大阪からの帰途、藤田富士男・大和田茂『評伝 平澤計七 亀戸事件で犠牲となった労働演劇・生協・労金の先駆者』(恒文社、1996年)を読む。
平澤計七。新潟県に生まれ、やがて労働運動に身を投じ、江東区・大島で、オーガナイザーとして目覚ましい活動を行う。同時に、彼は警察に睨まれることになる。
1923年9月1日、関東大震災。意図的なデマにより、多くの朝鮮人、中国人、沖縄人らが捕えられ殺される中、社会主義者も、騒乱を扇動するかもしれぬとの理由によって、暴力の対象となった。9月3日、平澤らは亀戸署に連行され、深夜、刺殺される(亀戸事件)。大杉栄・伊藤野枝夫妻と甥の橘宗一が甘粕正彦らに殺される事件は、9月16日に起きている。
90年が経った今でも、この事件が極めて現代的な意味を持つことは、少しでも敏感な者であればわかることだろう。
関西の賀川豊彦と同時期に、生協というシステムを構築したという点もあらためて記憶されるべきことであろう。
●参照
○隅谷三喜男『賀川豊彦』
○山田典吾『死線を越えて 賀川豊彦物語』
○山之口貘のドキュメンタリー(関東大震災時の虐殺の記憶)
○道岸勝一『ある日』(関東大震災朝鮮人虐殺の慰霊の写真)
○『弁護士 布施辰治』(関東大震災朝鮮人虐殺に弁護士として抵抗)
○野村進『コリアン世界の旅』(阪神大震災のときに関東大震災朝鮮人虐殺の恐怖が蘇った)