『宮沢賢治コレクション1 銀河鉄道の夜』(筑摩書房)を読む。
収録されている作品は、「ポラーノの広場」(1924年)、「銀河鉄道の夜」(1924-31年)とその草稿のひとつ、「風の又三郎」(1924-33年)、「セロ弾きのゴーシュ」(1931年)、「グスコーブドリの日記」(1932年)など。
もちろんそれらの代表作は読んだものばかりなのだけど、再読するたびに何かが心の中でひっかかって小さな光を放つ。
「銀河鉄道の夜」における私的なクライマックスは、車両からカムパネルラの姿が消えて、それが永遠の別れであることを直感的に悟ったジョバンニの行動場面である。
「『カムパネルラ、僕たち一緒に行こうねえ。』ジョバンニが斯う云いながらふりかえって見ましたらそのいままでカムパネルラの座っていた席にもうカムパネルラの姿は見えず、ジョバンニはまるで鉄砲玉のように立ちあがりました。そして誰にも聞こえないように窓の外へからだを乗り出して力いっぱいはげしく胸をうって叫びそれからもう咽喉いっぱい泣きだしました。もうそこらが一ぺんにまっくらになったように思いました。」
この文章のなかにいかに多くの霊感が詰め込まれているか。「鉄砲玉のように」立ち上がるのである。「力いっぱいはげしく胸をうって叫」ぶのである。「咽喉いっぱい」泣き出すのである。しかも、「誰にも聞こえないように」。
鎌田東二『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」精読』には、「銀河鉄道の夜」の初稿から最終稿(第四稿)までが収録されており、「もう咽喉いっぱい」の表現が第三稿において登場したことがわかる。本書に収録されている草稿も第三稿。ここで完成度がさらに高まったのである。
今回再読してみて、この作品が、罪の意識、また、それと裏腹の全員の幸福(「みんなの幸せ」)を希う気持に彩られていることが、また伝わってきた。
●参照
横田庄一郎『チェロと宮沢賢治』
ジョバンニは、「もう咽喉いっぱい泣き出しました」
6輌編成で彼岸と此岸とを行き来する銀河鉄道 畑山博『「銀河鉄道の夜」探検ブック』
小森陽一『ことばの力 平和の力』
吉本隆明のざっくり感
で、詩人でフランス文学者の天沢退二郎による『宮沢賢治の彼方へ』という本があります。深読みというか勝手な解釈というか、賛否両論五里霧中、色々言われてますが、けっこう好きな本なので紹介します。(ご存知かもしれませんが)ちくま文庫から出ているとか。