Sightsong

自縄自縛日記

ウィリアム・サローヤン『僕の名はアラム』

2016-04-27 22:21:04 | 北米

ウィリアム・サローヤン『僕の名はアラム』(新潮文庫、原著1940年)を読む。

ここには、極めてヘンな大人たちばかりが登場する。妙に堂々として、妙に自信満々に我が道をゆき、それ以外の自分になることなどできるわけがない人たち。現代の日本であれば、確実に共同体から排除されているであろう人たち。

ところが、サローヤンは、主人公の子どもアラムの目を通して、かれらを実に温かく描いている。共同体から排除されるどころか、共同体を、ヘンな人の集合体としてとらえているとしか思えないのである。アラムの言動も相当におかしい。面白くて腹筋が痙攣してくる。

これを読んでいると、誰もが、ああ自分にも恥ずかしくて消してしまいたい記憶がある、などと思い出してしまうに違いない。いや、穴があったら入りたい(何が)。

サローヤンも、ここに登場する人物たちも、アルメニアからアメリカに流れ着いてきた移民の血をひいている。1915年には、オスマン帝国政府によるアルメニア人大虐殺という事件が起きているわけだが、それを直接体験していなくても、それぞれが抱えているものはいろいろな形で影を落としていたり、人格形成になんらかの影響を及ぼしたりしていたのかもしれない。この小説も、「アメリカ」も、そのことを抜きには語れない。

●参照
ホイットニー美術館の「America is Hard to See」展(アルメニア人大虐殺(1915年)によって母親を失ったアーシル・ゴーキー)
カーソン・マッカラーズ『結婚式のメンバー』(村上柴田翻訳堂)


カーソン・マッカラーズ『結婚式のメンバー』

2016-04-04 22:47:26 | 北米

カーソン・マッカラーズ『結婚式のメンバー』(新潮文庫、原著1946年)を読む。

アメリカ南部の田舎町。12歳の少女フランキーは、短髪で肘は汚れてがりがり、背が不安になるくらいの勢いで伸びていて、ガサツ。子どもの癖に(子どもだからというべきか)、自分の存在意義を見出すためにエキセントリックな言動を繰り返している。そして、自分の街を出ていくのだという妄想に憑りつかれ、現実性がまったくないにも関わらず、自分の想いに執着する。

フランキーは、もはや自分の土地からは解き放たれたのだと思い望み、街をうろつく。そうすると、まったく無縁であった大人たちと、突然、精神の「関係」が生まれることになる。過ぎ去る時間と、それに対する無力感のようなものがもたらす人間の変化が描かれる。

このあたりの転換は見事であり、(わたしは女子であった経験を持たないが)共感し、わかる、わかると言いたくなってしまう。


ジョアン・チェン『オータム・イン・ニューヨーク』

2016-03-20 00:15:00 | 北米

amazonプライムで、ジョアン・チェン『オータム・イン・ニューヨーク』(2000年)を観る。

いや馬鹿馬鹿しい。金持ちのプレイボーイとか美少女の不治の病とか、ベタベタのネタを並べてみた感じ。濡れ場の処理はお決まりの「小鳥が飛ぶ朝」とか「すりガラス」。このダメ極まりない演出に、どうしようもないイモ俳優のリチャード・ギア。目当てはウィノナ・ライダーだったのだが、キャラ作り過多の演出で痛々しい。

ところで、リチャード・ギアの生き別れた娘が働く場所が「ネイティブ・アメリカン博物館」だが、見たところ、マンハッタン最南端にある国立アメリカ・インディアン博物館である。この名称については「ポリティカリー・コレクト」ではないとの議論があったというが、その意識があったのかどうか。


リドリー・スコット『オデッセイ』

2016-01-25 06:08:14 | 北米

ハノイに向かう飛行機の中で、リドリー・スコット『オデッセイ』(2015年)を観る。

NASAによる火星探査。激しい砂嵐が起きて、仲間から死んだと思われた植物学者(マット・デイモン)が取り残される。かれは生き延びるため、畑を作り、水素を燃焼させて水を作り、芋を育てる。また、廃棄した放射性同位体の崩壊熱をヒーターとして利用し、エネルギーを節減する。やがてかれの生存がNASAに気付かれることとなり、全世界が注目する救出ミッションがはじまる。

凄絶なサバイバル劇かと思いきや、ユーモラスに、話がとんとん拍子に進んでいく。あまりにも出来すぎていてムリがあるし、そもそも、「プロジェクトX」的に組織が一致団結して解決に向かっていくのを見せられるときの同調圧力は好きではない。面白かったけど。

そういえば、クリストファー・ノーラン『インターステラー』と同様に、主役が使っている腕時計がハミルトンだった。

●参照
リドリー・スコット『プロメテウス』(2012年)
リドリー・スコット『ロビン・フッド』 いい子のリチャードと悪がきジョン(2010年)


コーエン兄弟『バートン・フィンク』

2016-01-17 21:57:25 | 北米

コーエン兄弟『バートン・フィンク』(1991年)を観る。学生時代に、映画通が格好つけて褒めていたので、つい観そびれてしまっていた。

NYで絶賛された劇作家が映画会社に雇われ、B級のレスリング映画の脚本を書かざるを得なくなる物語。

いや~、巧い。いまとなってはコーエン兄弟の個性だということがわかるが、この不条理を淡々と描いていく作風は、最初からのものだったのだな。スタンリー・キューブリック『シャイニング』や、ブライアン・デ・パルマ『キャリー』を思わせるところもあったりして。

●参照
コーエン兄弟『トゥルー・グリット』、『バーン・アフター・リーディング』(2010年、2008年)
コーエン兄弟『バーバー』(2001年)


タナハシ・コーツ『Between The World And Me』

2015-12-04 00:34:19 | 北米

ブルックリンの「Unnameable Books」という洒落た名前の小さな本屋で、タナハシ・コーツ(Ta-Nehisi Coates)の『Between The World And Me』(Spiegel & Grau、2015年)が気になって買っておいた。ジャカルタへの往復の機内で読了した。

まったく予備知識がなかったのだが、今ではアメリカで大評判になっている。どうやらトニ・モリスンの推薦文が効いたものらしい。

本書は、著者のコーツが十代の息子に語る形をとったエッセイである。黒人が黒人であるというだけで、歴史的に、いかに不当な差別の対象となり、人生の幅を狭められ、警官による暴力を受けてきたか。その歴史が、いかに、マジョリティにより都合のいいように語られてきたか。コーツは、その歴史を幼少時から己のものとして身体で覚えてきたために、マルコムXに惹かれ、また語ることを職業として選んできた。

歴史だけではない。コーツが幼い息子と『ハウルの動く城』を観た帰りに、白人の老婦人が、息子を人間としてではなくまるで障害物であるかのようにどけたという逸話が語られている。そのことに反発をみせたところ、相手=マジョリティは、自分たちはレイシストではないという武装をしながらも、生殺与奪の力は自分たちが持っているのだということを明らかに示したのだという。

語るべき者が語らなければならないということである。

●参照
リロイ・ジョーンズ(アミリ・バラカ)『ブルース・ピープル』
リロイ・ジョーンズ(アミリ・バラカ)『根拠地』 その現代性


ガイ・リッチー『コードネームU.N.C.L.E』、スティーヴン・スピルバーグ『ブリッジ・オブ・スパイ』

2015-12-03 23:56:31 | 北米

手持ちの本を読んでしまい、シンガポールからの帰国便で、東西冷戦時代のスパイ映画を2本。

■ ガイ・リッチー『コードネームU.N.C.L.E』(2015年)

『ナポレオン・ソロ』のリメイク。とはいっても、わたしはオリジナルをまったく観ていないのでノスタルジイも何もない。

アメリカとソ連の腕利きスパイが、原爆を大量生産する技術を開発しようとするナチスの残党を潰す物語である。アクションあり、お色気あり、ユーモアあり、奇怪な人物あり。やたらとバカバカしいが、エンターテインメントはこれでいいのだ。スウェーデン出身のアリシア・ヴィキャンデルが魅力的。

■ スティーヴン・スピルバーグ『ブリッジ・オブ・スパイ』(2015年)

アメリカで捕らえられたソ連のスパイ。大きな憎しみがかれに向けられる。その弁護をする羽目になった弁護士は、かれを敵として扱うのではなく、人権を担保されるべき者として扱うべきだという主張を押し出す。一方、ソ連でもスパイ活動中のアメリカのパイロットが拿捕され、東ドイツでもアメリカの学生が捕らえられる。ソ連、東ドイツ、アメリカという3カ国の思惑が交錯する中で、弁護士は1対2の交換に向けて奮闘する。

登場人物それぞれに明快なキャラクターを持たせ、巧いドラマ作りをしているという印象しか抱くことができない。その挙句に、アメリカの良心を礼賛する構造である。スピルバーグはこんなに二流の人だったっけ。


ジョイス・キャロル・オーツ『アグリーガール』

2015-11-19 01:24:59 | 北米

ジョイス・キャロル・オーツ『アグリーガール』(理論社、原著2002年)を読む。

ついふざけ過ぎてしまい学校を爆破するぞと口走ったばかりに、警察に取り調べられる男の子。背が高く直情的なために、自分も周りも女の子扱いしない女の子。世間の風当たりに弱く、あまりにも保守的な大人や先生たち。ユダヤ人を敵視するカルト宗教の教祖。甘やかされて育った、見てくれが良いだけのボンボンたち。

ジュブナイルではあるが、汗とニキビが噴き出る場所を求めて渦巻いているような若者の心を、オーツはとても巧く描く。自信がないために暴走し、何もよくわからなかった日々は、誰にでもあったものに違いない。

これが大人向けの小説であれば、オーツの筆は、いやそれはないだろうというグロテスクな閾にまで突き進むに違いない。それはそれで、読後にとても後味が悪く、後悔したり満足したりするのだが。

●参照
ジョイス・キャロル・オーツ『Daddy Love』(2013年)
ジョイス・キャロル・オーツ『Evil Eye』(2013年)
林壮一『マイノリティーの拳』、ジョイス・キャロル・オーツ『オン・ボクシング』(1987年)
ジョイス・キャロル・オーツ『Solstice』(1985年)
ジョイス・キャロル・オーツ『エデン郡物語』(1966-72年)


スティーヴ・エリクソン『きみを夢みて』

2015-10-21 08:34:20 | 北米

スティーヴ・エリクソン『きみを夢みて』(ちくま文庫、原著2012年)を読む。

わたしにとって久しぶりに接するエリクソン作品だが、なぜ『Xのアーチ』以降放っておいたのだろうと後悔させられてしまうほどのインパクトを持つものだった。読み進めるのが怖い気持ちのなかで何日間も夢中になり、バンコクのホテルでようやく読み終えた。

これまでも、エリクソンは、ジェファーソンやブッシュ(父)などを通じて、<アメリカ>の遺伝子と血塗られた歴史を描いてきた。本作で登場するのは、兄の死後大統領にならずして暗殺されたロバート・ケネディと、バラク・オバマだ。<白>と<黒>との間に絶えず介在してきた呪いの交接点に浮上した人物として。ロバートは、キング牧師と同じ1968年に殺された。

白人のザンとヴィヴは、エチオピア生まれの女の赤ん坊シバを養子として迎え入れる。人類のはじまりの地の血を持つ娘は、話さないときにさえも、身体から音楽を発する者であった。彼女は、常にまた棄てられるのではないかという怯えを抱え、自分を受容する者を過激に求めていた。息子パーカーは、チャーリー・パーカーにより命名され、またザンの恩師はビリー・ホリデイの愛人でもあった。ここでは、政治と生きることと音楽とが分かち難く描かれ、また、それらを分つことの愚かしさまでも明白に示される。

ヴィヴはシバのルーツを求めてひとりエチオピアに向かい、失踪する。シバに寄り添う家政婦モリーの母ジャスミンは、やはりエチオピアで生を受け、ロバート・ケネディの最後に深く交錯する。作家ザンが作品として妄想する「X」はナチス的な者に襲われ、モリーがジャスミンから受け継いだイコンとしての絵を引き継ぐ。すなわちそれは妄想する将来でもあり、過去でもあった。

時間と場所と意識を飛び越え結わえるアーチが、何本も何本も、複雑に生起する。20世紀の初頭に、21世紀に、戦前に。アメリカに、ロンドンに、ベルリンに、パリに、エチオピアに。大統領選挙の記憶に、<9・11>の記憶に、<3・11>の記憶に。アーチの交錯から浮かび上がってくるものは、常に他者から想像されるヴィジョンとしての<アメリカ>、その名前を盗まれ血と愚かさとで汚された<アメリカ>、そして、それでもエリクソンが信じようとする<アメリカ>なのだった。


ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』

2015-10-08 23:35:00 | 北米

ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(新潮文庫、原著1955年)を読む。

読了まで妙に時間がかかってしまったのは、もちろん長いからでもあるが、ディテールによって楽しませる作品だからであり、また満員電車で読みにくいからでもある(カバーをしていても、各頁の上に「ロリータ」と記されていると、ちょっとアレでしょう)。

それにしても予想を超えて奇怪で面白い。スタンリー・キューブリックが映画化した同名の作品は、ピーター・セラーズの偏執狂のような見事な演技もあって傑作だと思っているのだが、この小説はさらに偏執狂的である。十代前半の少女に対する欲望に憑りつかれた中年男の語りという形を取っており、そのヤバさが底無しの感覚なのだ。

嗜好は人それぞれであるとしても(一応言っておくと、わたしにはそうした趣味はない)、我執の大伽藍から逃れることができないという恐怖は、誰にとっても無縁ではないに違いない。それが迫りくるために恐怖を覚え、痙攣するような笑いを発してしまうわけである(たぶん)。


2015年9月、ニューヨーク(6) ウエスト・ヴィレッジ

2015-10-04 15:50:00 | 北米

豚さん、犬さん。

すべて、Leica M4、Summicron 50mmF2、Fuji 400H

●参照
2015年9月、ニューヨーク(1) メトロ
2015年9月、ニューヨーク(2) ハーレム
2015年9月、ニューヨーク(3) チャイナタウン
2015年9月、ニューヨーク(4) アッパー・イースト・サイド
2015年9月、ニューヨーク(5) イースト・ヴィレッジ
2015年4月、ニューヨーク
2014年6月、ニューヨーク(1) ミッドタウン
2014年6月、ニューヨーク(2) メトロ
2014年6月、ニューヨーク(3) イースト・ヴィレッジ
2014年6月、ニューヨーク(4) ハーレム
2014年6月、ニューヨーク(5) ブルックリン
2014年6月、ニューヨーク(6) 世界貿易センター
2014年6月、ニューヨーク(7) 自由の女神とエリス島
2014年7月、ニューヨーク(8) チェルシー


2015年9月、ニューヨーク(5) イースト・ヴィレッジ

2015-10-04 15:40:33 | 北米

妙に居心地がいい気がするのはなぜだろう。しかし、いまだ「Katz Delicatessen」の名物パストラミサンドを食べていない。

すべて、Leica M4、Summicron 50mmF2、Fuji 400H

●参照
2015年9月、ニューヨーク(1) メトロ
2015年9月、ニューヨーク(2) ハーレム
2015年9月、ニューヨーク(3) チャイナタウン
2015年9月、ニューヨーク(4) アッパー・イースト・サイド
2015年4月、ニューヨーク
2014年6月、ニューヨーク(1) ミッドタウン
2014年6月、ニューヨーク(2) メトロ
2014年6月、ニューヨーク(3) イースト・ヴィレッジ
2014年6月、ニューヨーク(4) ハーレム
2014年6月、ニューヨーク(5) ブルックリン
2014年6月、ニューヨーク(6) 世界貿易センター
2014年6月、ニューヨーク(7) 自由の女神とエリス島
2014年7月、ニューヨーク(8) チェルシー


2015年9月、ニューヨーク(4) アッパー・イースト・サイド

2015-10-04 15:19:31 | 北米

セントラルパークの東側であっても、北の方はハーレムの一部になるのかな。誰もそうは呼んでいないように思ったが。

すべて、Leica M4、Summicron 50mmF2、Fuji 400H

●参照
2015年9月、ニューヨーク(1) メトロ
2015年9月、ニューヨーク(2) ハーレム
2015年9月、ニューヨーク(3) チャイナタウン
2015年4月、ニューヨーク
2014年6月、ニューヨーク(1) ミッドタウン
2014年6月、ニューヨーク(2) メトロ
2014年6月、ニューヨーク(3) イースト・ヴィレッジ
2014年6月、ニューヨーク(4) ハーレム
2014年6月、ニューヨーク(5) ブルックリン
2014年6月、ニューヨーク(6) 世界貿易センター
2014年6月、ニューヨーク(7) 自由の女神とエリス島
2014年7月、ニューヨーク(8) チェルシー


2015年9月、ニューヨーク(3) チャイナタウン

2015-10-04 14:55:35 | 北米

どこに自分がいるのか、わからなくなる。それはバンコクでも、東京でも、チャイナタウンであれば。

すべて、Leica M4、Summicron 50mmF2、Fuji 400H

●参照
2015年9月、ニューヨーク(1) メトロ
2015年9月、ニューヨーク(2) ハーレム
2015年4月、ニューヨーク
2014年6月、ニューヨーク(1) ミッドタウン
2014年6月、ニューヨーク(2) メトロ
2014年6月、ニューヨーク(3) イースト・ヴィレッジ
2014年6月、ニューヨーク(4) ハーレム
2014年6月、ニューヨーク(5) ブルックリン
2014年6月、ニューヨーク(6) 世界貿易センター
2014年6月、ニューヨーク(7) 自由の女神とエリス島
2014年7月、ニューヨーク(8) チェルシー
海野弘『千のチャイナタウン』
ジョン・カーペンター『ゴーストハンターズ』
本郷義明『徐葆光が見た琉球』


2015年9月、ニューヨーク(2) ハーレム

2015-10-04 14:28:26 | 北米

ハーレムはこの時代でも雰囲気を異にするところだ。露店ではお香や「educational」なDVD(1枚1ドル)を売っている。試しにハーレムの歴史についてのDVDを買ってみると、おっ何だ、ジャズミュージシャン物なら次の次の土曜日に入荷するぞと教えてくれた。

そういえば、旅の宿で話をした日本の男が、アポロ劇場のアマチュア日に出るんだとギターを持って出て行った。あとでどうだったかと訊くと、9時間も待って無事ステージに立てたと言っていた。

それにしても、60年代に『ハーレムの熱い日々』を撮って書いた吉田ルイ子さんは、どのような人だったのだろう。

すべて、Leica M4、Summicron 50mmF2、Fuji 400H

●参照
2015年9月、ニューヨーク(1) メトロ
2015年4月、ニューヨーク
2014年6月、ニューヨーク(1) ミッドタウン
2014年6月、ニューヨーク(2) メトロ
2014年6月、ニューヨーク(3) イースト・ヴィレッジ
2014年6月、ニューヨーク(4) ハーレム
2014年6月、ニューヨーク(5) ブルックリン
2014年6月、ニューヨーク(6) 世界貿易センター
2014年6月、ニューヨーク(7) 自由の女神とエリス島
2014年7月、ニューヨーク(8) チェルシー
ハーレム・スタジオ美術館再訪(2015年9月)
ハーレム・スタジオ美術館(2014年6月)
ジーン・バック『A Great Day in Harlem』
MOMA PS1の「ゼロ・トレランス」、ワエル・シャウキー、またしてもビョーク(ロレイン・オグラディ)
ナショナル・アカデミー美術館の「\'self\」展(ハーレムで活動するトイン・オドゥトラ)