横浜の鶴見区潮田~仲通には関東最大の沖縄コミュニティがある。編集者の水木さん、沖縄オルタナティブメディアの西脇さんと街をうろうろ。
鶴見の埋立が始まったのが1913年。京浜工業地帯の労働力として沖縄出身者が集まってきた。一方で日本政府の琉球処分(1879年、琉球王国を沖縄県として自国に編入)のあと、税を払えずに土地を手放す人が増え、1899年より移民がスタートした。ブラジル移民は1908年からのことである。だから、沖縄から鶴見、沖縄から南米への移動はこの百年ほどの話。(*1、2)
日本はバブル期の1990年に入管法を改正し、日系3世までを受け入れることにした。労働力が欲しいが外国人を入れたくないとの政府の考えによるものだった。これを機に在日ブラジル人が増えた。(*3)
そういったことの結果として、鶴見の沖縄コミュニティにはブラジルやボリビアなど南米のひとたちも増え、街には両方のお店がある。
とはいえ外向けに宣伝する類のものではないから、それらしき場所は県人会のビルにある「おきなわ物産センター」のみ。入ってみると土産物もあるが知らない食品も多い。帰ってから食べようと思い、ソーキと宮古そばを買った。
もうひとつの目当てはブラジルのフェジョアーダを作るための黒いんげん豆。「ユリショップ」に入るとみんなポルトガル語で話している(たぶん)。一袋の量が多く、フェジョアーダ作りの腕もあがることだろう。
そしてお腹も空き、「ヤージ小」に入った。もちろん小はグワーと読む。沖縄ならではの味噌汁定食もあり(こちらの味噌汁とはちがい単品で立派なおかずになる)、悩んだが、ここはそば屋。中味そばを頼んだ。すごくたくさんの豚もつがのっており、強めの鰹出汁。とても美味しい。
1923年の関東大震災直後にはデマをうのみにした一般市民たちが多くの朝鮮・中国人たちを殺すという事件が多発したが、鶴見では警察署長を務めていた大川常吉というひとがかれらを守った。東漸寺にはそれを記念した碑があった。
(*1)「藤井誠二×磯部涼 沖縄、南米、鶴見定食」(『散歩の達人』2019年2月号)
(*2)上野英信『眉屋私記』(1984年)
(*3)植民地文化学会・フォーラム『「在日」とは何か』(2013年)