テレサ・テン(鄧麗君)の歌は、「時の流れに身をまかせ」が好きだった。しかしそれくらいで、あまり聴かないでいた。
1995年に亡くなったと新聞で読んだときには、突然のことで驚いた。台湾のスパイ説などいろいろなゴシップがあった。
その後、たまたま観た『ラブソング』という香港の映画で、主人公たちの人生に重ね合わせるようにテレサ・テンの歌と死が語られていて、ちゃんとテレサの歌を聴きたいと思った。中野の中古CD屋に置いてあった『淡淡幽情』というアルバムを買って聴いたら、声があまりにも素晴らしくて心に残るものだった。
それで、出たばかりの有田芳生『私の家は山の向こう テレサ・テン十年目の真実』(文春文庫)を読んだ。
テレサが台湾、香港、日本でファンをどんどん増やしていく一方、自らのルーツである中国でのコンサート開催を夢見ながらも、心の解放を求めた気持ちや行動は、1989年の天安門事件に押しつぶされてしまう。天安門広場に何台もの戦車が現れたとき、私は大学に入ったばかりで、事態がよく呑み込めずテレビで見ていた。その後の東欧革命やロシアのクーデターなど、まさに時代のうねりがあった、そのことを思いながら読み進めていったら、こみ上げてくるものがあってどうしようもなかった。
有田氏の取材は、天安門事件以後、テレサがパリやタイで過ごした頃についてはあまり捕捉できていない。情報源が少ないことがその一因だろう。しかしそれだけに、テレサが心に傷を負って暮らす時間がどうしようもなく過ぎていく様が、悲劇的に心に刺さってくる。
テレサは、結局、中国大陸で歌うことはなかった。有田氏は、2008年の北京五輪で、テレサが歌う姿を想像している。観客もテレサも興奮している。『淡淡幽情』の曲を中心にして、最後に「時の流れに身をまかせ」を歌う。
CD『淡淡幽情』の解説でも、中国音楽プロデューサーの中山真理氏が、多くの中国国民たちが期待に胸を膨らませてテレサ訪中を迎えるシーンを想像している。多くの人が、そのように国を超えて偶像として考えてしまうテレサの存在感は何なのだろう。
中村とうよう氏は、テレサの歌を「聞き手を慰撫する仏の境地だった」と振り返っている(『ポピュラー音楽の世紀』岩波新書)。もっとテレサの歌を聴きたいと思う。