Sightsong

自縄自縛日記

スティーヴィー・ワンダーとメイシー・グレイの『Talking Book』

2013-03-02 18:51:42 | ポップス

スティーヴィー・ワンダー『Talking Book』(Tamla、1972年)。恥ずかしながら聴くのは初めて。

冒頭曲の「You are the Sunshine of My Life」がいい(これだけは知っている)。奇妙なイントロからはじまって、"You are the sunshine of my life / That's why I'll always be around / You are the apple of my eye / Forever you'll stay in my heart" なんて泣けてしまうな。

他の曲もラヴソングばかり、スティーヴィーの高い声は絶好調。いやカッコいい。「Tuesday Heartbreak」では、デイヴィッド・サンボーンがアルトサックスを吹くが、さすがの存在感。

なぜ思いだしたかのようにスティーヴィーを聴いたかというと、飛行機の中で、メイシー・グレイ『Talking Book』(Columbia、2012年)を聴いたからである。オリジナルから40年を経ての完全カヴァー盤。やはり、冒頭の「You are the Sunshine of My Life」に、痺れてしまった。帰国後早々にCDを買った。

こうして聴き比べてみると、それぞれ味があって良い。メイシーの方は、ハスキーというレベル以上のかすれ声。「You are ...」では可愛く唄い、スティーヴィーと違って、"... of my life" のあとに、いちいち、"yeah" と付けるのだが、これがまた可愛い。

この名曲は、どうやら数多くの歌手にカヴァーされている模様だ(>> リンク)。メイシー同様にかすれ声のアニタ・オデイのヴァージョンなんて聴いてみたいな。

「Tuesday Heartbreak」では、オリジナルと違い、トランペットが参加していた。サンボーンと比較されたのでは分が悪いし、正解か。

●参照
スティーヴィー・ワンダー『キー・オブ・ライフ』と最近のライヴ


武満徹『波の盆』

2012-12-30 10:49:55 | ポップス

気が向いて、武満徹『波の盆』(RASA、1983年)というドラマのサントラ集を聴いてみた。

指揮/岩城宏之
演奏/東京コンサーツ

何とも気持ちのいいアンサンブルである。このテレビドラマは、ハワイを舞台にしたものであったらしく、「パール・ハーバー」、「ヒロシマ」といった曲も含まれる(もっとも、これらの曲は気持ち良いというより不穏なイメージを出している)。

武満徹の映画音楽で好きなものは『他人の顔』『夏の妹』だが、これは、南国という点で沖縄と共通するのか、『夏の妹』を想起させる。

言ってみれば「甘酸っぱい」なのか、「ほろ苦い」なのか、しかしそれも大きな力の中に位置づけられるような。つまり、ここにある感覚は、どちらかと言うと「諦念」であり、諦めて思考停止したところに、癒しだとか観光だとかいったものが成立するのではないかな、と思ってしまった。大島渚が『夏の妹』において描いた世界も、そのような沖縄であったのかもしれない。

「日本」とは「諦め」だ。

参照
大島渚『夏の妹』


マーティン・スコセッシ『シャイン・ア・ライト』、ニコラス・ローグ『パフォーマンス』

2012-07-30 20:52:46 | ポップス

マーティン・スコセッシ『ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト』(2008年)を観る。

ローリング・ストーンズのライヴ映画であり、その演出でもめるスコセッシ自身も登場し、もはや被写体も監督もセレブ扱いだ(まあ、そうだろうが)。

このときミック・ジャガーは65歳くらい。叫び、ささやき、腰をくねらせ、こうなると彼に年齢は関係ない。いや~、あり得ないくらい格好いいね。キース・リチャーズの見所も多いが、彼も同い年。ゲストではブルース歌手のバディ・ガイまで登場し、しびれるようなシャウト。歳をとっても彼らのようであればいいのだ(ムリか)。

ついでに、2年以上前にロンドンで買ってそのままになっていたDVDを探しだした(調べてみると、何だ、日本盤もあるじゃないか)。ニコラス・ローグ+ドナルド・キャメル『パフォーマンス』(1970年)は、連名ながら、ローグの初監督作品である。これにも、ミック・ジャガーが登場している。

チンピラは掟を破って追われる身となり、ミックが暮らす魔の館に逃れる。そこはサイケデリックでエロエロ、皆キノコを食べてラリっており、要はイカレぽんちの巣窟だった。ミックは若いだけに、気持ち悪いほどフェロモンを放出している。

そして、このデビュー作において、過去と未来の交錯、眩暈、不安定なカメラ、どぎつい赤、変態趣味など、既にローグの色を出している。時代がひとまわりふたまわりした今、何かのきっかけがあれば、ローグ再評価の嵐が来るに違いない。いや本当。


山口百恵『曼珠沙華』、『ア・フェイス・イン・ア・ヴィジョン』

2011-01-15 23:39:04 | ポップス

NHKの『SONGS』で2週続けて放送された山口百恵の特集を観て以来、やっぱり百恵は凄い歌手だったと思っている。何しろ百恵が21歳で引退したとき私は10歳にもなっていなかったから、ヒット曲を覚えてはいても、それ以上の存在ではなかった。今観ると、あの眼と肝が据わった存在感と歌唱力であの年齢とはあり得ない。

そんなわけで、百恵のLPをひと山いくらで入手した(でも、忙しくてあまり聴けていない)。篠山紀信による百恵の写真展も最近都内で開かれていて随分観に行きたかったのだが、結局行けずじまい。その代わりに、篠山紀信の写真がジャケットを飾った作品、『曼珠沙華』(1978年)と『ア・フェイス・イン・ア・ヴィジョン』(1979年)を繰り返し聴く。

ハイキーなジャケット写真が目を引く『曼珠沙華』には、「曼珠沙華」と「いい日旅立ち」が収められている。何と言っても谷村新司による「いい日旅立ち」、ヘンな歌詞だが名曲である。どうしてもJRのコマーシャルを思い出してしまうぞ。阿木・宇崎コンビによる曲は「曼珠沙華」を含め3曲あるが、それよりは他のアンニュイな曲のほうが好みである。

『ア・フェイス・イン・ア・ヴィジョン』は、篠山紀信の写真をフィーチャーしたNHK特集の音楽であったようで、LPの中にも写真集が入っている。これまで篠山写真に感じたことなど一度もないが、これは素晴らしい。商業の怪物を撮ると篠山は天才だ。

こっちで目立つ曲は逆に阿木・宇崎コンビの「美・サイレント」「夜へ・・・」だ。それにしても、戦略とは言え、過激な歌詞を歌わせたものだね。

Be silent, be silent, be silent, be silent
あなたの○○○○が欲しいのです
燃えてる××××が好きだから
(※伏字の部分は歌わない)

「夜へ・・・」は、渚ようこ『あなたにあげる歌謡曲 其の一』においてカバーしている曲だった(>> リンク)。渚ようこも悪くないが、こう聴いてみると、20歳の百恵が断然格上である。

ええい、篠山展に足を運べなかったことがつくづく悔やまれる。


八代亜紀『一枚のLP盤』

2010-11-07 02:18:09 | ポップス

ど演歌はまったく好みでも何でもないのだが、八代亜紀は例外である。艶やかな笑顔、ハスキーな歌声、テレビに亜紀ちゃんが出てくるとつい見入ってしまう。もともとジャズ歌手を志向していたこともあり、最近では、アマチュアのジャズバンドや北村英治(クラリネット)との共演といった番組も作られている。

そんなわけで、「Cry Me A River」を唄ったシングルCD『一枚のLP盤(レコード)』(2010年、コロンビア)が今年の春に出たときには、矢も楯もたまらずamazonで注文した。ところが何かの間違いで到着したのはカセットテープ。さすが演歌、いまどきカセットかと妙な感慨を抱いた。・・・・・・とにかくそれは返品して、すぐに量販店でCDを見つけた。

亜紀ちゃんの声だから、タイトル曲の「一枚のLP盤(レコード)」も「昭和の歌など聴きながら」も何度もしみじみと聴いている。両方とも、作詞はテレサ・テンの「時の流れに身をまかせ」や「つぐない」などと同じ、荒木とよひさである。

それにしても演歌ワールドである。バックの音楽がダサく、コード進行がパタン化している(まあ、ブルースだってそうかもしれないが)。呪われた過去と血縁と地縁が切っても切り離せない。涙を必死に堪えながら唄い、突如感情を吐露する。どこかに「こんな私、許してくださいね」という強迫観念的な甘えがある。それから、亜紀ちゃんならではだが、声をのばすときの「あ」音が微妙に「え」音にシフトし、何だか「場末」イメージを増幅させる。

それはそれとして、目当ては「Cry Me A River」である。バックはピアノトリオ+クラリネット、だらしなく音を垂れ流すベースが気に入らない、とは言え、本当に亜紀ちゃん+ジャズ、悪くない。共演者のクレジットがまるで書かれていないが、クラリネットは北村英治なのだろうか。


元ちとせ『Orient』

2010-10-18 23:54:15 | ポップス

この8月に出された元ちとせの2枚のアルバム『Orient』『Occident』は、それぞれ日本語と英語によるカヴァー盤で、特に『Orient』の方をよく聴いている。

あがた森魚「百合コレクション」山崎まさよし「名前のない鳥」は残念なことに再録で、いまの元ちとせによる唄ではない。また、広島の原爆で亡くなった子どもを唄った「死んだ女の子」は初回限定ボーナストラックではあるが、既に『ハナダイロ』のボーナストラックとして収録されたものと同じ。それならそうと宣伝してくれないと落胆する。しかし、それでも良い唄だから許すことにする。

永六輔+中村八大「遠くへ行きたい」や、イルカが唄った「なごり雪」も悪くないが、「コリアンドル」が何といっても出色。「ワダツミの木」といい、「カッシーニ」といい、上田現による奇妙な歌詞とメロディは元ちとせの個性に向いているような気がする。

エジプトに行くのさ 砂漠が見たくなってね。
でも着いちゃったのはマレーシア あこがれの南の・・・。

ちょうど今日、『TBSニュースバード』に元ちとせが出るというので、録画しておいて観た。主に「死んだ女の子」をテーマとした受け答えとライヴ映像(2005年、原爆ドーム前での初録時と、今年8月のオーガスタキャンプと)が紹介されていた。8年くらい前、デビュー前に「死んだ女の子」を唄ったものの、まだ早いと判断して中止したという。それだけに、思い入れの強い唄を懸命に唄う姿には涙腺がゆるんでしまう。よく泣かないで唄えるね。

若松孝二『キャタピラー』も早く観ないとなあ。

●参照
元ちとせ×あがた森魚
『ウミガメが教えてくれること』
元ちとせ『カッシーニ』
元ちとせ『Music Lovers』
元ちとせ『蛍星』
『ミヨリの森』、絶滅危惧種、それから絶滅しない類の人間
小田ひで次『ミヨリの森』3部作


渚ようこ『あなたにあげる歌謡曲』、若松孝二『天使の恍惚』

2010-04-23 23:52:06 | ポップス

中村高寛『ヨコハマメリー』(2005年)のエンディング曲として、渚ようこが「伊勢佐木町ブルース」を歌っていた。しばらく気にしていたが、ある日、沢渡朔の写真展の記名帖に名前を書こうとしたところ、自分の直前に「渚ようこ」の名前があった。ちょっとでも早めに来たなら、すれ違うことができたのに!

そんなわけで、ここのところ、『あなたにあげる歌謡曲 其の一』(VOLT-AGE records、2005年)を時々聴いている。

昨日などは、ツマに何だその音痴は、ヤメロ!と罵られてしまった。確かに声量があるわけでもないし、歌唱力が絶大なわけでもない。しかし音痴というのとは違う。時にちょっとヨレッとするのがとてもいいのである。

行ったことはないが、渚ようこは新宿ゴールデン街に店を開いている。シラムレンとはしごしたら頭が溶けるだろうな。この盤では、高橋ピエールのギターとデュオで歌っており、もう気分は新宿放浪の夜なのだ。「どうぞこのまま」も、「ここは静かな最前線」も、「昔の名前で出ています」も、「小心者」も、山口百恵の「夜へ・・・」も、かなり沁みる。酒でも買いにいくか(笑)。

特に、「ここは静かな最前線」。解説は先ごろ亡くなった平岡正明である。この選曲にはかなり驚いたようで、なぜなら、若松孝二『天使の恍惚』(1971年)の主題歌だからだ。どういうわけでこんな曲を、というわけである。作曲の出口出は足立正生のペンネームであり、渚ようこが歌ったときには既にパレスチナから日本に戻ってきていた。ひょっとしたら足立正生がゴールデン街で教えたのかもしれない。何しろ、かつての「新宿の三天才」のひとりである。

『天使の恍惚』では、この歌を、横山リエが歌っている。当初はジャズ歌手の安田南が出演し、歌う予定であったという。足立正生『映画/革命』(河出書房新社、2003年)によると、安田南は芝居ができないので降りてもらったという事情があった。しかし、横山リエは大島渚『新宿泥棒日記』のウメ子役より凄みを増していて、大正解だったのではないか。上映時は連合赤軍のあさま山荘事件の後で、上映館のATG新宿文化はクリスマスツリー爆弾事件があった交番の真横だったこともあり、警察からの圧力が物凄かったようだ。そんなセンセーショナルな歴史は置いておいても(いや置くことはできないか)、傑作である。第一次山下洋輔トリオ(森山威男、中村誠一)の演奏、国会議事堂に車で突っ込んでいく横山リエ。「本気で孤立できる奴!個的な闘いを個的に闘える本気の奴らが十月組なんだ!」という叫び声が奇妙に印象に残る。

●参照
『ヨコハマメリー』
新宿という街 「どん底」と「ナルシス」


本間健彦『高田渡と父・豊の「生活の柄」』、NHKの高田渡

2010-02-28 00:00:17 | ポップス

本間健彦『高田渡と父・豊の「生活の柄」』(社会評論社、2009年)を読む。表紙の絵はシバ。タイトルからは、渡と父の触れ合いのような印象を抱くが、実際には、解説で中川五郎が書いているように、父・豊のことを書いた本である。

高田豊のことは、高田渡の自伝『バーボン・ストリート・ブルース』においても触れられており、渡が父を慕っていたことが想像できるのだが、それは本書を読んでさらによくわかる。そして、渡は豊であったのだなとさえ、思われてくるのだ。

豪邸の名家に生まれ、没落し、詩人を志し、引越しを繰り返して極貧の暮らしへ。それでも息子たちと一緒に生活を続けた。それは実に人間臭くて、地位として認められた「詩人」ではなくても、詩人そのものであった。

著者もその魅力に惹きつけられていたようだ。同時代の多くの日本人と同様に堕ちたが、そこから経済成長を担う集団に属することはできなかった、堕ちて、「人間の道を模索し続けた」者だからこそ肩入れするのだ、と。

読んでいるとさまざまな発見がある。豊は、佐藤春夫の弟子だった。そして、のちに渡が多く唄った詩人、山之口獏も同時期の弟子だった。豊と獏の交流を示す記録は見つからなかったというが、やはり著者は、渡の獏に対する共感には父の存在があったのだと想像している。

あらためて高田渡という存在が、亡くなってからも、大事なものに思えてきた。ライヴを観ているときは、ビールをだらだら垂らしたりして、ああ仕方ないなと苦笑していたのだったが、人はいつまでも元気に生きているわけではない。


高田渡、吉祥寺 Pentax LX、A135mm/f2.8、Provia 400F

ちょうどこの2月から、NHKの『知る楽』という番組で、高田渡のことを4回シリーズとしてとりあげていた。全部録画して2回ずつ観たが、やはりNHKだというべきか、いちいち表現や演出が鼻についてしまう。本人が「民衆」とか「庶民」と言うのはいいが、NHKが言うとただの嫌味な「上から目線」だ。高田渡は有名になっても吉祥寺の近所のいせや(焼き鳥屋)や八百屋に通っていました、とは何か。本来は有名な人は行くべきところではないとでも言いたいのだろうか。バブルが崩壊してまた高田渡を求める声が云々、と時代に結びつけたがることなどは牽強付会そのものだ。もっとも、「自衛隊に入ろう」をNHKが流す時点で、既に昔話に押し込めてしまっているのかもしれない。

それでも高田渡の映像は感傷的に観てしまう。最後のライヴとなった北海道での記録は渋谷毅、片山広明との共演で、最後の曲「生活の柄」のあと、片山は心配そうに高田渡のほうを振り返る。(そういえば、浅川マキのラストライヴも渋谷毅だった。) こちらも言葉を失う。

なぎら健壱の語りも良い。「仕事探し」の歌詞は「乗るんだよ 電車によ」だが、突然、「盗んだよ 自転車をよ」と唄いはじめたりするのだ(爆笑)。NHKだって。


那覇・栄町市場の居酒屋「生活の柄」(2009年7月)

●参照
『週刊金曜日』の高田渡特集
高田渡『バーボン・ストリート・ブルース』
「生活の柄」を国歌にしよう
山之口獏の石碑


ちあきなおみのカヴァー曲集

2009-11-29 23:59:30 | ポップス

ある日、生協のカタログに載っていて一も二もなく買った2枚組CD、『ちあきなおみ カヴァー・ヒット・コレクション』(Columbia、2006年)。名前の通り、誰かの元歌のカヴァー曲集である。どうやら生協限定のOEM商品らしい。

 

知っている曲も、知らない曲もあるが、そもそも世代的に厳しい。CDの解説には、元歌が誰によるものか書かれていないので、ほとんど自分の便利のためにYoutubeで検索してリンク集を作った。 

<ポップス歌謡>
01 愛のくらし(加藤登紀子) >> リンク
02 五番街のマリーへ(ペドロ&カプリシャス) >> リンク
03 わかって下さい(因幡晃) >> リンク
04 雨が空を捨てる日は(中島みゆき) >> リンク
05 ブルー・ライト・ヨコハマ(いしだあゆみ) >> リンク
06 愛は傷つきやすく(ヒデとロザンナ) >> リンク
07 積木の部屋(布施明) >> リンク
08 あばよ(中島みゆき) >> リンク
09 あなたならどうする(いしだあゆみ) >> リンク
10 愛して愛して愛しちゃったのよ(和田弘とマヒナスターズ・田代美代子) >> リンク
11 いいじゃないの幸せならば(佐良直美) >> リンク
12 人形の家(弘田三枝子) >> リンク
<ムード歌謡>
01 今日でお別れ(菅原洋一) 
02 知りたくないの(菅原洋一) 
03 女の意地(西田佐知子) >> リンク
04 つかれたわけじゃないわ(島津ゆたか) >> リンク
05 ベッドで煙草を吸わないで(西田佐知子) >> リンク
06 つめ(ペギー葉山) >> リンク
07 あなたのすべてを(佐々木勉) >> リンク
08 赤坂の夜は更けて(西田佐知子) >> リンク
09 そっとおやすみ(布施明) >> リンク
10 酔いしれて(岸洋子)
11 逢いたくて逢いたくて(園まり) >> リンク
12 アカシアの雨がやむとき(西田佐知子) >> リンク

何年か前のビートたけしの番組や、最近ではNHKでも特集番組を放送していたが、不世出の歌手・ちあきなおみに対する再評価が凄い。実際に、本当に良い声である。ツマのCD棚にあった、「喝采」をはじめとするヒット曲集のCDを聴いて、なぜ今まで気が付かなかったのだろうと思ったのは、本当に最近のことだ。

このCDは1枚目が「ポップス歌謡」、2枚目が「ムード歌謡」。特に後者では、「いかにも」な感じのカクテルピアノやフルートや、極め付けに咽び泣くテナーサックスが主張しまくっていて、これがたまらなく良いのだ。

しかし、NHKが2週続けてちあきなおみの特集を組むというのは、何か再登場の動きでもあるのだろうか。それはないかな。

●参照
黄昏のビギン


スティーヴィー・ワンダー『キー・オブ・ライフ』と最近のライヴ

2009-11-22 22:58:50 | ポップス

中高生の頃、MTVなどを観ては夢中になっている姉がいたせいか、「洋楽」というものが鬱陶しく、ろくに聴いてこなかった。スティーヴィー・ワンダーも例外ではなかった。そんな狭い了見ではいけない。

『SONG TO SOUL』というBS-TBSの番組があって、毎回何か1曲を採りあげている。以前、スティーヴィー・ワンダーの「Sir Duke」を特集した回(>> リンク)をツマが観ていた。ああこれ、いけるねと気が付き、この歳になってスティーヴィーが気になる存在になってしまった。

「Sir Duke」は、亡くなったばかりのデューク・エリントンに捧げた曲。決してあのジャングル・サウンドを真似たものではないが、賑々しい幸福感には共通するものがある。番組の解説によると、『Talking Book』(1972年)に収録された「You Are The Sunshine Of My Life」は、「Take the "A" Train」に倣って、イントロをホール・トーン(全音階だけの関係)にしている。決して「Sir Duke」のタイトルを思いつきで付けたものではないというわけだ。

そんなわけで、『メイキング・オブ・キー・オブ・ライフ』(1997年)というレンタル落ちのDVDを入手した。「Sir Duke」は、アルバム『Songs in the Key of Life』(1976年)に収録されている。ベースを弾いたネイサン・ワッツが言うように、スティーヴィーはソロを演奏できる上手いプレイヤーよりも、スティーヴィーのインスピレーションをすぐに耳で聴いて演奏できるプレイヤーを求めていた。それでも、このアルバムにはハービー・ハンコックも参加していて、インタビューに答えてもっともらしいことを語っているのは苦笑ものだ。そんな大御所よりも、アルバムに参加した者たちが輪になって同窓会のように喋るのは面白い。ミュージシャンってどこでも馬鹿話と法螺話が好きなんだな。

気になるとはいっても、最近の活動とか何もチェックしていないので、何年か前の大晦日に放送された「K-1」(曙がホイス・グレイシーにあっさり敗れたとき)で、米国の国歌を歌っていたのが印象に残っていた程度。それで、ついこの間、昨年(2008年)のライヴ映像がNHKで放送されたので、嬉しくなって観た。なんと、最初の曲として、スティーヴィーは、ハーモニカでマイルス・デイヴィスの「All Blues」を弾いた。今まで、ディー・ディー・ブリッジウォーターが歌うヴァージョンが好きだったのだが、勿論これも最高に格好よかった。


忌野清志郎の絵本

2009-08-31 00:24:10 | ポップス

家族で、ラフォーレ原宿で開かれている「個展・忌野清志郎の世界」に足を運んだ。私も清志郎のことは憎からず思っていたが、それよりもツマがファンだったのだ。

まずはレコードジャケット、ツアーのパンフやポスター、グッズ類、衣装類。写真は繰上和美、蜷川美香、平間至などの「らしい」作品が多い。

しかし何より眼と心が奪われるのは、清志郎の描いた絵だ。絵本の原画は順に観て行ってげらげら笑う。(HISの)細野晴臣や井上陽水、スティーブ・クロッパーらの似顔絵が楽しい。落書きや、子供時代の絵や、ノートもある。

何だか全部、過剰な愛に満ちている。清志郎が亡くなったことへの悲しい気持ちより、現在形の嬉しい気持ちのほうが強い。清志郎の残したものを共有することが「LOVE & PEACE」なんだな、なんて思ったりして。

清志郎が原画を描いた絵本『ブーアの森』(せがわきり・文、TOKYO FM出版、2002年)を買って帰った。原画では、パステルと絵具のぎらぎらした存在感にいいねいいねと言い合いながら観たが、印刷ではそれが随分引っ込んでいる。しかし良いものは良いのだ。少年が眼と鼻からぐしゃぐしゃと涙を流す場面なんてたまらないぞ。

選挙は帰り道に済ませた。気になってテレビに釘付けになった。皮肉は置いておいて、「チェンジ」の芽が出たことは確かなのだ。


元ちとせ×あがた森魚

2009-04-12 00:22:46 | ポップス

元ちとせは、インディーズ時代のミニアルバム『Hajime Chitose』(AUGUSTA、2001年)で、ビョークやジミヘンなどのカヴァーを幾つも歌っている。その中に、あがた森魚「冬のサナトリウム」も選ばれている。サナトリウムって!(まるで『魔の山』みたいだ。) 歌詞が本当に寂しくて、余裕がなさそうに歌う元ちとせの声が妙にマッチしている。

雪明り 誘蛾灯
誰が来るもんか 独人

オリジナルも聴きたくなって、先日、中古レコード店で、あがた森魚『乙女の儚夢』(1972年)を探し出した。20代前半の吹き込みの筈だ。

心底弱そうで、ヘロヘロしていて、すぐにでもポキリと折れそうだ。しかも、アルバム全体を、アナクロニズムと少年趣味と少女趣味が覆っていて、(その後のイメージがあるせいか)ダンディにも聴こえて、タルホ趣味というか、何と言ったらいいのだろう。情緒不安定な10代の頃に聴きたかったな、などと思ったりして。

それから、あがた森魚のオリジナルは聴いたことがないが、元ちとせは「百合コレクション」もカヴァーしている。『ノマド・ソウル』(Epic、2003年)などで歌っていて、これも好きなのだが、テレビ番組『僕らの音楽』(フジ、2006/5/5)でこの2人が共演しているのを見て余計に気になってしまった。飄々として、弱弱しい癖に堂々としているあがた森魚と、あくまでウェットに歌おうとする元ちとせとの組み合わせは非常に良かった。

こういった吹き込みに比べると、ここ数年間の元ちとせの歌唱は、声がよれていて、「コブシのためのコブシ」のようにも感じたりする。不満に思っているのは自分だけではないに違いない。

『SWITCH』(2003/7、特集・池澤夏樹・元ちとせ〔その琉球弧たる声〕)での対談を読むと、『Hajime Chitose』にも収録されている山崎まさよし「名前のない鳥」をはじめて歌ったとき、テンポがあまりにも速く、「コブシを回さなかったら追いつかなかった」とある。そのコブシと今のコブシとは違うような気がするのだ。


『ハイヌミカゼ』に触発された記事ばかり


ゴダイゴの「銀河鉄道999」

2009-01-14 00:55:15 | ポップス

正月、テレビで映画版『銀河鉄道999』(りんたろう、1979年)を放送していた。ちょっとしか観られなかったが、猛烈に懐かしさがこみ上げてきた。その理由のひとつは、ゴダイゴの歌う主題歌に違いないのだ。

この映画は、小学生のときに、山口県の小野田市(いまは山陽小野田市)にある映画館に観に行った記憶がある。セメント町というところにあった。たしか『スーパーマン』との2本立てだった。また、近くには硫酸町というところもあった。それというのも、小野田市には小野田セメント(いまの太平洋セメント)、日産化学工業があったからだ。映画館は坂をのぼったところにあったはずだ。いまはどうなっているのだろう。

そういったわけで、ゴダイゴのライヴアルバムを最近聴いている。全然詳しくないのだが、この2枚ともゴダイゴ・ホーンズが参加している。

『中国 后醍醐』(1980年)は、中国・天津でのライヴ録音。ライヴだからか、キーボードもヴォーカルもはしゃいでいる。それに、管楽器があると音が厚くなって気持ちがいいのだ。中国語の歌詞を交えた「Beautiful Name」の盛り上げようが楽しい。「Portopia」も懐かしい。言うまでもなく、神戸ポートアイランドで開かれた博覧会ポートピア'81のテーマソングであり、当時テレビCMで盛んに流れていた。瀬戸内海をフェリーで旅して連れて行ってもらった。

『インターミッション』(1985年)は、ゴダイゴのファイナルライヴ(もっとも、その後再結成したりする)。「Ghandhara」「Monkey Magic」、それから目当ての「The Galaxy Express 999」が入っている。ここでの「999」は、アニメでの版よりかなりテンポが速い。後半が英語で、2番の「そうさ君は気付いてしまった/安らぎよりも素晴らしいものに」とは歌詞の意味が異なっていることにはじめて気がついた。

いいなと思える曲はぜんぶタケカワユキヒデの作曲だ。中でも「999」は何度聴いても胸が一杯になり涙腺がゆるむ(笑)。とくにアニメと一緒だとたまらないのだった(→ これ)。それに、懐かしい懐かしいとおもいだし始めると、いろいろなものがぞろぞろ勝手に出てきて身動きがとれなくなる。


黄昏のビギン

2009-01-07 00:28:09 | ポップス

ちあきなおみが歌う「黄昏のビギン」を、最近はじめて聴いた。永六輔+中村八大という、「上を向いて歩こう」のコンビによる。

なんていい歌なんだろう!

情感でいえば、圧倒的にちあきなおみ。前川清も「ネオン」が似合う。チアキセラという歌手は知らなかったが悪くないね。夏川りみは嫌いでないのだが、これに関しては格落ち。

傘もささずに僕たちは・・・

ちあきなおみ
水原弘
石川さゆり
前川清
夏川りみ
チアキセラ


『週刊金曜日』の高田渡特集

2008-09-11 22:33:33 | ポップス

上海に戻る便が意味不明な理由で欠航になり、ぼろホテルに夕方まで軟禁され、結局その日のうちに成田に着くはずが上海に泊まる破目になった。日本を発つ前に『週刊金曜日』の高田渡特集を買いそびれていたので、仕方なく、帰りに浜松町の本屋に寄って調達した。ああよかった。

高田渡が亡くなったときに羽田空港に迎えに行った井上陽水、面と向かって批判ばかりされていたという小室等、それから佐高信の対談がおもしろい。吉祥寺「いせや」での高田渡の飲み方は、コップの日本酒を3分の1ほど「キューッて飲み」、5、10分飲まずに喋り、また3分の1。こんな具合で30分くらいでグラスが空く。中国での延々ちびちび飲みを反省させられるような格だ(笑)。

三上寛と高田渡は喧嘩ばかりして、翌朝はけろりと2人でお茶を飲んでいるという。しかし井上陽水によると、フォークの世界では、それを見て驚くようでは負けで、「読み込みが足りない」となるそうだ。下らなくてやたらと可笑しい。

高田渡がまとめたアルバム『獏』(B/C Records、1998年)は、山之口獏の詩に曲を付けたものだが、その娘・山口泉さんのインタビューでは、「第一印象」という曲に出てくる「娘」が実は自身のことではなく、山之口獏が好きになっていた女性のことだとある。「娘」の女性らしくない点をあげつらっておいて、「構うもんか」と愛情でくるむ詩である。あまりにも奇妙なので忘れられない詩だが、「娘」でないとするとまた印象が異なり、想像がひろがっていく。

魚のような眼である
肩は少し張っている
言葉づかいは半分男に似ている
歩き方が男のようだと自分でも言い出した
ところが娘よ
男であろうが構うもんか

(以下、略)

『獏』は、高田渡のほかに、渋谷毅、関島岳郎、中尾勘ニ、佐渡山豊、大島保克、嘉手苅林次、ふちがみとふなと、大工哲弘、内田勘太郎などが参加している超豪華アルバムで、何度聴いても気持ちよくしみじみとする。関島岳郎のチューバが入るサウンドもおもしろくて、「アケタの店」での高田渡と渋谷毅のデュオ・ライヴのとき、高田渡が観客席に「関島くーん」と呼び、それに対して「高田さんの楽譜はいつも持っていますから」とすぐに参加したことがあったのを思い出すのだった。

『獏』には、「告別式」が高田渡・石垣勝治版と、嘉手苅林次版の2つおさめられている。どちらかというと嘉手苅林次のじじむさい唄い方が好みだ。ついでなので、ツマのCD棚から『武蔵野タンポポ団の伝説』(Bellwood、1972年)を取り出し、若い頃の高田渡の唄も聴いてみた。山本コータローが最初にMCを喋り、ギロ(洗濯板の代用)で参加している。こういったにぎにぎしい演奏も嬉しい。

●参考
高田渡『バーボン・ストリート・ブルース』
「生活の柄」を国歌にしよう
山之口獏の石碑