高畑勲『かぐや姫の物語』(2013年)を観る。
墨の線による淡い色彩のアニメが、男鹿和雄の背景美術と見事に融け合っていて、見事。仰天、驚愕。ハイテクかつアナログ、大変な地点にまで来ているのではないか。
これは倫理の物語であり、また、ケガレ論でもあるようにも思えた。かぐや姫は、ケガレとの境界を行き来し、その上で、ケガレの境界を引きなおし、そこに豊饒な生命をあらためて見出していくことになる。
●参照
○高畑勲『じゃりん子チエ』(1981年)
○男鹿和雄展、『第二楽章 沖縄から「ウミガメと少年」』