福島第一原子力発電所の宣伝映画『目でみる福島第一原子力発電所』(企画:東京電力、1991年)が、科学映像館により配信されている。やはり同じ目的で製作された『黎明』(1967年)、『福島の原子力』(1985年)に続くものである(>> リンク)。
まずは伸びるエネルギー需要への対応が必要なことを述べたあとに、福島県浜通りが地盤も気候条件も最適であることが紹介される。そして、GE社とのターン・キー契約(運転開始までメーカーが責任を負う)により、30mの断崖を掘り下げて設備を建設したのだと続ける。
たしかに、これだけを見ていたのでは、違和感を覚えないだろう。しかしながら、「3・11」の事故のあと、まさにこのターン・キー契約のために個別のコスト削減の交渉が難しいことが、「折角の高い地盤を掘り下げる」という方法になったことがわかっている(NHK・ETV特集『シリーズ原発事故への道程 前編 置き去りにされた慎重論』、2011/9/18)(>> リンク)。すなわち、冷却水を30mまで持ち上げることはコストアップになり、パッケージのターン・キーでは改善が難しいという事情であった。その観点から、GE社との打ち合わせや、掘り下げる土木工事や、キーそのものの映像を観ることには辛いものがある。
そして、原子力発電の仕組みと安全性について、繰り返し説明がなされる。
立地・建設のプロセスを問題とする視点もあったし、放射性廃棄物の処理の問題も取り上げられていた。しかし、技術的な安全性については、多くの人が信じていたのである。もっとも、その一方では、石橋克彦『原発震災―破滅を避けるために』(『科学』誌、1997/10)(>> リンク)のように、事故を予見したかのような適確な問題提起もあった。
ここでは、設備は故障し、人間はミスをするものだという観点から、何かの異常が起きた際には、「止める」、「冷やす」、「閉じ込める」を徹底するのだと紹介している。実際のところ、「止める」ことも、「冷やす」ことも、「閉じ込める」こともできなかった。
もうすぐ事故から3年が経とうとしている。
>> 『目でみる福島第一原子力発電所』(科学映像館)
●参照(原子力)
○福島原発の宣伝映画『黎明』、『福島の原子力』
○『これでいいのか福島原発事故報道』
○山本義隆『福島の原発事故をめぐって』
○開沼博『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』
○高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』、脱原発テント
○前田哲男『フクシマと沖縄』
○鄭周河写真集『奪われた野にも春は来るか』、「こころの時代」
○『neoneo』の原発と小川紳介特集
○『"核のゴミ"はどこへ~検証・使用済み核燃料~』
○鎌田慧『六ヶ所村の記録』
○『核分裂過程』、六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ)
○『原発ゴミは「負の遺産」―最終処分場のゆくえ3』
○使用済み核燃料
○『活断層と原発、そして廃炉 アメリカ、ドイツ、日本の選択』
○大島堅一『原発のコスト』
○小野善康『エネルギー転換の経済効果』
○原科幸彦『環境アセスメントとは何か』
○『科学』と『現代思想』の原発特集
○石橋克彦『原発震災―破滅を避けるために』
○今井一『「原発」国民投票』
○『大江健三郎 大石又七 核をめぐる対話』、新藤兼人『第五福竜丸』
○有馬哲夫『原発・正力・CIA』
○黒木和雄『原子力戦争』
○東海第一原発の宣伝映画『原子力発電の夜明け』
○『伊方原発 問われる“安全神話”』
○長島と祝島
○長島と祝島(2) 練塀の島、祝島
○長島と祝島(3) 祝島の高台から原発予定地を視る
○長島と祝島(4) 長島の山道を歩く
○既視感のある暴力 山口県、上関町
○眼を向けると待ち構えている写真集 『中電さん、さようなら―山口県祝島 原発とたたかう島人の記録』
○1996年の祝島の神舞 『いつか 心ひとつに』
○纐纈あや『祝の島』