化懐疑論が日本で盛り上がり、そのまま陰謀論化してしまった)。

本書を読むと、温暖化に関する政治的プロセスが、歴史上異色なものであったことがよくわかる。また、これが、東西冷戦の終結という「脅威の空隙」を埋めるように登場してきたこと、英国などの進める気候安全保障論が大きな影響力を持ってきていること、中国の存在を抜きにして国際的な枠組みを構築できないことなどが、納得できる。

地球規模の脅威への予防主義的な対策という理想と、いびつな国際間交渉と、ナイーヴに過ぎた日本の取り組み。そのようなアンバランスな関係のもとでは、ろくでもない言説がいくつも出てくることは仕方がない。本書は、真っ当な視座のひとつとなるものだろう。

●参照
ダニエル・ヤーギン『探求』
吉田文和『グリーン・エコノミー』
『グリーン資本主義』、『グリーン・ニューディール』
自著


『活断層と原発、そして廃炉 アメリカ、ドイツ、日本の選択』

2013-01-31 12:19:32 | 環境・自然

NNNドキュメント'13」枠で放送された『活断層と原発、そして廃炉 アメリカ、ドイツ、日本の選択』(2013/1/27放送)を観る。

活断層が近傍に発見された原子力発電所の事例が、いくつか紹介されている。なぜ活断層が重要かといえば、物理的なずれによって、その上にある設備が「ギロチン破断」を起こしてしまうからだ。典型的には、1基の原発に5万本・延べ100kmもの配管があるという。勿論、それに加え、地震動そのものによる施設のダメージがある。福島第一原発においても、津波が来る前に、既に物理的な衝撃によって機能を停止していたのだという報道がなされた。

ところで、活断層というものはたまたま「見えた」ものに過ぎず、そのため、活断層が「ない」ところでも大地震は起きる。活断層は勿論危険であり、さらに、活断層かどうかに話が矮小化されることは、地震についても、原発についても、危険である。(島村英紀『「地震予知」はウソだらけ』 >> リンク

米国カリフォルニア州・ボデガヘッド原発では、1963年、原子炉を収納しようとして掘っていた穴の底に小さな断層が見つかり、建設が中止された。40万~4万年前に1度だけ、しかもわずか40cmずれただけの小さな断層である。しかし、近くには、巨大なサンアンドレアス断層が走っている。ここでは、1994年のノースフィールド地震など繰り返し大地震が起きている(高速道路が倒壊した写真はまだ記憶に新しい)。

米国カリフォルニア州・フンボルトベイ原発は、1963年に稼働開始した(出力65MWと小さい)。稼働中に断層が発見され、市民団体は稼働停止を求めてヘリウム風船を飛ばしたりしていた。風船の中には切手付きの葉書が封入され、放射性物質の伝播を調べようとしたのだという。それでもしばらくは運用していたが、1979年のスリーマイル島原発事故を契機となった。大規模な耐震補強が迫られ、電力会社PG & Eは、経済的にもたないとして1983年に廃炉を決定した。

米国カリフォルニア州・ディアブローキャニオン原発。やはり電力会社PG & Eが運用する、1,100MW×2と本格的なものである。この近くでも、1972年に断層が発見されたが、対照的に、大規模予算での改修を選んだ。全電源が停止しても問題ないよう冷却水プールを炉心より高台に起き、また、放射性廃棄物の乾式キャスクも高台へと運んだ。

ドイツ・グライフスヴァルト原発は、東西ドイツ統一の直後に、廃炉プロセスを開始した。既に廃炉会社が契約し、「Learning by doing」によって、設備の切断、除染、最終廃棄物化を進めている。除染の様子は凄まじい。放射性レベルの低いものであれば高圧水、それ以上であれば鉄粉を吹きつけて表面を削ったり、電気分解によって表面を溶かしたり。さらに、放射性レベルが高く、また切断に多額の費用を要する圧力容器などは、50年間をめどに、まずは中間貯蔵施設に運び込んで保管している。

これら全6基の廃炉総コストは、約5,000億円ほどだという。一方、日本において唯一廃炉プロセスを完了した原発は、東海村の小規模(12.5MW)の試験炉だけに過ぎない。これとても、250億円・15年間(1981~96年)を要している。また、商用発電を行う日本初の原発・東海第一原発は、現在、廃炉が進められている(>> リンク)。

グライフスヴァルトでは、原発跡地近傍の工業団地にエネルギー産業が集まり、港湾など原発時代のインフラを活かし、例えば巨大な洋上風力の設備生産などを行っているという(北海などでは洋上風力を本格化)。廃炉会社もそのひとつとして位置づけられる。グライフスヴァルトのケーニヒ市長は、廃炉ビジネスのノウハウを輸出可能だとさえ発言しているのである。

日本では、再生可能エネルギー時代はまだ本格化前であり、また、今後、稼働中の原子炉をどのように扱うかによって時期がずれるものの、確実に大規模な廃炉時代が到来する。危険やリスクを強引に乗り越えようとするよりも、再生可能エネルギーや廃炉での産業振興を目指すほうが、現実的な選択肢のはずだという思いを強くする。

●参照(原子力)
山本義隆『福島の原発事故をめぐって』
『これでいいのか福島原発事故報道』
開沼博『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』
高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』、脱原発テント
前田哲男『フクシマと沖縄』
原科幸彦『環境アセスメントとは何か』
『科学』と『現代思想』の原発特集
石橋克彦『原発震災―破滅を避けるために』
今井一『「原発」国民投票』
『大江健三郎 大石又七 核をめぐる対話』、新藤兼人『第五福竜丸』
鎌田慧『六ヶ所村の記録』
『核分裂過程』、六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ)
『原発ゴミは「負の遺産」―最終処分場のゆくえ3』
使用済み核燃料
有馬哲夫『原発・正力・CIA』
黒木和雄『原子力戦争』
福島原発の宣伝映画『黎明』、『福島の原子力』
東海第一原発の宣伝映画『原子力発電の夜明け』
『伊方原発 問われる“安全神話”』
長島と祝島
長島と祝島(2) 練塀の島、祝島
長島と祝島(3) 祝島の高台から原発予定地を視る
長島と祝島(4) 長島の山道を歩く
既視感のある暴力 山口県、上関町
眼を向けると待ち構えている写真集 『中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』
1996年の祝島の神舞 『いつか 心ひとつに』
纐纈あや『祝の島』

●NNNドキュメント
『沖縄からの手紙』(2012年)
『八ッ場 長すぎる翻弄』(2012年)
『鉄条網とアメとムチ』(2011年)、『基地の町に生きて』(2008年)
『風の民、練塀の町』(2010年)
『沖縄・43年目のクラス会』(2010年)
『シリーズ・戦争の記憶(1) 証言 集団自決 語り継ぐ沖縄戦』(2008年)
『音の記憶(2) ヤンバルの森と米軍基地』(2008年)
『ひめゆり戦史・いま問う、国家と教育』(1979年)、『空白の戦史・沖縄住民虐殺35年』(1980年)
『毒ガスは去ったが』(1971年)、『広場の戦争展・ある「在日沖縄人」の痛恨行脚』(1979年)
『沖縄の十八歳』(1966年)、『一幕一場・沖縄人類館』(1978年)、『戦世の六月・「沖縄の十八歳」は今』(1983年)


ダニエル・ヤーギン『探求』

2013-01-23 23:50:12 | 環境・自然

ダニエル・ヤーギン『探求』(日本経済新聞出版社、原著2011年)。ゆっくりと読み進めていたが、ハノイでようやく読了した。

言ってみれば、化石燃料、再生可能エネルギー、電気、CO2などについての開発と変転の歴史書である。これが滅法面白く、とても読み飛ばすわけにはいかない。 新しい本だけあって、例えば東日本大震災と原発事故、中国の省エネ規制、シェールガスの勃興、再生可能エネルギーの技術・市場変動など、最近の動向まで追ったものとなっている。邦訳は上下巻で千ページにもなる大部の書だが、じっくりと読む価値は大きい。

CO2に関しては、第4部に記述されている。確かに、19世紀からの長い研究の積み重ねがあることがよくわかる。贔屓の引き倒しではない。IPCCの提示したものが確固たる結論ではないことも、クライメートゲート事件についても、しっかりと踏まえてのことだ。確かに、最近の日本においては、温暖化対策が原子力推進策とセットになって進められてきた。しかし、この構造を疑うあまりに陰謀論に走るのは、あまりにも浅はかだと言わざるを得ないだろう。

それにしても、政治と科学とビジネスとをうまく織り交ぜた語り口は見事である。読みながら、自分もこんなものを書かなければいけなかったのだなと反省してしまった(>> こんな本とか、こんな本とか)。もっとも、相手はピューリッツァー賞を受賞した専門家であるが・・・。

エネルギー問題についても、開発史、技術、将来予測、市場、エネルギーセキュリティなど、まったく一筋縄ではいかない。つい最近の常識さえもリアルタイムでどんどん変貌していく。

つまり、原子力を考える上でも、再生可能エネルギーの可能性を見る上でも、それから国家間の関係や貿易を広く考える上でも、エネルギー問題のさまざまな要素をじっくり見極めなければ話にならないということだ。「巨悪」の存在を前提としたり、知識なく陰謀論に加担することは、誰のためにもならない。

大推薦。


船橋側の三番瀬 ラムサール条約推進からの方針転換

2013-01-07 07:52:32 | 環境・自然

東京湾に残る数少ない干潟・三番瀬

環境保護団体や市民団体の間では、この三番瀬を貴重だとしてもう手を加えずに保全すべきか、既に不健全な生態となっているために必要な開発を行ったうえで保全すべきかについて、長いこと意見が分かれている。

三番瀬にある3漁協のうち、船橋市漁協のみが、その管轄部分について、ラムサール条約への登録を目指して動いていた。すなわち、前者側の立場である。(2010年11月30日のシンポジウム >> リンク

なお、三番瀬の漁業については、浦安漁協が既に漁業権を完全放棄した(1971年)ため、市川側では南行徳漁協と行徳漁協、船橋側では船橋市漁協が漁業権者となっている。ノリの養殖は「区画漁業権」(海苔ヒビにより場所を占有するため)、アサリ漁業などは「共同漁業権」という形である。

この件によらず、海辺の開発を巡っては常に漁協・漁業権のあり方がクローズアップされてきた。わかりにくい概念である。最近では、山口県の上関原発を巡り、漁協間・漁協内での諍いが起きている。

昨年末(2012年12月22日)に、船橋市漁協は、ラムサール条約推進から漁場再生へと一時的な方針転換を行っている。アサリの漁獲量減少とそれによる渡り鳥減少を受けて、3漁協で連携協力するという。(>> リンク

これをもって、保全のための開発を認めるべきかどうかの論争に決着がついたというわけではないのだろうが、ひとつの重要なターニングポイントになることは確かだろう。


三番瀬、タマシキゴカイの糞と卵(2007年6月撮影)


広くて気持ちいい三番瀬(2007年5月撮影)

●参照
『みんなの力で守ろう三番瀬!集い』 船橋側のラムサール条約部分登録の意味とは
船橋の居酒屋「三番瀬」
市川塩浜の三番瀬と『潮だまりの生物』
日韓NGO湿地フォーラム
三番瀬を巡る混沌と不安 『地域環境の再生と円卓会議』
三番瀬の海苔
三番瀬は新知事のもとどうなるか、塩浜の護岸はどうなるか
三番瀬(5) 『海辺再生』
猫実川河口
三番瀬(4) 子どもと塩づくり
三番瀬(3) 何だか不公平なブックレット
三番瀬(2) 観察会
三番瀬(1) 観察会


宮崎の照葉樹林

2012-12-11 00:34:56 | 環境・自然

先日足を運んだ宮崎では、西米良村や木城町で多くの照葉樹林を見た。本当に気持ちが良かった。照葉樹林帯で有名な綾町も近い。

もちろん画一的な植林がなされた場所もあって、そこははっきりと色分けされていた。

樹木という生き物は見れば見るほど奇妙。


木城町


木城町


木城町


西米良村

●参照
只木良也『新版・森と人間の文化史』
そこにいるべき樹木(宮脇昭の著作)
東京の樹木
小田ひで次『ミヨリの森』3部作
荒俣宏・安井仁『木精狩り』
森林=炭素の蓄積、伐採=?
『けーし風』2008.3 米兵の存在、環境破壊(やんばるの林道についての報告)
堀之内貝塚の林、カブトムシ
上田信『森と緑の中国史』
沖縄の地学の本と自然の本
熱帯林の映像(着生植物やマングローブなど)
やんばる奥間川
イタジイ(ブロッコリーの森)
鳥飼否宇『密林』


池田和子『ジュゴン』

2012-07-01 12:39:00 | 環境・自然

ベトナムへの行き帰りに、池田和子『ジュゴン 海の暮らし、人とのかかわり』(平凡社、2012年)を読む。

生育地の北限である沖縄本島では、辺野古の新基地建設などによって絶滅の危機にさらされているジュゴンだが、実は、かつては八重山でもかなりの数が棲んでいた。激減の理由は乱獲である。本書は、そのジュゴン喰いについてさまざまに紹介している。辺見庸『もの食う人びと』(角川文庫)において、フィリピンでのかつてのジュゴン喰いや、柳田國男南方熊楠によるジュゴンの味や効能の紹介を読んで以来、ずっと知りたかったことだった。やはり美味であったようで、石垣島近くの新城島では国王への献上品でもあった。なお、現在でも、オーストラリアでは、アボリジニの伝統的な漁を保護する観点から、ジュゴン喰いが許可されているのだという。

現在の沖縄におけるジュゴンは、勿論、乱獲やジュゴン喰いをうんぬんするような数がいるわけではなく、保護されなければならない対象である。著者は、辺野古などの政治問題にあまり踏み込むことはしていない。混獲の事故を防ぐための方法や、世界自然遺産登録などの枠組利用によって、ジュゴンを護っていこうと提案している。

そもそも、本書は、ジュゴンを巡る問題というより、むしろジュゴンのキャラクターを紹介することを目的としているのである。その意図は成功しており、鳥羽水族館に観に行きたくなってくる。マナティーとの違いも具体的に書かれており、納得できる点が多い。

もっとも、鯨やイルカに顕著なように、動物を人格化すると保護問題がおかしな具合に歪んでくることが多い。しかし、まずは知らなければダメである。推薦。

●参照
『テレメンタリー2007 人魚の棲む海・ジュゴンと生きる沖縄の人々』(沖縄本島、宮古、八重山におけるジュゴン伝承を紹介)
澁澤龍彦『高丘親王航海記』(ジュゴンが「儒艮」として登場)
タイ湾、どこかにジュゴンが?
名古屋COP10&アブダビ・ジュゴン国際会議報告会
ジュゴンと生きるアジアの国々に学ぶ(2006年)
ジュゴンと共に生きる国々から学ぶ(カンジャナ氏報告)
辺野古の似非アセスにおいて評価書強行提出
二度目の辺野古
高江・辺野古訪問記(2) 辺野古、ジュゴンの見える丘


前田哲男『フクシマと沖縄』

2012-05-04 19:49:23 | 環境・自然

前田哲男『フクシマと沖縄 「国策の被害者」生み出す構造を問う』(高文研、2012年)を読む。前田氏は、『自衛隊 変容のゆくえ』(岩波新書)という良書も書いたジャーナリストである。

既に、高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書)という本があるように、原発も米軍基地も共通の構造を持つことが露わになっている。この構造=システムに不可欠な要素を持つ場(福島、沖縄)のことを、高橋氏は「犠牲」と呼び、前田氏は「国策の生贄」と呼ぶ。もちろん、それぞれの場は人びとが生活する地域社会であり、そのようなテキストで括られることの良し悪しはあるだろう。しかし、確かに、そこに見られるのは、権力による意図的な「犠牲」「生贄」なのである。

著者は、長崎放送に入社し、長崎と佐世保での記者生活を送り、佐世保では、1964年からの米軍原子力潜水艦の寄港を取材している。佐藤政権の日本政府は、その安全性確保に関してまったく無力であった。そしてフリーになり、沖縄とミクロネシアを取材対象に選んでいる。

ミクロネシアは、西側のパラオ諸島(ペリリュー島など)、中央のマリアナ諸島(グアム島、サイパン島、テニアン島など)、東側のマーシャル諸島(ビキニ、ロンゲラップなど)からなる多数の島嶼地域である。戦後、ここで国連信託統治という支配方式を得た米国は、たびかさなる水爆実験を行う。1954年に被爆した第五福竜丸も、その被害者だ。しかし、その言説は、日本側の被害者のみを問題とする、非対称な視線によるものでもあった。

著者はビキニやロンゲラップなどマーシャル諸島に何度も通い、住民たちの被爆状況をつぶさに観察する。そこは、外からの視線が届かぬ、米国による人体実験場とでもいったところだった。あるところでは水爆実験だからといって島ごと移住させ、またあるところでは実験すら通知しない。しばらく経ち、除染したからもう安心だと言って島民を帰すが、怖ろしいほどの健康影響が出て前言撤回する。そしてその間、米国は欠かさずに人体のデータを取り続けている。おそろしいことだ。

重要なことだが、爆心地ビキニから500km離れた島でも、多少時期が遅れただけで、島民は同じ症状に苦しみ、亡くなっている。そのウトラック島民が浴びた放射線は、76時間に140ミリシーベルト。もちろん実験の回数にもより、蓄積量が問題となるのだが、著者はここで、低線量被爆の閾値は低いと考えるべきだとのメッセージを発している。ここで、かつての米国の残虐行為と、現在の日本の政策とが重なってくる。

著者がこのあたりで地図を買うと、日本は下半分しか載っていないようなものだったという。そして、むしろ、ミクロネシアと沖縄を一体として捉える見方があるのだという。沖縄も、サンフランシスコ講和条約により、「米国を唯一の施政権者とする信託統治制度」の下におかれた。ミクロネシアと同じ政治形態であった。

日本もまた、ミクロネシアに差別的な扱いを仕掛けている。1980年代初頭、低レベル放射性廃棄物をこの海域に投棄しようとして反対に遭い頓挫(これが六ヶ所村に向かった)。さらに同時期、高レベル放射性廃棄物を、水爆実験の跡地に陸地処分する案を公表している。これはそのまま鳴りをひそめているが、著者によれば、いつかまた再浮上しないという保証はない、という(最近のモンゴルのように)。

東日本大震災のとき、横須賀港に寄港していた原子力空母ジョージ・ワシントンは、大変な衝撃を受け、横転などにより最悪の事態もありえたのだという。このときジョージ・ワシントンは東京湾から逃げ出し事なきを得たが、これがまたないとは限らないのだと主張する。確かにそうだ、日本にある原発は54基だけではない、のである。これは意識外だった。

本書によると、ジョージ・ワシントンに装備された原子炉2基はそれぞれ40万kW相当、ほぼ福島一号炉と同じ。さらに原潜も横須賀に停泊している可能性が高い(2009年には延べ324日)から、東京湾に福島一号炉並みの原発が3基浮かんでいる状態が珍しくもないことになる、のだという。さて、これを誰が直視するか。

●参照(原子力)
高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』、脱原発テント
鎌田慧『六ヶ所村の記録』
『核分裂過程』、六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ)
『原発ゴミは「負の遺産」―最終処分場のゆくえ3』
使用済み核燃料
有馬哲夫『原発・正力・CIA』
『大江健三郎 大石又七 核をめぐる対話』、新藤兼人『第五福竜丸』
山本義隆『福島の原発事故をめぐって』
『これでいいのか福島原発事故報道』
開沼博『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』
黒木和雄『原子力戦争』
福島原発の宣伝映画『黎明』、『福島の原子力』
東海第一原発の宣伝映画『原子力発電の夜明け』
『伊方原発 問われる“安全神話”』
原科幸彦『環境アセスメントとは何か』
『科学』と『現代思想』の原発特集
石橋克彦『原発震災―破滅を避けるために』
今井一『「原発」国民投票』
長島と祝島
長島と祝島(2) 練塀の島、祝島
長島と祝島(3) 祝島の高台から原発予定地を視る
長島と祝島(4) 長島の山道を歩く
既視感のある暴力 山口県、上関町
眼を向けると待ち構えている写真集 『中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』
1996年の祝島の神舞 『いつか 心ひとつに』


樋口健二写真展『原発崩壊』

2012-04-18 23:16:52 | 環境・自然

出かけたついでに、樋口健二写真展『原発崩壊』(オリンパスギャラリー)を覗いた。最終日だった。

原発労働者たちが、人が人でなくなるような場所で働く姿。被曝後苦しみながら、その眼には怒りと諦念のようなものが読み取れる様。海外で衝撃を与えたという、原発が視える場所で海水浴を楽しむ人びと。こうして見せられると、原発に関して詭弁を弄する者たちが、アワレな生き物に感じられてくる。

ある写真のキャプションにあった。原発労働者、年間8万人。延べ200万人。うち被曝者45万人。


姫野雅義『第十堰日誌』 吉野川可動堰阻止の記録

2012-04-01 10:47:29 | 環境・自然

姫野雅義『第十堰日誌』(七つ森書館、2012年)を読む。「第十堰」とは、「四国三郎」こと吉野川に約260年前に設置された石積みの堰であり、第十という地に作られたことから命名されている。決して十番目の堰ということではない。河川環境に融和したものであるにも関わらず、また、治水上問題ないにも関わらず、その代わりに可動堰が建設されようとしてきた。本書は、それを阻止してきた力の一端を担った人による記録である。なお著者は、2010年に川での事故により亡くなっている。

八ッ場ダム川辺川ダムに象徴されるように、土木建設を実施するだけのために、自然環境の破壊を顧みず、治水・利水上必要なのだとの虚構を作りあげたダム堰の計画例は多い。長良川河口堰など、実施強行された挙句に案の定の悪影響を出している例も多い(これにより、ゴーサインを出した当時の社会党は存在意義を失った)。

この吉野川可動堰も、「同様に、必要なく、ろくでもない計画であることが見え見えながら、止まらない公共工事」であった。本書を読めば、計画のデタラメさや、それでも進めようとする国家の姿がどうしようもなく見えてくる。悪影響は「作文」により隠し、水位計算などの根拠は都合のよい見せ方や改竄を行い、地元の政治家と利用し合い、民主主義とは正反対の行動を繰り返している、のである。

本来、著者が指摘するように、日本の河川行政は変ってきており、そのまま正しい方向に導かれるべきものであった。明治初期においては、河川の洪水については、一定程度溢れることを認める考え方だった。それが明治15年頃を境に、土地の工業利用を重視したために溢れることを許さないものに変っていく。高度経済成長期になり、1964年に河川法が全面改正され、それまでの治水に利水という大きな目的が加わる。そうして日本中の河川環境は大きく破壊されていった。1997年、新河川法は河川事業に環境保全を義務付ける。しかし、この「開発中心型」から「環境保全型」へのパラダイム転換は、うまくなされない。著者らが主導した徳島市の住民投票(2000年)では、可動堰建設に9割の反対という結果が出た。まさに河川との付き合いという文脈において、マイルストーンとして記録され、記憶されるべきものだったのである。

この前後、地元首長の選挙結果は、必ずしも住民投票(民意)を反映したものとはなっていない。この点は、原発(三重県海山町、山口県上関町)についてであれ、米軍基地(沖縄県名護市、山口県岩国市)についてであれ、全国的に見られる現象である。従って、政治家の常套句である「選挙で民意を問う」というあり方も、そもそも間違いなのではないか、と考えられるべきだ。

ところで、この問題をテーマにした内田康夫『藍色回廊殺人事件』という小説があるという。上関の原発についての『赤い雲伝説殺人事件』(>> リンク)といい、やるなあ内田康夫。読んでみないと。

●参照
日韓NGO湿地フォーラム(2010年)(吉野川の報告)
川で遊ぶ、川を守る~日本と韓国の水辺環境(吉野川の報告)
抒情溢れる鉄道映像『小島駅』(吉野川沿いの徳島本線)
今井一『「原発」国民投票』
被爆66周年 8・6 ヒロシマのつどい(2)(新潟県巻町の原発住民投票)
八ッ場 長すぎる翻弄』
八ッ場ダムのオカネ
八ッ場ダムのオカネ(2) 『SPA!』の特集
『けーし風』2008.12 戦争と軍隊を問う/環境破壊とたたかう人びと、読者の集い(奥間ダム)
ダムの映像(1) 佐久間ダム、宮ヶ瀬ダム
ダムの映像(2) 黒部ダム
天野礼子『ダムと日本』とダム萌え写真集
ジュゴンのレッドデータブック入り、「首都圏の水があぶない」
小田ひで次『ミヨリの森』3部作(ダム建設への反対)
『ミヨリの森』、絶滅危惧種、それから絶滅しない類の人間(ダム建設への反対)


永田浩三さん講演会「3・11までなぜ書けなかったのか メディアの責任とフクシマ原発事故」

2012-03-22 06:00:00 | 環境・自然

アジア記者クラブ主催の永田浩三さん講演会「3・11までなぜ書けなかったのか メディアの責任とフクシマ原発事故」を聴いた(2012/3/21、明治大学リバティタワー)。永田さんは元NHKプロデューサーであり、2001年には従軍慰安婦問題を取り上げたドキュメンタリーを手掛けるも、自民党の政治家たちの介入により大幅改変がなされる結果となっている。また、最近では、『大江健三郎 大石又七 核をめぐる対話』(NHK・ETV特集、2011/7/3)の企画をなさっている(>> リンク)。そのようなバックボーンのもとでのメディア批判である。

講演の詳細は『アジア記者クラブ通信』に掲載されるので、「さわり」のみ。

なぜ大メディア、とりわけNHKが、「3・11」以後の原発事故報道において、あまりにも楽観的で(結果的にはウソ報道)、かつ、被曝者の増加という二次災害につながるような政府広報のたれ流しを行う報道に終始したのか。永田さんは、NHKの体質こそがその結果を生んだのだとする。すなわち、報道する情報の依拠を権威や官報に求め、ゲストスピーカーの選定も権威という基準で行い、そして、市民との接点が決定的に少なく、市民を信用していないのだ、と。

勿論、NHKには良質なドキュメンタリーが多い。その中には、事件や事故を事後的に検証する番組もある(津波、水俣病など)。しかしながら、テレビというものが、事件・事故が起きたら取り上げるものであり、それらを予防することにも、長期的なフォローにも、不向きなメディアであるとする。永田さんはそのようなテレビのあり方に疑義を唱えると同時に、少なくとも原発事故報道に関しては自己検証すらなされていないのだと言う。「NHKは事故報道の責任に関し、ハリネズミのように身を固め、なかったことにさえしようとしている。しかし、被曝者を増やした責任の一端もあるのではないか。」

会が終わってから、ネット上でのみ存じ上げていた永田さんにご挨拶し、残った十数人で懇親会。愉しかった。

●参照(原子力)
『これでいいのか福島原発事故報道』
『大江健三郎 大石又七 核をめぐる対話』、新藤兼人『第五福竜丸』
高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』、脱原発テント
新藤兼人『原爆の子』
鎌田慧『六ヶ所村の記録』
『核分裂過程』、六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ)
『原発ゴミは「負の遺産」―最終処分場のゆくえ3』
使用済み核燃料
有馬哲夫『原発・正力・CIA』
山本義隆『福島の原発事故をめぐって』
開沼博『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』
黒木和雄『原子力戦争』
福島原発の宣伝映画『黎明』、『福島の原子力』
東海第一原発の宣伝映画『原子力発電の夜明け』
『伊方原発 問われる“安全神話”』
原科幸彦『環境アセスメントとは何か』
『科学』と『現代思想』の原発特集
石橋克彦『原発震災―破滅を避けるために』
今井一『「原発」国民投票』
長島と祝島
長島と祝島(2) 練塀の島、祝島
長島と祝島(3) 祝島の高台から原発予定地を視る
長島と祝島(4) 長島の山道を歩く
既視感のある暴力 山口県、上関町
眼を向けると待ち構えている写真集 『中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』
1996年の祝島の神舞 『いつか 心ひとつに』


『八ッ場 長すぎる翻弄』

2012-03-03 08:22:13 | 環境・自然

「NNNドキュメント'12」において放送された、『八ッ場 長すぎる翻弄』(2012/2/19)を観る(>> リンク)。

1947年のカスリーン台風を契機に、大規模治水工事の計画が持ち上がり、1952年に八ッ場ダムの計画が公表された。さらに、1960年代の高度経済成長を背景に利水面も付け加えられる。その後、治水・利水面での必要性は消えていっても、多くのダム公共工事と同様に、それは偽装され続けた。

このドキュメンタリーでは、1965年頃の貴重なダム反対運動の映像を紹介している。しかし、計画と事業の停滞が半世紀の長きにわたり、川原湯温泉はさびれてゆき、住民は人生設計を建てられず散り散りになってゆく。住民同士は分断され、いがみ合い、賛成と反対の家族の板挟みになって自殺した青年もいたという。その挙句、民主党政権になってダム建設中止が発表される(2009年)。そのとき、地元住民から反対の声があがったのは、無駄なダムというものへの評価如何ではなく、半世紀もの間、国家権力に人生を振り回され続けたことへの怒りの発露であった。

2011年12月、民主党政権はダム建設続行を表明する。ドキュにおいてうつし出されたのは、地元とは言っても、前田国交相を前に万歳三唱する首長たち、地主たちの姿である。一方、食堂を営む住民は、地主ではなかったため受けられる補償金が少なく、代替地でも新たな生活をはじめることが難しい。それでも、ダムや新たな温泉地ができるのかどうか明確でないまま、思い切って代替地に小さな食堂を作るのだと決意する。権力に翻弄される人たちの姿をとらえたドキュであり、これでこそ、大本営放送のような報道と一線を画するというものだ。

事業が2年半止まっていた間に、なぜかダム完成時期は2019年へと4年再延されてしまった。ダム本体の工事が着工される前だというのに、総事業費4,600億円の半分以上がすでに使われた。もちろん、無駄なダム、環境破壊という評価は変わらない。さらに、吾妻川の水質の悪さという問題もある(強酸性の水を多量の薬剤で中和し、それが貯められる)。地盤が弱いという問題もある。何かの問題が起きたとすれば、それは原発事故と同様に、明らかに人災だといえる。

●参照
八ッ場ダムのオカネ
八ッ場ダムのオカネ(2) 『SPA!』の特集
『けーし風』2008.12 戦争と軍隊を問う/環境破壊とたたかう人びと、読者の集い(奥間ダム)
川で遊ぶ、川を守る~日本と韓国の水辺環境(川辺川ダム、韓国四大河川改修)
ダムの映像(1) 佐久間ダム、宮ヶ瀬ダム
ダムの映像(2) 黒部ダム
天野礼子『ダムと日本』とダム萌え写真集
ジュゴンのレッドデータブック入り、「首都圏の水があぶない」
小田ひで次『ミヨリの森』3部作(ダム建設への反対)
『ミヨリの森』、絶滅危惧種、それから絶滅しない類の人間(ダム建設への反対)

●NNNドキュメント
『鉄条網とアメとムチ』(2011年)、『基地の町に生きて』(2008年)
『風の民、練塀の町』(2010年)
『沖縄・43年目のクラス会』(2010年)
『シリーズ・戦争の記憶(1) 証言 集団自決 語り継ぐ沖縄戦』(2008年)
『音の記憶(2) ヤンバルの森と米軍基地』(2008年)
『ひめゆり戦史・いま問う、国家と教育』(1979年)、『空白の戦史・沖縄住民虐殺35年』(1980年)
『毒ガスは去ったが』(1971年)、『広場の戦争展・ある「在日沖縄人」の痛恨行脚』(1979年)
『沖縄の十八歳』(1966年)、『一幕一場・沖縄人類館』(1978年)、『戦世の六月・「沖縄の十八歳」は今』(1983年)


高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』、脱原発テント

2012-02-02 17:40:20 | 環境・自然

高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』(集英社新書、2012年)を読む。

著者の語り口は平易にして、既に認識していることが多くとも、本質的な括りを行っている。福島や沖縄を「犠牲のシステム」と呼ぶことも、こちらの気持ちを貫くものだ。何が「犠牲」か。福島については言うまでもなく被曝の危険(それは、被曝の事実と化した)であり、沖縄については、基地の負担・危険、また他者を殺める加害者と化すことの強制である。

重要な点のひとつは、原発や基地の見返りとしてオカネを得ていることへの視線だろう。しかしそれは結果的にそのような構造にしてしまったということであって、「犠牲」となる当事者自らが望んだものではない。原発の招致行動やそれを可能にした民主主義(多数決主義)があったことは事実とは言え、その前の圧倒的な権力差を忘れてはならない。原発の「絶対安全」とのウソや、原発や基地を拒否すればさらなる権力差が生まれるのではないかとの恐怖を明らかに利用しての「犠牲のシステム」構築であったのだ。ここには、著者が『戦後責任論』で説いたような他者との<応答>などなく、徹底的に非対称である。

さらには、「天罰」論にも踏み込んでいる。石原慎太郎の暴言以前に、関東大震災の後にも同様の言説はあったのだという。著者が指摘するのは、仮に「犠牲者」を含む日本人の所業が「天罰」に値するものであったとしても、その「天罰」を受ける者が既に色分けされていたのだということだ。誰に「犠牲者」を定める権利があるのか、それを定めてきた為政者は決して「犠牲者」にならないのではないか、と。ましてや、「犠牲」によってその恩恵を受ける者が、その「犠牲者」を讃えて「犠牲のシステム」への視線を回避させるようなことはあってはならないことではないか、と。

「・・・関東大震災は天罰だった、東日本大震災は天罰だった、長崎原爆は天恵だったという話にするなら、自分個人にとって出来事がどういう意味をもつのかという次元をはるかに超えてしまう。そうした出来事を客観的に意味づけ、そこで死んだ多くの人々、一人ひとりみな違っていた人々を人括りにして、自分から一方的に彼ら彼女らへその死の意味を押しつけるかたちになってしまう。そこには大きな問題があるということを確認しておきたい。」

すべての思考と判断とを停止し、権力を内包する物語をのみ正統とするのではなく、<マルチチュード>的に存在を示すこと。昨年から霞が関に居ることによって存在を主張し続ける「脱原発テント」は、まさにそれなのだろう。辺野古のテントや、高江のテントや、上関の小屋や、キャンベラの「テント・エンバシー」のように。

昨日初めてお邪魔した「脱原発テント」では、そこにおられた方から興味深い話を聞いた。大飯原発と川内原発に使われている部品が、コストダウンのため、1個のステンレス製から5個の鋳物を溶接したものに変えられている。安全を左右する部品であり、ことは重大である、と。これは確認しなければならない。

いつも愛読しているブログ「隙だらけ好きだらけ日記」の永田浩三さんが、同じいま、「脱原発テント」を訪れ、同じ本を読んでおられた(>> リンク)。こういうシンクロニシティも<マルチチュード>的だと思いたい。

 

●参照
高橋哲哉『戦後責任論』
徐京植のフクシマ(本書で言及)
末木文美士『日本仏教の可能性』(本書で言及)

●参照(原子力)
鎌田慧『六ヶ所村の記録』
『核分裂過程』、六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ)
『原発ゴミは「負の遺産」―最終処分場のゆくえ3』
使用済み核燃料
有馬哲夫『原発・正力・CIA』
『大江健三郎 大石又七 核をめぐる対話』、新藤兼人『第五福竜丸』
山本義隆『福島の原発事故をめぐって』
『これでいいのか福島原発事故報道』
開沼博『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』
黒木和雄『原子力戦争』
福島原発の宣伝映画『黎明』、『福島の原子力』
東海第一原発の宣伝映画『原子力発電の夜明け』
『伊方原発 問われる“安全神話”』
原科幸彦『環境アセスメントとは何か』
『科学』と『現代思想』の原発特集
石橋克彦『原発震災―破滅を避けるために』
今井一『「原発」国民投票』
長島と祝島
長島と祝島(2) 練塀の島、祝島
長島と祝島(3) 祝島の高台から原発予定地を視る
長島と祝島(4) 長島の山道を歩く
既視感のある暴力 山口県、上関町
眼を向けると待ち構えている写真集 『中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』
1996年の祝島の神舞 『いつか 心ひとつに』


鎌田慧『六ヶ所村の記録』

2012-01-03 11:20:25 | 環境・自然

鎌田慧『六ヶ所村の記録 核燃料サイクル基地の素顔』(上、下)(岩波現代文庫、原著1991年)を読む。岩波現代文庫としての再版(2011年)に際して、「3・11」を踏まえての補章「下北核半島化への拒絶」が追加されている。

「ロッカショ」と、まるで記号のように呼ばれるその地。「もんじゅ」と同様に、核燃料サイクルの代名詞であるかのように呼ばれる地。勿論、単なる記号ではなく、人間の住む地である。同じ青森出身の鎌田氏は、村に長年足を運び、農業や漁業で暮らす多くの人びとや為政者の声を聞き集め、ルポルタージュの大作としてまとめている。

はじまりは「核」ではなかった。1930年代以降、日本のアジア侵略過程において建国された満洲国に、日本政府は多くの移民(満蒙開拓移民)を送り込んだ。それは、実際には人柱であり、「匪賊」を追い出すための武装農民たることを期待されたものだった。やがて満洲国は解体、多くの人が帰国の際に悲劇をみた。そして、六ヶ所村には、二度目の開拓民として移り住んできた人が多かったという。農地としての状態は満洲より圧倒的に悪く、何よりも満洲は「朝鮮人や満洲人が働いてくれた」のだという声がある。著者は、その点に、人びとの意識の違いをみる。侵略者としての立ち位置を意識し、それを政治への眼として持ち得ているのかどうか、である。村は、満洲侵略の際と正反対の位置におかれてきたのであるから。

国や県の農業政策が軌道に乗りかけた矢先、やはり国、県、そして大資本による巨大な「むつ小川原開発」プロジェクトが立ち上げられる。広大な敷地を工業用地として整備し、地域が発展するというバラ色の夢。地価は倍々ゲームで上昇し、人びとはオカネと権力によって土地を追われた。しかし、二度の石油ショックがあり、計画は大幅な用地縮小と、広大な更地造成という形となった。その一部は、形を変えて石油備蓄基地となり、そして、核燃料サイクル基地構想に姿を変えた。すべては民主主義とは対極にある方法で進められた。

「放射能の危険が出現する前、すでに民主主義が侵食されている。それが県民にとっての二重の危険性である。」

著者は、結果として産業用地があったから核へと突き進んだのではない、もとより核半島構想があったのだと見抜く。1960年代のはじめ、この地の砂鉄を使った「むつ製鉄」計画があるもコスト高のため頓挫、それは1967年に原子力船「むつ」の母港に姿を変えた。著者がいう「下北核半島」のはじまりである。1969年には、政府の調査報告書に核開発の方針が明記されているという。従って、核燃サイクルの開始は、リーク記事により世の中に再浮上した1984年ではなく、それよりも15年遡る。

「たとえば、各地の原発を取材しながら、核廃棄物(使用済み核燃料)はどうするのですか、と聞くと、応対した担当者は得たりとばかりに、「心配ありません。全部、六ヶ所村へはこばれます」と答えるのがつねだった。全国の原発がつくられるとき、その廃棄物は六ヶ所村に持ち込まれる、と構想されていた、としたならば、それは巨大な陰謀ともいえるものだった。」

核燃料の再処理・最終処分そのもの危険性のみならず、「トイレのないマンション」という言葉が悪い冗談でなくなってきている。東日本大震災では、福島第一原発の使用済み核廃棄物が第二、第三の災禍をひきおこしている(もう六ヶ所村には持ち込めない)。六ヶ所村の貯蔵プールもあぶないところだったという。もはや核燃料サイクル構想は破綻していると言うべきだが、まだ亡霊は蠢いている。

『週刊金曜日』876号(2011/12/16)は、「核燃サイクルの魑魅魍魎」と題した特集を組んでいた。鎌田慧氏も、10年前に県がシリコンバレーの成功にならってIT企業の誘致策として構想した「クリスタルバレイ」の現状を報告している。県は「核基地」のイメージを払拭するため、巨額の予算をかけるも、いまのところ大失敗に終わっているという。次なる払拭プランは、風力をはじめとする再生可能エネルギー開発のようだが、核燃料サイクルそのものが止められることは、まだなされていない。

●参照(原子力)
『核分裂過程』、六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ)
『原発ゴミは「負の遺産」―最終処分場のゆくえ3』
使用済み核燃料
有馬哲夫『原発・正力・CIA』
『大江健三郎 大石又七 核をめぐる対話』、新藤兼人『第五福竜丸』
山本義隆『福島の原発事故をめぐって』
『これでいいのか福島原発事故報道』
開沼博『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』
黒木和雄『原子力戦争』
福島原発の宣伝映画『黎明』、『福島の原子力』
東海第一原発の宣伝映画『原子力発電の夜明け』
『伊方原発 問われる“安全神話”』
原科幸彦『環境アセスメントとは何か』
『科学』と『現代思想』の原発特集
石橋克彦『原発震災―破滅を避けるために』
今井一『「原発」国民投票』
長島と祝島
長島と祝島(2) 練塀の島、祝島
長島と祝島(3) 祝島の高台から原発予定地を視る
長島と祝島(4) 長島の山道を歩く
既視感のある暴力 山口県、上関町
眼を向けると待ち構えている写真集 『中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』
1996年の祝島の神舞 『いつか 心ひとつに』

●参照(鎌田慧)
『核分裂過程』、六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ)
金城実+鎌田慧+辛淑玉+石川文洋「差別の構造―沖縄という現場」
鎌田慧『沖縄 抵抗と希望の島』
鎌田慧『抵抗する自由』
鎌田慧『ルポ 戦後日本 50年の現場』
前田俊彦『ええじゃないかドブロク(鎌田慧『非国民!?』)


黒木亮『排出権商人』

2011-12-18 08:16:34 | 環境・自然

先週、成田からバンコク、ムンバイと乗り継ぐ飛行機で、黒木亮『排出権商人』(角川文庫、原著2009年)を読む。新刊時にタイミングを逸し、文庫化されたら入手しようと思っていたのだ。

2年前にこの本を書店で手に取って開いてみると、自分が書いた排出権の本が参考文献として入っており、自分も何度も足を運んだ中国山西省の太原市で登場人物たちが同じホテルに泊まり、同じ寺を見物し、似たようなものを飲み食いしている場面が目に飛び込んできたりして、何だかヘンな気分になって棚に戻したことがある。確かに、「日本のシンクタンクが出した排出権ビジネスに関する本」をネタに解説する場面になると、何を言われるかと過剰反応してしまう。

もっとも、実際に読んでみると、排出権の創出に関わるさまざまな場面が紹介され、取材もしっかりとなされているようで、素直に面白い。もう少しターゲットを絞っていたなら、知的なスリリングさもあっただろう。中身はオビの煽りのような内容ではなく、誤解と偏見に基づいてはいない。登場人物は微妙にリアルで、例えば中国政府の人物として出てくる男性はすぐにモデルがわかるし(名字を変えただけで、描写されている風貌通り)、主人公の女性のモデルも勝手にこちらで想像してみたりする。

確かに、国際政治の歪みにより影響され、不透明なマーケットが出てくる分野ではあるが、それはどのビジネスでも同じ。そこから温暖化懐疑論に飛びついたりにわかナショナリストになったりするより、どんな中身であるかを見たほうがまともな判断ができるというものだろう。すなわち、本書のオビよりは本書の内容。

●本書に登場する山西省
浄土教のルーツ・玄中寺 Pentax M50mmF1.4(山西省)
山西省のツインタワーと崇善寺、柳の綿(山西省)
白酒と刀削麺