小田実『中流の復興』(NHK出版・生活人新書、2007年)を読んだ。
先日亡くなった小田実氏による、最後のメッセージである。そして読む者には勇気と元気が湧いてくる本だ。
小田氏のいう中流とは、サラダのように異なる素材が共生する、格差の少ない前提での多くの市民、まるで東南アジアの屋台のように多数いるのに共存し不公正なことをすればわが身にふりかかってくるような、そんなイメージのようだ。そして、それぞれの市民が「小さい人間」として主張する―――。
ある意味、かつてのヒッピー・ムーブメントのように理想的なのだろう。しかし、掲げるだけの価値がある理想に思えてくる。
そのために、小田氏は、直接民主制的な手段が必要だと説いている。逆に、日本では民主主義=多数決、という単純に過ぎる思い込みが私たちの間にも蔓延しているのだ。その極端な姿が、「改革」「約束」だと称して強行採決を繰り返す現在の議会の姿だろう。政党の議席数だけで決まるなら、議会での議論というプロセスは必要ないということになるのではないか。そうではなく、私たちが持つべき民主主義の姿は、多数決原理を基礎として作った法律や施策に対して、市民が反対して集会を開くことも、抗議のデモを行うことも、ストライキをすることも、すべて手段として認めつつ機能する、ということだと小田氏は考えている。
こうしてみると、万年与党も二大政党が良いと説く野党も同じ穴の狢、政党選挙というあり方自体を社会構築の基礎に置くこと自体も重みがなくなってくる。「私が考える」、「私が主張する」、そして「私がする」ということ、そのための枠組みが重要だということになる。もっとも、こんなことは当たり前のことで、改めて言われなければならないほど私たちの主体性が磨耗しているのだろうか。
そして小田氏の視点は、平和憲法の価値、米国追随ではない道の模索、テロ対策も含めて戦争を正当化する理由はないこと、など多様かつ簡潔だ。それは、やはり、「したり顔」で国際政治や国家予算を語りがちな私たちの愚を排し、軍隊も戦争もなくすといった理想から思考を出発しているからだと思う。特に、非同盟や、ラテンアメリカ諸国の模索している道について注目していることに共感した。メディアでは、反米強硬政権などというように偏った報道がなされることが多いと思うが・・・。
地に足のついた、思考し行動していた偉大な「小さな人間」のメッセージとして、一読を薦めたい。
小田実氏によると、考え抜くと痩せるとのことです。ということは私は、ということは置いといても、思考の上での血の通った文章だからこそ古びないのでしょうか。小田氏の提起した問題はすぐには解決されないということも・・・。