Sightsong

自縄自縛日記

『日本地図から消えた島 奄美 無血の復帰から60年』

2014-02-11 10:16:20 | 九州

NNNドキュメント'14」枠で放送された『日本地図から消えた島 奄美 無血の復帰から60年』(2014/1/19放送、鹿児島読売テレビ放送)を観る。ナレーターは元ちとせ。

日本の敗戦から1953年末まで、奄美群島は米国統治下にあった。

黒糖などには関税が課せられたため生活が苦しく、飢えをソテツ(入念にアク取りをしないと死に至る)やサツマイモでしのぐ日々。「B円」という独自通貨の利用を強制され、また、なかなか「本土」への渡航が認められなかったため、交易もままならない。したがって、人びとが取った手段は密航であった。

番組には、当時、「陳情密航団」を組織した人が登場する。鹿児島に渡った後に乗った鉄道の中で逮捕され、十日間の拘留ののち、米国大使館に陳情に赴いたという。そのとき面会した米国大使館員は、「最低3年間、長くても10年間」のうちには、奄美群島が日本に戻されるだろうとの発言をしている。奄美では、復帰を求めてのハンガーストライキもなされた。

そして、「無血」での日本への施政権返還。

「陳情密航団」の人は、学校で体験談を語るとき、「日本人の誇りを忘れないよう」と言う。また別の人は、日本に戻ってよかったと言う。

一方、米国に軍事的機能を提供するため、施政権の返還が遅れ、現在さらにその機能が強化されている沖縄と比較すると、あまりの違いに驚いてしまう。勿論、良し悪しの問題でも倫理の問題でもない。

●参照
島尾ミホ『海辺の生と死』
島尾ミホさんの「アンマー」
島尾ミホ・石牟礼道子『ヤポネシアの海辺から』
里国隆のドキュメンタリー『白い大道』
1985年の里国隆の映像

●NNNドキュメント
大島渚『忘れられた皇軍』(2014年、1963年)
『ルル、ラン どこに帰ろうか タンチョウ相次ぐ衝突死』(2013年)
『狂気の正体 連合赤軍兵士41年目の証言』(2013年)
『活断層と原発、そして廃炉 アメリカ、ドイツ、日本の選択』(2013年)
『沖縄からの手紙』(2012年)
『八ッ場 長すぎる翻弄』(2012年)
『鉄条網とアメとムチ』(2011年)、『基地の町に生きて』(2008年)
『風の民、練塀の町』(2010年)
『沖縄・43年目のクラス会』(2010年)
『シリーズ・戦争の記憶(1) 証言 集団自決 語り継ぐ沖縄戦』(2008年)
『音の記憶(2) ヤンバルの森と米軍基地』(2008年)
『ひめゆり戦史・いま問う、国家と教育』(1979年)、『空白の戦史・沖縄住民虐殺35年』(1980年)
『毒ガスは去ったが』(1971年)、『広場の戦争展・ある「在日沖縄人」の痛恨行脚』(1979年)
『沖縄の十八歳』(1966年)、『一幕一場・沖縄人類館』(1978年)、『戦世の六月・「沖縄の十八歳」は今』(1983年)


ブルース・リー『ドラゴンへの道』『死亡遊戯』『死亡の塔』

2014-02-08 20:22:42 | 香港

最近、ブルース・リーの出演作を何本か観た。小中学生の頃、カンフー・ブームがあり、適当にテレビで観たのかもしれないが、記憶がごちゃごちゃになってよく覚えていない。(そういえば、タイトル画面では、無理やりテレビ画面に収めるために縦長になっていたな・・・。)

■ ブルース・リー『ドラゴンへの道』(1972年)

ローマにやってきたリーは、マフィアから、中国料理屋を護る破目になってしまう。ブルース・リー自らの監督作だが、変にコミカルな作りが空滑りしている。

最後に円形闘技場においてチャック・ノリスと闘う場面が最大の見もの。やはり、モハメド・アリのように軽やかなステップを踏まないとリーは強さを発揮しない。

ネタという点では、途中で日本人格闘家と闘う場面が白眉である。日本人のくせに、リー(タンロンという役名)に対して、地の底から響いてくるような声で、「お~ま~え~ぐゎ~タァンロォンくゎぁ~」と絞り出すのだ。凄すぎて笑うより痙攣する。

■ ロバート・クローズ『死亡遊戯』(1978年)

リーが1973年に亡くなる前年に撮ったフィルムをクライマックスにもってきて、前半の展開を代役を使って撮った作品。代役は極力顔をみえないようにしており、ときどき挿入される生前のリーの顔との組み合わせがひたすら不自然。特に、リーの代役が鏡に向かっている場面で、顔の部分だけリー(本物)の写真を貼っているところには、引いてしまった。

そんなわけで、見所は、最後に塔を登っていっては敵をひとりひとり倒す場面であり、これだけで不自然さを許してしまう。

※ほんらい使われるはずだった場面を含めた『死亡的遊戯』というフィルムがある(加藤久和さんにご教示いただいた)。
リーの仲間2人の格闘シーンは物語の都合上カットされたようだが、それを除いても、勿体ないところばかりである。これを観ると、フィルムの後半でナレーションが囁く「He is the greatest.」ということばが実感できる。

死亡的遊戯①
死亡的遊戯②
死亡的遊戯③
死亡的遊戯④
死亡的遊戯⑤

■ ウー・シーユェン『死亡の塔』(1980年)

これもリーの死後に作られているため、やはり不自然極まりない。物語の途中でリーが死んでしまい、その弟だというタン・ロンが突然主役になる。(前半は、『燃えよドラゴン』の未発表フィルムをつなぎあわせたという。)

特にみるべき点もないか・・・。

●参照
ロバート・クローズ『燃えよドラゴン』(1973年)


「3人のボス」のバド・パウエル

2014-02-08 14:14:45 | アヴァンギャルド・ジャズ

ジャズを聴きはじめたころから、バド・パウエルの神がかったようなピアノが好きで、なかでも、1940年代後半から50年代初頭までの演奏に魅かれていた。1924年生まれだというから、20代の後半ころにあたる。スピードとただならぬ抒情性とがあい混ざって、他のピアニストが発することがない世界を創り出していた。

一方、デクスター・ゴードン『Our Man in Paris』(Blue Note、1963年)という有名な盤があり、バドも参加している。わたしは今に至るまで、残念ながら、デクスター・ゴードンのイモっぽいサックスがまったく気に入らないのだが、この盤のなかで1曲だけ、デックス抜きのピアノトリオによる「Like Someone in Love」がとても好きだった。過剰なブロック・コードの連発が悦びに満ちたような、不思議な演奏である。このときのベースはピエール・ミシェロ、ドラムスは古参ケニー・クラーク

バドは50年代に少し精神を病んでしまい、その影響で、雷鳴のような凄まじい演奏が出来なくなったと評価されている。また、1959年からは5年間ほどパリに移住し、そこで落ち着きを取り戻したのだと言われてもいて、バドをモデルとした主人公を、他ならぬデックスが演じた映画もある(ベルトラン・タヴェルニエ『ラウンド・ミッドナイト』、1986年)。(イモと言いつつも、このときのデックスのサックスには、やられてしまう。) なお、1962年にデンマークの街を徘徊するバド・パウエルをとらえたドキュメンタリー・フィルム『Stopforbud』(>> リンク)では、デックスがナレーションをつとめている。奇縁というべきか。

デックス抜きの演奏に聴くことができるのは、まさにその時期のバドである。どうやら、このピアノ・トリオは、3人ともボス格だという意味なのか、「The Three Bosses」と称していたようだ。ケニー・クラークやピエール・ミシェロの個性を特筆するような評価に出会ったことがないが、よほど相性がよかったということなのか。

『A Portrait of Thelonious』(CBS、1961年)や、『Blue Note Cafe Paris 1961』(ESP、1961年)も、このピアノ・トリオによる記録である。最近までほとんど放置していたのだが、改めて聴いてみると、癖になってしまうほどの魅力がある。

一方のタイトルの通り、セロニアス・モンクの曲が多い。しかし、当たり前のことだが、演奏がまとっているアウラは、バドのものに他ならない。

2枚両方で演奏している「Monk's Mood」や「There Will Be Never Another You」を聴き比べてみると、8か月先立つ演奏である『Blue Note ・・・』では粗削りで、『A Portrait ・・・』では、より余裕をもって装飾音を挿入したり、即興も拡張しているように聞こえる。また、録音は、『A Portrait ・・・』のほうが断然良い。

その程度の違いがあっても、バドは唯一者バドであり、掬っても掬いきれないほどの何かが提示され続けている。その何かが、執拗に繰り返されるブロック・コードの奇妙さによるものか、音を外す手癖か、はっきりとは言えないように思える。神がかりなどという常套句は、高速の運指だけにあてはめてしまっては勿体ない。

●参照
『Jazz in Denmark』 1960年代のバド・パウエル、NYC5、ダラー・ブランド
ヨーロッパ・ジャズの矜持『Play Your Own Thing』(バド・パウエルの映像も収録されている)


リチャード・ミドルトン作品集『屋根の上の魚』

2014-02-07 22:55:11 | ヨーロッパ

先日、用事のついでに西荻窪に立ち寄り、盛林堂書店という古本屋を覗いてみた。かなり好き者的な本屋で、ミステリーや幻想文学のたぐいが多く揃っている。さらに驚いたことに、なかなか陽の目を見ない作品を、自ら出版しているのだった。

リチャード・ミドルトン作品集『屋根の上の魚』(2013年、盛林堂ミステリアス文庫)もそのひとつ。くるみ製本の文庫本で、200部くらいしか刷っていない模様だ。これは気になったときに入手しないと、すぐに無くなってしまう。

ミドルトンははじめて読む作家である。1882年にロンドン近郊に生まれ、1911年にブリュッセルで服毒自殺。30年にもならない短い人生だ。

本書には、11の短編が収録されている。どれも奇妙な味があり、まるでソフトフォーカスで夢を視ているようだ。良い夢も、悪い夢もある。それらの夢が、例外なく、憂鬱や憂愁といったものに結びついている。

世界が憂鬱なのではなく、むしろ、世界に向き合わなければならない定めが憂鬱なのであり、屈託ない行動に背を向けて「書くこと」「夢みること」が、まるで呪われた人間の業であるかのような印象をもつ。読み終わってもぼんやりした夢のあと。


大島裕史『韓国野球の源流』

2014-02-06 08:00:00 | スポーツ

大島裕史『韓国野球の源流 玄界灘のフィールド・オブ・ドリームス』(新幹社、2006年)を読む。

韓国に野球が輸入されたのは1905年。日本が韓国の外交権を得た年であり、韓国における野球の進歩も、当然ながら、影響を受けないわけにはいかなかった。もとより、明治初期から野球が広まっていた日本との実力差は大きく、それはなかなか縮まることがなかった。

何故、韓国が日本との試合となると過剰に感じられるほどに「燃える」のか。本書を読むと、それが単純なナショナリズムのあらわれではないことがわかる。背景には、歪な権力下における、文字通り苦難の歴史がある。

日本の敗戦=一時的な解放までは、韓国のチームも参加した高校野球であっても、実力差が顕著であったり、メンバーも韓国に移住した日本人子息であったりした。戦後は、ナショナルチームも、プロ野球も、日本で野球の訓練をした者たちが韓国野球の発展に大きく寄与した。たとえば、本書では、白仁天金永祚らの生涯が取り上げられている。

やがて、韓国野球は内在的な力を持つようになり、新浦壽夫(金日融)が韓国に渡って活躍したときでさえ、もはや彼我の絶対的な力の差はなかったという。わたしが韓国野球の存在を意識したのは、新浦が日本に復帰し、大洋ホエールズに入って二桁勝利をあげたあたりからだ。張本勲(張勲)について、まったく民族や国籍を考えることがなかったのは、わたしが小さかったせいか、時代のせいか。(わたしにとっては「OH砲」。) それにしても懐かしいな。

本書が書かれたのは2006年まで。すでに凄まじい球を見せつけた宣銅烈は引退していた。そして、李承�奮がジャイアンツに移籍して4番を張ったばかりだった。懐の深いフォームが好きだった。いまやトップ選手の実力は個人差でしかない。

いちどは韓国のスタジアムで野球観戦してみたいものである。 

●参照
石原豊一『ベースボール労働移民』、『Number』のWBC特集
パット・アダチ『Asahi: A Legend in Baseball』、テッド・Y・フルモト『バンクーバー朝日軍』


三上寛『YAMAMOTO』

2014-02-04 23:07:07 | アヴァンギャルド・ジャズ

このところ、三上寛『YAMAMOTO』(Donburi Disk、2013年)をやたらと聴いている。

タイトルは、ジャケットのイラストを描いている漫画家の山本直樹から取られたものであり、それ以上の意味はない(たぶん)。別に、『あさってDANCE』や『レッド』の世界が展開されているわけでもない(たぶん)。

三上寛(vo, g)
道下慎介(g)
亀川千代(b)
高橋幾郎(ds)

それにしても、相変わらず、とんでもなくわけがわからない。囁いたり叫んだりする言葉はわかるが、それが何なのかわけがわからない。そして、三上寛はそのまま向こう側へと突破する。聴くほうは陶然としてしまい、欲と念が渦巻く無重力の時空間に連れ込まれる。

「ハナクソ君が僕にこう言った/寛さん、オオイヌノフグリを踏んでるよって/
僕はハナクソ君にこう言った/いや踏んでないよ踏んでないよって/
どっちが本当なんだろう/どっちが間違ってるんだろう/
わからない!わからない!わからない!」

(「ハ~LINES DRAWN TOWERS」)

沖縄の唄「十九の春」においては、男女の情を唄う途中に、突然、「コザ暴動!コザ暴動!コザ暴動!」と叫んだりもする。すべては同じところにあるのであり、すべてをかき乱す。

うねるベースとの相性がこんなに良いということも発見だった。林栄一のサックス(四人幇『オレ達の事情』)や、川下直広のサックス(『エアボーン』)との相性も抜群だと思っていたのだが。

●参照
『貘さんの詩がきこえる』(三上寛が山之口貘を唄う)
どん底とか三上寛とか、新宿三丁目とか二丁目とか
中央線ジャズ
三上寛+スズキコージ+18禁 『世界で一番美しい夜』
『田原総一朗の遺言2012』


本八幡のぷんぷく堂と昭和の万年筆

2014-02-03 23:53:32 | 関東

友人に教えてもらって気になっていた文房具店、本八幡の「ぷんぷく堂」。いざホームページを頼りに足を運んでみると、本当に住宅街のなかにあった。

やっぱり好事家がやっているお店は愉しい。なぜか持ち物の万年筆を見せあったりして。

そんなわけで、いろいろ置いてあって目移りがしたのだが、昭和の国産万年筆を1本購入した。プラチナ製、細字、18K。外の銀色と中のピンクとのコントラストが可愛い。早速、一軍のベンチ入り。何のインクを使おう。

ちょうどお店に着いたとき、テレビの収録中だった。買い物の間、スタッフのひとたちを外に待たせてしまうことになってしまった。

2月22日(土)千葉テレビ「熱血BO-SO-TV」に登場する模様。

●参照
沖縄の渡口万年筆店
佐藤紙店の釧路オリジナルインク「夜霧」
万年筆のペンクリニック
万年筆のペンクリニック(2)
万年筆のペンクリニック(3)
行定勲『クローズド・ノート』(万年筆映画)
鉄ペン


ロバート・アルトマン『ロング・グッドバイ』

2014-02-03 22:11:00 | 北米

ロバート・アルトマン『ロング・グッドバイ』(1973年)のDVDを入手して、早速、いそいそと観た。

もう20年くらい前に、渋谷のどこだかでリバイバル上映を観て以来である。ずいぶん気に入って、その後海外amazonでもVHSを探していたが、良いものが見つからなかった。それがいまや千円。隔世の感がある。

私立探偵フィリップ・マーロウを、エリオット・グールドが演じる。実は読んでいないのだが、レイモンド・チャンドラーによる原作小説には、マーロウが可愛がる猫のエピソードは出てこないようだ。

猫が、夜中の3時過ぎに空腹で騒ぎはじめる。マーロウは、仕方ないなと言わんばかりに、24時間営業のスーパーに「カレー印」のキャットフード缶を買いに行く。しかし売り切れていて、マーロウは他の缶を買って帰り、家で「カレー印」の空き缶に詰め替える。猫は、見向きもしない。

この愉快なエピソードもさることながら、もうひとつ、マーロウ=グールドが、「猫」的な存在として描かれていることも、映画を決定的に魅力的なものにしているのではないか。マーロウ=グールドの顔や挙動は、何にもしばられない。やわらかな曲線を描いて動くマーロウ=グールドは、「猫」そのものだ。

サウンドトラックのジャズは、ジョン・ウィリアムズが手掛けている。これがまた、冗談のように映画にハマっている。やはり、ジャズには犬でなく猫か。何でかな、ニャーニャー。


佐藤正典『海をよみがえらせる』

2014-02-02 20:46:55 | 環境・自然

佐藤正典『海をよみがえらせる 諫早湾の再生から考える』(岩波ブックレット、2014年)を読む。

有明海・諫早湾の奥に建設された堤防が完成した1997年から、もうすぐ14年が経つ。必要性や環境破壊の観点から異議が申し立てられようとも、日本型公共事業の典型として、止まることがなかった。

干拓地は農地化され、堤防と干拓地との間の調整池は、予想された通り、水質が悪化した。そのために、調整池の水は、農地には使われていない(調整池に注ぐ川の河口から取水されている)。調整池の外側でも水質が急激に悪化した。これも予想されたことである。

漁業者が裁判を起こし、佐賀地裁および福岡高裁は、漁業被害の原因との因果関係を認め、国に対し、堤防の5年間の開門を命じた(国は上告しなかったため判決確定)。その期限は2013年12月20日であったにも関わらず、2014年2月2日現在、いまだ国は開門調査を実施していない。

一方、干拓地の営農者は、国に対する開門差し止めの訴えを起こし、長崎地裁は、差し止めを命じる決定を下した(2013年11月)。長崎県も開門に反対の立場である。これに対し農水省は異議を申し立てた。もはや泥仕合そのものだ。

本書に書かれているように、漁業汚染が発生することが予想されていたにも関わらず事業が強行された結果、漁業者も営農者も被害者になってしまったのだろう。

営農者は、いまでも調整池から取水していないとは言え、開門されれば、河口部からの取水も不可能になるという。本書にも、営農者にとっての新たな被害対策をどうすべきかについては述べられていない。おそらく、答えとなるべき手段は国による補償か。

本書によれば、開門して海水を調整池に流入させ、水の行き来をつくりだせば、かなりの環境復元を見込むことができる。既に、三重県英虞湾において、遊休地となった干拓地を干潟に戻す再生が、良い結果を出しているという。カチカチの堤防がなくても、自然再生によりあらわれる干潟やヨシ原が「緩衝地帯」となり、防災対策にもなる。そのような形の再生事業をすすめていくべきだとする主張には、説得力がある。

●参照
『科学』の有明海特集
『有明海の干潟漁』(有明海の驚異的な漁法)
下村兼史『或日の干潟』(有明海や三番瀬の映像)


『けーし風』読者の集い(22) 軍用地の返還と地域の自立を考える

2014-02-02 20:08:27 | 沖縄

『けーし風』第81号(2013.12、新沖縄フォーラム刊行会議)の読者会に参加した(2014/2/1、あんさんぶる荻窪)。参加者は10人、プラス、飲み会に2人。

 

本号の特集は「軍用地の返還と地域の自立を考える」と題されている。

明らかに自治と自律的な経済・社会がなりたつことを疎外している基地に関して、いかにして返還を要求し、その際の汚染除去を求め、さらに返還後の利用を想定していくか。(いまでは基地への経済依存はかなり小さいものとなり、逆に、マイナス面ばかりが拡大再生産されている。)

以下のような視点、論点。

○沖縄の批評誌『N27』。かつての『EDGE』のように多彩な文化を取り入れた雑誌で読み応えがある。
沖縄タイムス『基地で働く』。昔から沖縄では米軍に関する実証的な検討結果が出されている。来間泰男『沖縄の米軍基地と軍用地料』もみるべき成果。それらに比べ、佐野眞一『沖縄 誰にも書かれたくなかった戦後史』における記述には疑問があるとのこと。
辺野古の新基地の建設費はおそろしいほど高い。維持費も普天間に比べ劇的に高くなる。アメリカ会計検査院(GAO)の公表によれば、洗機場(辺野古の環境アセスにおいて「後出しジャンケン」のように登場)では真水を使い、また使用後の水処理も必要であり、これがコストアップの一因であるという。また、駐留米軍のコストの7割を日本政府が負担しているという数字がある(「思いやり予算」だけではない)。こういったことが知られなければならない。NHKの特集番組でも、コストについては言及されない。
○伊波洋一さん(元宜野湾市長)が、宜野湾市大山の名産の田いも(ターンム)について話した記事。換金性が高い作物ゆえ地域経済にとっての意義が大きい。かつては、伊佐浜(「銃剣とブルドーザー」によって住民が追い出された地域)や名護市にも美田があったが、米軍基地によって消滅させられた歴史があるという。
○普天間の地下が琉球石灰岩によって涵養された地下水脈であり、そのために大山の田いも栽培が出来ている。それゆえ、返還後も、基地による汚染を視ていかなければならない。
日米地位協定においては、基地返還時に、汚染浄化の責務は米国にはないこととされている。しかし、それを明らかにしてはならないとは書かれていないし、米国がその作業をしてはならないとも書かれていない。(ソウル・ブルームさん)
○沖縄の米軍基地問題について、海外有識者(ノーム・チョムスキー、ジョン・ダワー、ガバン・マコーマックら)が出した声明。沖縄では大きく報道されているが、「本土」ではさほどでもない。報道を嫌がる向きもあるのだろう。
○東京都知事選のゆくえ。
○沖縄県知事選のゆくえ。
○沖縄が「オール沖縄」となりえていることは、民主運動の到達点だとする評価。
○辺野古近くの大浦湾で、防衛省はジュゴンの目視を31回もしており、海草の食み跡さえ見つけていた。しかし、この事実は情報開示請求によってはじめて明らかになり、当然、環境アセスには反映されていない。
○辺野古の環境アセスが適切な方法を取らなかったことについては、控訴審が始まっている。また、公有水面埋立法の第4条には、環境保全上適切でない事業には埋立許可が出されないことがうたわれており、ここにも抵触する。
○軍民共用の那覇空港における第二滑走路計画の問題。辺野古と同じく、米軍と自衛隊の強化という観点。すなわち、沖縄の負担軽減を掲げつつ、実は軍備強化という結果となっている。
オスプレイの低空飛行には法的根拠がないという指摘。現在は米軍機ゆえ、日本の航空法の対象外となっているが、自衛隊が購入する分についてはどうなるのか(オートローテーション機能がないため、現行法では飛べない筈)。


ジョン・W・ダワー+ガバン・マコーマック『転換期の日本へ』

2014-02-01 09:26:02 | 政治

大阪への行き帰りの新幹線で、ジョン・W・ダワー+ガバン・マコーマック『転換期の日本へ 「パックス・アメリカーナ」か「パックス・アジア」か』(NHK出版新書、原著2014年)を読了。

沖縄の米軍基地問題に抗するものとして、「押し付けられた常識を覆す」という言葉がある。本書においてふたりの論客が述べることは、まさに、戦後日本を何重にも覆ってきた「常識」の狡猾な姿そのものだ。本当に、中国は「領土拡張に燃える覇権国家」なのか? 北朝鮮は単なる「犯罪国家」「狂える国家」なのか? それらを当然視して思考停止に陥ってはならない。

サンフランシスコ講和会議には、建国間もない中国も、それまで政府の中心であった国民党も、戦争中の南北朝鮮も呼ばれていない。ソ連は参加したが署名はしていない。終戦時のパワーバランスと冷戦構造を反映した、あきらかに歪なかたちである。しかし、これを起源として、日米安保体制も加え、戦後の日本が形成されていくことになった。

最大の被害地のひとつ沖縄は、この歪な体制により、さらなる抑圧の対象であり続けた。(なお、日本側からの差し出しの働きかけもあったことを忘れてはならない。>> 豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』

中国や韓国との間に横たわる領土問題も、この機を逃し、解決どころか、どけようにもどけられない石になってしまっている。もっともこれは、国境において絶えざる軋轢を生みつづけるため、米国が敢えて曖昧なままに残した種であった(オフショア・バランシング)。

本書では、それだけでなく、鹿児島の馬毛島や沖縄の八重山諸島といった「辺境」の地が、「帝国」によって、意図的に「辺境」のままに据え置かれ、内在的な発展を阻まれ、米国の軍備体制に差し出されつつある現状を示している。これは、著者のいうように、極めて歪んだ「米国の属国」が、過剰なほどに宗主国に仕え、過剰なほどに自国を抑圧する姿なのである。 

いまだけが「転換期」なのかわからないが、そうかもしれない。少なくとも危険な種が芽をふいていることは確かである。一読をすすめたい。

●参照
ガバン・マコーマック+乗松聡子『沖縄の<怒>』
いま、沖縄「問題」を考える ~ 『沖縄の<怒>』刊行記念シンポ
豊下楢彦『「尖閣問題」とは何か』
孫崎享・編『検証 尖閣問題』
孫崎享『日本の国境問題』